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ヲススメラヂオの小説 part1『旅のラゴス』

 どうも、こぞるです。先日ヲススメラヂオ第一回でゲストのおかのゆうこうさんからお薦めしてもらった、筒井康隆作『旅のラゴス』を読み終わりましたので、その感想を認めます。
 ラジオは↓の通りです。お時間ある方は、聞いてから読んでみてください。

ラジオで聞いた通り、まとめるのが難しい作品です・・・。

-作品内容-
 北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か? 異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編

所謂ひとつのなろう小説?

 なんてことを書くと、ファンの方々から、素人投稿サイト(名作があるのは知っていますよ)と大作家である筒井康隆を一緒くたにするのではない、というお叱りを受けそうですが、いろいろなところでレビューを見た限り、やはり似たようなことを思った人は多いみたいです。
 正直、なろう小説と呼ばれるものを熟読したことがなく、コミカライズされたものを何話か読んだ程度なので、的外れだったら申し訳ないのですが、各地で女性にモテて、その世界の文明以上の知識を得た主人公が、その知識を与えることで、周囲からの尊敬をうける。そんなシーンが出てきたときには、やはり数年前から人気がある異世界転生ものを思い浮かべてしまう部分があります。
 別にもちろん、だから良いとかだから悪いとかが言いたいわけではありません。これを書いて何が言いたいかというと、それを何十年も前に書いていた筒井康隆ってすごい!ってこととか、異世界転生ものってパクリかよってことなんかではなく、こういった物語というのは、若者にとっての不朽の憧れなんだろうということです。
 ただ、この物語はその「不朽の憧れ」に、成功のみならず、苦労や苦心を含めているように思います。これが、私がこのお話を好きになったポイントであり、多くの方を引き込む魅力の1つではないでしょうか。

ラゴスになりたい

 じゃあ、そんな苦しむから格好良く、失敗することすら憧れる、旅人ラゴスのようになりたいかというと、それはそうではないような気がします。
 このラゴスという男は、頭もいいし、優しさもあり勇敢な面も持ち合わせているし、かといって完璧すぎない人間味を持つ人物です。若い美女にもモテます。けれど、じゃあ「ラゴスになりたいな」と思うかというと、私はあまり思いませんでした。それは、大変そうだからとか、奴隷になりたくないとかそういう部分ではなく、なにかもっと根本的に、この人のように旅をすることに憧れるけれど、この人になりたいとは思わないという何かがあります。そんな不思議なバランスの上に立っているからこそ、ラゴスはこのSFのような、ファンタジーのような、児童文学のような冒険物語の主人公たりえるのだと思っています。

若いうちに読むべき本

 という話題をラジオでしたときに、ゲストのおかのゆうこうさんは、俺はそうは受け止めなかったといった話をしていました。概ね私も同意見です。それはそもそも、若いうちだから読んだほうがいいとかっていう考え自体がどうなんだろうか?と思ってしまう性分だからかもしれませんが・・・。ただ、そういった意見が出る理由を挙げるとするならば、前述したような不朽の憧れに手を伸ばすためには、時間と体力がより多くあるうちにという意味なのかと脳裏に浮かびましたが、こんなことを書くと70歳になっても旅を続けようとするラゴスに嗜められてしまうかもしれませんね。

さいごに

 はじめ、ラゴスの一人称がずっとひらがなで「おれ」なのが気になっていたのですが、これは途中から「わたし」に変わっていることに気づかせるためのイタズラだったのかなと思ったりもしました。物語のどこで変わったかはちゃんと確認していませんが、多分それだけを確認することはないでしょう。

「おれ」が「わたし」に変わるのって、いつなんでしょうね?

 ずっと読みたいと思いつつ、なんだかタイミングを逃していた作品なので、この機会をくださって、おかのゆうこうさんありがとうございました。

追記 ラゴスと信仰

黄色ネジさんからのコメントで新たに思い浮かんだことについて。
 このラゴスさん、道すがら恋多き男なのですが、旅の間中、最初の話で出会ったデーデという少女のことを思い続けています。いつかまた会いたいなあとか、可愛かったなあとか。
 そして、だんだんとデーデを思い浮かべることが旅の始まりへの合図へと変わっているように思えます。
 ラゴスは自分のこと(この世界自体?)「無宗教だといっていますが、彼はある種、旅を信仰していると言っても良いほどに、旅をすることに執着があります。それがいつからかデーデという存在と旅という存在がイコールで結びつけられ、デーデという女神を追い求めているように見受けられます。
 だからこそ、最晩年、死んでしまうからと周りから止められても、デーデの噂がある方へと向かって行くのではないでしょうか。それは、彼にとって、死ににいくのではなく、極楽浄土への道や天国への道と変わらないのかもしれません。

取り留めも何もありませんが、このへんで。




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