家族の話(2)思春期その1

ヤツ、というのは、現在の養父にあたる男性です。
最初こそ優しく接してきたものの、その行動は徐々にエスカレートしていき
私と母親という二人の家庭内に介入してくるようになりました。

中学校に入学する直前、私は養父から
「もう父親は俺なんだから、アイツ(実父)とは連絡をとるな」
と告げられ、母親に掛け合っても同じ意見を告げられてしまいました。
連絡することも許されず、会うことも勿論NG。
今までは不定期に会えていたし、父方の実家が近くにあったので遊びに行くことも多かったのですが、突然の禁止宣言でした。

その宣言を皮切りに、私は養父から様々な仕打ちを受けるようになります。
まずは単純な暴力。養父の言う事に従わなければ叩かれ、物を投げられ、壊されます。携帯を触っていると誰と連絡をとっているのか逐一聞かれ、入浴している間に中身をチェックされました。プライバシーなんてありません。
とはいえ当時の私も多感な時期ですから、抗議しようと試みたことは何度もありました。しかし声をあげたところで怒鳴りつけられ、手を上げられました。

「親をなんだと思っているんだ」

当時も今も、養父によく言われる言葉です。
しかし私は彼を自分の父親だと思ったことはありませんし、血の繋がりだってありません。なんだと思っているんだ、と言われても、こちらが聞きたいくらいには”親”という存在が分からなくなっていました。

こうなってくると、唯一の頼みの綱は母親でした。
しかし母親は泣きつく私を宥めて、

「悪い人ではないのよ」
「あなたの事を本当に大事に思っているから、そうするのよ」

としか言いませんでした。
私に手を上げる養父を、母親が止めることはありませんでした。

中学一年生の秋から、私は学校に行かなくなりました。
それが当時私にできる、唯一の反抗と抵抗だったのかもしれません。

しかし、中学校二年生の終わりに大きな問題に直面します。

「出席日数が足りないので、このままでは行ける高校がなくなってしまう」

担任にそう告げられ、三年生だけは皆勤しました。
その時私は決心します。
高校生になったら、ヤツに勝てる自分にならなければいけない。

なぜなら、高校入学と同時にヤツは
母親と正式に入籍し、私は養子縁組されるからです。

しかし、苦難の道はまだまだ続きます。


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今回はここまでです。
毎回思い出しながら書いているのですが、思っているよりも
自分の人生にはヘビーな単語がついて回りますね。
また気力があるときに、続きを書いていきます。

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