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固い話題です。心してお読みください

教育基本法第一条

教育の目的はなんでしょうか。その文言は明確です。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」です。

ようするに、人格の完成が教育の目的のひとつです。

言葉がかたすぎますね笑

人から教わるとき。

年始。走り方を教えてくれる体験会があるとのチラシを息子がもらってきました。特にスポーツをやっていない息子ですが、走るのは好きです。どこかに向かうときには自転車に乗らず、わざわざ走って行くこともあります。大人の私には到底考えられません笑。

だれが教えてくれるのかと講師を見ると、ご自身も陸上をやっていてプロ野球やサッカーチームへ走り方の指導経験もあると書いてあります。信頼できます。息子に聞くと「行く!」というので申し込みしました。

さて、今回は陸上でしたが、野球を習うとき。そこらへんのおっちゃんから教わりたいですか?元プロ野球選手から教わりたいですか?

ピアノを習うとき、譜面の音階だけ分かる人から教わりたいですか?ピアノが上手な人から教わりたいですか?

理科の授業を受けるとき、理科が専門の先生から教わりたいですか?国語が専門の先生から教わりたいですか?

もちろん人柄や関係性もあるので、絶対とは言い切れないかも知れませんが、何かを教わるとき、教えることをすでに理解している人や十分できる人から教わる方が信頼できますよね

では、冒頭の話に戻します。

教育は人格の完成を目指すことが目的の一つです。であるならば、どんな人から教育を受けたいですか?どんな人なら信頼できますか?

当然「人格が完成した人」ですよね。

ん???

人格が完成した人っています??人間は本来不完全な生き物なんじゃ・・・とお思いのあなた。大丈夫です。ちゃんと国会議員さんもつっこんでます。

文部科学大臣(小坂憲次さん)の答弁
「人格の完成というのは、私は神のことだと思うのでございますね。ですから、神のような全知全能を備えたものを目指すといっても、これは到底到達できるものではございません。だからこそ目指すのであって、それが実現するということは恐らく一生を通じてなし得ないかもしれない、しかしそれを目指せということで、人格の完成を目指しと言っているんだと私は思っておるわけでございます。」

なるほど。人格に完成はないが、完成を目指すこと自体が目的であると。言っていることはわからなくもない。

であるならば、人格に完成はないが、人格が完成に近い人(表現が合っているかは分かりません?)から教わりたいですね。これが昔の教師が「聖なる職業」と言われる所以でもある気がします。

で、本題です。

教師って人格の完成に近い人なのですかね。最近は教師もひとつの職業というのが良くも悪くも認識されるようになってきたから、そもそも気にしていないかもしれませんが。それでも教師のセクハラ事件は大々的に報道されます。

教育の目的は人格の完成なのであれば、人格の完成からほど遠い人からは受けたくないですよね。

脅迫じみた文

私も中学校に勤務する教育者の端くれですし、二人の息子を教育する親でもあります。公私ともに教育に携わっています。なので、自分の人格を磨くことこそ教育者としてまず第一にすることなのではないかな~と思った次第です。

ってことで、名前を変更しました。何回改名するねん!!っていうツッコミは最もです。でも気になり始めたらずっときになっちゃう質でして・・・。何かしらしないと気持ち悪いのです。許してください。

さすがに人格の完成を目指すとかは重すぎるので、もっと身近にした「子どもがなりたくなる大人に」という言葉にしました。

ところで、お子さんがいらっしゃる方は全員教育者なはずです。子の教育の第一義的責任は保護者ですからね。教育者ってことは・・・人格磨いてますか・・・・?笑

深掘りしたい言葉

さて、新しい名前の「子どもがなりたくなる大人に」に込めた思いもお伝えしようかなと思います。私の記事を読むのは保護者の方が多いです。保護者は教育者なはずですから(2回目(;´д`)。)参考になるかなと思います。

先日、息子(小1)との会話です。

子「お仕事って面倒くさいの?」
私「そんなことないよ。どうしてそう思ったの?」
子「ママがいつも言っているから」

何気ない会話でした。でも私の心にはズドーンと来ました。

息子に「仕事って面倒くさいものだよ」と伝えたことは私も妻もありません。ただ妻が私に仕事の愚痴を言っているのを聞いただけです。

こうやって価値観がつくられるのは怖いなと思いました。

なぜ勉強するのかという問いに本音で答えると何ですか?そもそも興味のないものを覚えたり、理解したりすること自体いやなのは昔も今も共通です。でも昭和40年代は家に帰っても2時間以上勉強する子どもが70%いたそうです。

改めて問います。「なぜ勉強するのですか?」

教養になる?そんなの義務教育で強要するんですか?(笑うとこです)

勉強できた方が楽しい?楽しむことより使えることを学ばせた方がよくない?(苦笑いするとこです)

きっと「働く職業の選択肢が増える」というのが本音だと思いますし、子どももそこを思い浮かべる子が多いと思います。事実だと思います。

つまり、勉強は勤労をイメージさせるものです。

きっと大人たちの理想は、「夢がある→働きたい→勉強したい」というものでしょう。

でも、実際は「親が仕事で大変そう→仕事って嫌だから働きたくない→勉強したくない」という流れがある気がします。

出発地点はそう。親が仕事に対してネガティブな感情をもっていることです。また、仕事楽しいと思っている方は楽しいからこそ多くの時間仕事していませんか?子どもが寝てからしか帰ってこないとか家でも仕事しているとかでは、子どもの中に仕事に対して良いイメージをもてません。

解決策はたった一つ。仕事は大切なもので素晴らしいことだけど、子どもとの時間とも両立させるです。そしてそれを理想論で終わらせるのではなく、親自身が背中でしっかり見せることです。

これは教師でも共通することだと思います。授業時間は楽しく授業を行い、休み時間は子どもと遊ぶ。こんな姿見せられたら、早く大人になりたいな。働くって楽しそうだな。まあ勉強するか。って思う子どもになると思いますし、信じています。

そのため、私がまず実践しないことには始まりません。今は働き方を子ども重視で日々を過ごしていますが、息子の成長につれ増やしたり変化させたりしたいなと思います。

子どもの成長に合わせて働き方を変えていくことで、どの段階でも楽しそうにする。これが本当の働き方改革だと思っています。

最後に

教育基本法で始まり、働き方改革で終わる記事でした。個人的には非常に濃い内容です。できれば有料にしたいが、広まってもほしい。う~ん。なんとかならないかなぁ~笑

最近は書く記事に想いを乗せすぎて、長いし読みづらい。う~ん。なんとかならないかなぁ~笑

そんな感じでも読んでくださるあなたがいるからまた書こうと思います。いつもありがとうございます。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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