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失恋しない方法は、恋をしないこと

あおり運転

一時期、あおり運転という言葉がニュースを騒がせました。非常に危険な運転ですし、してはいけないことです。しかし、現在も行われていて、あおり運転と言葉的には似ている、あおり教育というのがあります。これは法律で罰せられるどころか一部では結果が出る方法として今でも堂々とされています。ちなみに、あおり教育は私の造語です。

あおり教育というのはどういうことか。それにはあおり運転についてイメージをしていただけるとスムーズかと思います。

あおり運転は、後ろにピタッとつくことです。クラクションをならしたり、ぶつけたりと、決して実際になにかをするわけではありません。車間距離をつめ、相手に余裕のなさを感じさせることです。事故を起こすかもしれないという怖さを相手に感じさせるのです。あおり運転には、他にも蛇行運転や急ブレーキなどありますが、この車間距離不保持というのが、一番わかりずらいものです。

ちなみに、小学校で、子ども同士のトラブルのとき「相手があおってきた」と表現する子どもが最近多いように感じます。言い換えると「挑発」なのですが、実際に何をしたのか分からないので、教員側としてはあまり使ってほしくない言葉です…。

あおり教育

話を戻します。あおり教育は、余裕のなさを感じさせる教育のことを私は表現しています。一番分かりやすいのは体罰による教育です。つまり、やらないと怖いことがある。余裕がない状態です。体罰のように実際に手がでなくても、厳しい言葉で叱る。食べ物を与えない。罰をつくる。などです。

今回はこの余裕がない状態について考えます。

教育現場では、余裕があることは甘えと捉えられることが少なくないです。甘えを許さず本気で取り組めということです。限界を自分で決めるな!という言葉に代表されるように、最大限の力を発揮させたいときに余裕をなくしていきます。強豪校の高校の部活、オリンピックを目指す選手のコーチ、などがそんなイメージですよね。実際には厳しい先生や厳しい親御さんもこのタイプの方はいらっしゃいます。

冒頭で述べた通り、一定の効果はあります。それは、人が不快をさけるようにできているからです。関連記事はこちら

余裕がないと・・・

効果がでるならいいではないか。そう思うかもしれませんが、私はこの教育法は失敗をさけたがる人を増やすのではと思います。そして失敗をさけるとチャレンジができなくなります。

先ほど、子どものトラブルで「あおってきた」という言葉が増えたという文を書きました。現役教員として情報発信できることが私の強みでもありますので、この文を書いてみました。しかし、この文は全体の流れからするとじゃまかもしれません。もしだれかに監視され絶対に論を外すな!という状態では、こんな文書けません。「失敗してもいいか」という余裕だからこそ、この挑戦ができます。

このように、新たな挑戦というのは失敗がつきものです。そして、新たな挑戦は、日々あります。小さいところでいうと、授業中に発言するというのもそうです。間違えるかもしれないけど、発言してみる。これも挑戦です。

恋愛だってそうです。好きな子をデートに誘ってみる。付き合ってくれるか分からない相手に告白する。そんな挑戦をたくさん積み重ねて恋人はつくれます。失恋をさけるようになると、恋をしなくなります。

挑戦をさけることは、日々の暮らしが苦しいことです。なにせ日常に挑戦はたくさんあるのです。挑戦することをさけていては成果は一切得ることができず、いい思いをすることが少ないです。

まとめ

「失敗してもいい」こんな余裕があるからこそ、挑戦できる。親御さんの皆さん、お子さんは挑戦できますか?挑戦できるような環境を考えてみてはいかがでしょうか。今回のささやかなる提言でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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