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「助けて」と言えなくなる前に

あまり認めたくないけれど、わたしは今、まあまあ大変な状況におかれていると思う。
修士論文を書きながら就活をしている。
思っていたよりも、就活が長引いている。
修士論文の進捗も、いまいちだ。

わたしよりも大変な人はたくさんいるだろう。
けれど、これはこれで、わたしの基準では、十分大変だ。

わたしはこれまで、就活でストレスが溜まっている人のエピソードを聞くたび、「なんでそんな風になっちゃうんだろう」と思っていた。
うまくいかないなら誰かに相談すればいいじゃん。
本屋でテキストでも買ってみればいいじゃん。
ネットサーフィンして情報収集してみればいいじゃん。
役に立つツールはたくさんあるのに、助けてくれる人だってたくさんいるのに、なんで素直に頼らないの、と。

甘かった。

自分でもおどろいたけれど、心にゆとりがないと、「助けて」をうまく言えなくなる。
恥ずかしいわけではない。
ただ、得体の知れない焦りとか、つらさにのまれて、身動きが取れなくなる。
なんども自分の中にある感情を言葉にして、正体をつかもうとしたけれど、できなかった。

そんな時、とりあえず休んだ方がいいことを、わたしは知っている。
思い切って何時間も寝る日を作ることで、その状態からは、脱した。
それから知り合いや、大学の支援室、民間のサービスに、自分から「助けて」と言って、態勢を立て直した。

でも…「休もう」という発想にならない人は、どうなるんだろうか。

就活だけじゃない。
子育てや介護に追われている人。
体調不良で苦しんでいる人。
深刻な悩みを抱えている人。
仕事で追い詰められている人。

様々な、正体不明の”しんどさ”に飲み込まれそうになりながら、あるいは飲み込まれて、それでも生きている人。
誰かの助けが必要なのに、助けてくれる人を探して、「助けて」と言う気力すら失っている人。

わたしは、たまたまうまいこと休んで他者の手を取れたけれども。
きっと、休む時間すらうまく取れない人だってたくさんいる。

追い詰められると、不思議なことに、助けてくれる人の存在が見えなくなる。伸ばされた手を取ることができなくなる。
どんな風に手を取っていいのか、わからなくなる。
多分、あの状態の時に、むりやり手を引っ張られても、”やめてよ”とか、”ほっといてよ”とか言って、手を振り払っていたと思う。

そうやって、助けられないままの人たちが、どれだけいるんだろうか。
そんな人たちに、助けてくれる人がたくさんいることに気づいてもらうには、どうすればいいんだろうか。

すべての人を救うなんて土台むりなのはわかっているから、せめて、隣にいる誰かの様子には敏感であろうと思う。
手を取れなくなる前に、手を差し伸べるために。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。