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つい、やってしまうことから考える自己中心的利他

先日、なおみさんをゲストにお招きして仲山進也さん著『組織にいながら、自由に働く。』を題材に対談した。

自己中心的利他について、毎月やっている振り返りの会で自己中心的利他について話したことがキッカケだ。

自己中心的利他とは何か

自己中心的利他という言葉は、仲山進也さんが本書で話されて拡がった言葉だ。

自己中心的利他は、3つの条件でできている。

①やりたい(プロセス目的的)
②得意(強み)
③喜ばれる(利他的価値)

『組織にいながら、自由に働く。』仲山進也著

仲山さんは、この3条件のうちひとつでも欠ける仕事は捨てていこうと提案している。

その結果、組織にいながら、自由に働くことにつながっていく。

自由の働き方とは何だろう?

さらに解像度の上がるような話があったから、引用したいと思う。

自由の対義語は何だろういう問いに対する仲山さんの答えだ。

自由とは何か。対義語から考えてみます。「自由」の対義語は何でしょう。不自由?  束縛?  統制?  強制?
私は「他由」だと考えています(仲山の造語です)。自分がやりたくてやる、つまり「自分に理由がある」のが「自由」。他人がやれと言うからやる、つまり「他人に理由がある」のが「他由」。他人からやれと言われたことでも、受け取って自分で意味づけをして「やりたい」と思うことができれば、「自分に理由がある」ことになります。
「仕事 =作業 ×意味」の「意味」のところでポジティブな意味づけができて「自分ごと」になれば、不本意ではなくなります。そうなれば、「自由に働けている」と思いやすいのです。

『組織にいながら、自由に働く。』仲山進也著

つい、やってしまうことって何だ?

ただ、いきなりは難しい。

強みも喜ばれることもわからないから。

だから、まずやりたいということにフォーカスをする。

そのやりたいことは、「つい、やってしまうこと」にヒントがあるという。

このことは、八木さん著『世界一やさしい「才能の見つけ方」』で紹介されていた内容が参考になりそうだ。

才能を見つけるときには、他人と比べる必要は一切必要ありません。  
自分が「つい、やってしまうこと」であれば、それが才能です。  
言い換えると「自然とやっていること」でもあります。 「『つい、やってしまうこと』って、八木さんどういうこと?」と思いましたよね。
例えば、
・つい、すぐ行動してしまう
・つい、人間観察をしてしまう
・つい、リスクを考えてしまう
・つい、目立とうとしてしまう
・つい、ネガティブに考えてしまう
・つい、人の気持ちを考えてしまう
・つい、人に話しかけてしまう  
これらはすべて才能です。

『世界一やさしい「才能」の見つけ方 一生ものの自信が手に入る自己理解メソッド』八木 仁平著

外側から知識やスキルを習得することに躍起になるのではなく、まず内側にある才能に目を向けること。

ないものを得ようとするばかりに、あるものを生かさないのはもったいない。

自分のやりたいこと、得意なこと、喜ばれることは何か?

ほんじゃーにーの対談のなかでは、前後半でそんなことにも触れながら語っていったので、よかったら聴いてみてください。

以上です。ほんじゃーにー!

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