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東京都知事選に見る絶望と希望

 7月5日投開票の東京都知事選挙にて、現職の小池百合子氏が再選となりました。その結果に喜ぶ人もいれば嘆く人もいるでしょう。私は東京都民ではありません。しかし野党共闘を応援している者として、野次馬的に見ていて感じたことをまとめて行こうと思います。

無風の選挙戦

 今回、コロナ禍の最中の選挙ということで、選挙への注目度は決して高くありませんでした。6月1日発表の世論調査では小池氏の支持率は69.7%と非常に高く、その後も小池氏大幅リードの情勢は終始変わらなかったと言えるでしょう。

 元々、現職は余程の醜態を晒さない限り、実績をアピールする機会が多くメディアへの露出も多いため選挙でも有利です。特に災害時にはその傾向は強く出るため、小池氏が優勢なのも無理は無いでしょう。

 しかし、如何に結果がほぼ見えていたとしても、コロナ対策や東京五輪の対応等、重要な争点が数多くあった都知事選をテレビ局が無視するというのは異常事態です。各局は候補者による公開討論会すら開かず、その反面災害対策という名目で都知事の映像を放送し続けました。政治学者の田中信一郎准教授が指摘する通り、本来ならば選挙期間中は副知事が公務を代行し、公務という名目での知事の露出は避けるべきです。都知事がコロナ対策の記者会見でフリップにイメージカラーの緑を使うような、公務の選挙利用を許してはなりません。まともな選挙戦を戦わせてもらえなかったという点で各候補者は無念だったろうと思います。

 勿論、過去最多の22人が立候補した選挙では、全ての候補者を公平に扱うのは難しいでしょう。ネット番組と異なりテレビ局は放送法に縛られているため、泡沫候補を勝手に切り捨てて有力な候補だけで討論会を行うのは困難です。しかし各候補に質問票を送ったり、公約を見比べるなどいくらでも選挙の盛り上げ方はあったはずです。メディアが自らの負う使命を忘れ商業主義に流れていると断じざるをえません。

公約無視を軽視する都民

 また、高い支持率を得続けていた小池氏自身の政治家としての素養にも疑問があります。

 これは同性パートナーシップに消極的であることや関東大震災の朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式典を公園から排除した歴史修正主義者であること等、その思想や政策からも言えることですが、それよりもまず、前回掲げていた公約をほぼ実現できていないということが大いに問題です。公約とは有権者との約束です。選挙に勝つための虚飾ではなく、政治を改善するための具体的な方策でなくてはなりません。有権者との約束を守らない、言ってることが何一つ信用できない人間は政治家として失格です。そんな詐欺師をしかし都民は選んだのだということは重く受け止めなくてはなりません。

邪魔の入った野党共闘

 また、野党支持者の中で今回の都知事選が注目されたのは、立憲民主党や共産党が支援する宇都宮けんじ氏とれいわ新選組代表の山本太郎氏が対決することとなったのも大きいです。元々双方とも左派に支持されており、また野党共闘を支持している層が山本太郎氏を攻撃したり、山本太郎氏の支持者が「宇都宮氏を副知事に」などと失礼な発言をしたり、全体としてギスギスとした空気が漂っていました。

 無風に近かった都知事選に少しでも「風」を起こし盛り上げる作用があったと見ることも可能でしょうが、今後の国政選挙においても共闘体制を作れるのか、課題が残ったと言えるでしょう。立憲と共産が共闘体制を構築できてきたのは良いこととして、あとは自由投票に逃げた国民民主や、極左が集まり野党共闘を叩くれいわへの対応ですが、野党間の競争は必要とはいえ政権批判票の共食いとなると政権を利する結果にしかならないでしょう。

一筋の光明

 職務放棄して選挙を盛り上げないマスコミ、公約違反を看過する有権者、内輪揉めをする野党支持者等、これからを悲観する材料は様々あります。どれだけ不服だろうが小池氏が都民からの圧倒的支持を得て勝利したのは事実なので、「不正選挙だ」などと負け惜しみを言うべきではありません。しかし私はあえて、暗いことばかりではないと言おうと思います。

 ヘッダーで引用した通り、小池氏はほぼ全世代で過半数を超える得票を得ています。ですがその割合は世代によって異なり、若い世代になるほど反小池の票が増えています。その中でも10代・20代では宇都宮氏が支持を広げているのが見て取れるでしょう。「そうは言っても惨敗には変わりないだろう」と仰る人もいるかも知れません。しかし、小池氏がテレビに露出し「密です」というセリフでネット上でも話題になり、また他にも若い候補・キャッチーな候補が多数いる中で、73歳の男性が若い世代から支持を得ているのです。このことは特筆すべき事実です。

 今まで、「若い世代は政治に興味が無い」だとか「若者は政治をよく知らずイメージで捉えている」などと批評されることがありました。総体として投票率が決して高い訳でもありませんし、その見方も的外れではないのでしょうが、少なくともコロナ禍の中投票に行く人が多数存在し、テレビでほぼ取り上げられない候補に注目して投票する人がいるのです。

 民主主義は、民衆が政治を監視し、参加することで成り立ちます。投票率が上がれば当然衆愚政治が行われる可能性も高まりますし、例えば「私人逮捕」などと称して民間人に暴行を加える立花孝志やヘイトスピーチを繰り返す桜井誠のような人間が票を集める可能性すらあります。しかしそれでも、民衆が責任を持って政治家を選ぶべきなのです。

 何よりまず悲しく無力なのは民衆が政治に無関心であることです。誰が立候補してるかも知らない、誰が何を主張しているかも知らない人たちに訴えかけるのは至難の業です。どんなに素晴らしい候補者が立候補しても、どんなに濃密な議論を交わしても、有権者が見てくれなければ意味がありません。そうして民衆が政治に目を向けなくなると政治家は仕事をサボり始め腐敗をもたらします。

 たとえテレビで選挙報道がやってなかったとしても、街中で演説をしてたら立ち止まって聞いてみる。気になった候補がいたらネットで調べて公約や人となりを知る。そうして能動的に政治に関心を向けてくれる人たちが確かにいたからこそ無風の選挙でも55%の投票率があり、宇都宮氏が2番目となれたのです。私はそこに希望を見出したい。今はまだテレビを使ったイメージ戦略で選挙に勝てる時代です。しかしこれからは、ネットを通じて有権者に直に評価されなくては勝てない時代がやってきます。この国を覆う政治の欺瞞もいつか必ず暴かれるでしょう。

 選挙は終わりました。

 政治は終わりません。

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