批判をする前に考えたいこと
最近オリンピックやメンタリストDaiGoさんのニュースなどを見ていると胸が苦しくなる。
そこで知った事実もだけど、その後になされる一方的な批判。
今に始まったことではない。
さらに言えば批判なく誰かを傷つけてしまうような発言が見過ごされてしまうのは、それはそれで問題となる。
ただ、茂木健一郎さんのVoicyでの言葉を聴いて、たしかになーっと思った言葉があったので、備忘録がてら残してこきたい。
信念があるゆえの排除する行為
例えば、人の命の価値に優劣はないと思っている人であれば、DaiGoさんの発言は許し難いものだったはずだ。
だからこそ、批判するし叩きまくり声明文も出す。そして対立構造が生じてしまう。
一昨日書いた記事で、紹介していた奥田さんのスタンスを茂木さんは話していたのだけれど、その姿勢が大事な気がした。
それは何かというと包摂的であること。
そのような発言をしてしまった人にも弱い部分があるということにも気づいたり、叩きまくることによってその人の人生がどうなるのかまで想像して関わるというもの。
相手の思想は、そんなに簡単に変わるものではないかもしれない。歩みよっても拒まれることもあるだろう。
それでも、やる前から決めつけずにまず、相手の背景を知り対話するようなことから始められたらなと思う。
時間は掛かる。だけど、AIに仕事を任せていける時代で僕たちがやったほうが良いことってそういうことなんじゃないかな。
理想論かもしれない。
でも、ぼくも常にポジティブではないし、むしゃくしゃだってする。
過去に人に対して親切になれずに傷つけてしまったことも、小さなことかもしれないけどあった。
一回の過ちに対して、もうそこから社会的に復活できるようなチャンスがない社会ではなく、少し違った社会を描けないだろうか。
そんな在り方をもっと模索してみたいと茂木さんの言葉から感じていた。
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