ヲススメラヂオの小説 part7 『こそあどの森の物語(1) ふしぎな木の実の料理法』
どうも、こぞるです。ヲススメラヂオ第7冊目で藤田りんごさんに紹介していただいた、岡田淳 先生の「こそあどの森」シリーズ第1巻にあたる『ふしぎな木の実の料理法』について書いていきたいなと思います。
ラジオは以下のリンクから別ページに行くとありますので、先に聞くと、よりこれを書いている奴が何を言いたいのかがわかりやすくなるかと思います。30分未満ですので、家事や課題、作業のおともにいかがでしょうか。
ー作品内容ー
こそあどの森に雪が積もっています。学者のバーバさんは南の島からスキッパーに小包を送りました。ポアポアの実。でも料理法がわかりません。人間嫌いのスキッパーは次の日大決心をしてお料理上手のトマトさんを訪ねました。
ラジオでオススメいただいたとおり、夜のベッドで読んでみました。
何一つ邪魔しない
こちらの作品を書かれている岡田淳先生は、日本の児童文学の第一人者にあげられるほど高名な方で、とくにこの「こそあどの森」シリーズは、第1巻が1994年に出版、最終巻である12巻の出版が2017年ですので、ほぼライフワークと行っても良い作品ではないかと思います。
ラジオでも触れましたが、この本は生み出している世界観が何と言っても素晴らしいです。文章の語り口調、登場するキャラクター、彼らの名前、さらには作者自身が描いている全ての挿絵。
もちろん、児童書や絵本というのは暖かさに溢れていて、どの作品も素晴らしいものなのですが、この『ふしぎな木の実の料理法』は、その暖かさが、どのパーツをどの角度から見ても、同じ温度帯にあるような感覚がします。お風呂の給湯口から急に熱いお湯が足にかかることもなければ、エアコンがいきなり風量を上げて直撃してくることもなく、ぼんやりと適温に浮かんでいられる心地よさがあります。
スキッパーは思ったー
主人公の少年スキッパーくん、彼がまた良いのです。
多くの人に、内向的で人見知りな自分というのは存在すると思います。また、それを自己肯定するために、外交的なものを否定してみたりする気持ちも出てきたります。ただ、彼のいいところでもあり、この本のいいところでもあるのは、そんな思いを弱いともしなければ、さあ、それと戦おう!という感じもしないところです。
外へ踏み出せば楽しい!と引っ張り出すのではなく、外っていうのも、今感じる内でのたのしさをプラスにするエッセンスになりうるんだよ、ということを教てくれる本となっています。子供を思って書いた時、大人として説教くさい本は敬遠されてしまいますし、逆に子供の目線で書く!と言っても、結局は子供じゃないので、書いている人が思い描く子供になります。この本は、大人が大人として、子供の視界を広げて、どうするかは自分で決めてごらん?と言ってくれているような気持ちにさせてくれます。
ここ数年、公園にゲーム機を持ち寄って遊ぶ子供たちの姿をよく見かけます。
それに対して、私はジェネレーションギャップなのか、それは何か違うんじゃない?という思いを持ちながら通り過ぎていました。
しかし、その子たちにとっては、もしかすると、それまでの経験の中から気付き、選んだ、その時その場の最適解として、公園でゲームというものが選ばれたに過ぎないのかもしれないなと思いました。
ここそこあそこどこ
この森でもなければ その森でもない あの森でもなければ どの森でもない
こんな歌から始まる「こそあどの森」シリーズ。
本を読んでいると、その世界に入り込んでいくことが多いのですが、本の世界には魅力に溢れた場所が様々あります。
もし、それらの世界に入り込み、住人になったとしても、私のような何の問題も起こさない真面目人間に彼らは興味がないかもしれないとか、きっと物語のメインに私がいることはないだろう・・・などと卑下する自分もいたりするのですが、きっとスキッパーは簡単に会えるし、簡単に同じ空間に私がいることを認めてくれるんだろうなという気がします。
何でもない人がいてもきっと、仲間になれる場所、それがこそあどの森かもしれません。
さいごに
古い本でもあるので、店頭では少し手に入りづらい部分があるのですが、調べた限りですが図書館にはけっこう置いてあるようですし、便利な世の中なのでインターネットでの注文も容易です。
ラジオや当記事で興味を持たれた方や、元々読んだことがあるよという方がいましたら、ふしぎな木の実でも食べながら、ぜひぜひ感想をお話しし会えればなと思います。
それでは