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知るということはどういうことか?

昨日、読書仲間と話していて、なかなか難しいと感じていることを話した。

それは、本などで知識を得たときに、わかったつもりになること。

そして、知識で相手をコントロールしようとしてしまわいないだろうかという不安だ。

高校生のときまでは知識を得ることは、良いことだと思っていた。

ただ、手放しで喜べないものだと知った。

知るから不安になったり、責任を感じたり、比較対象がなかったときには幸せだった世界がガラリと変わることもある。

養老孟司さんは、『ものがわかるということ』という本のなかで知ることは自分が変わることだと言っていた。

知ることの本質について、私はよく学生に、「自分ががんの告知をされたときのことを考えてみなさい」と言っていました。「あなたがんですよ」と言われるのも、本人にしてみれば知ることです。「あなた、がんですよ。せいぜい保って半年です」と言われたら、どうなるか。  
宣告され、それを納得した瞬間から、自分が変わります。世界がそれまでとは違って見えます。でも世界が変わったのではなく、見ている自分が変わったんです。つまり、知るとは、自分が変わることなのです。  
自分が変わるとはどういうことでしょうか。それ以前の自分が部分的に死んで、生まれ変わっていることです。

『ものがわかるということ』養老孟司著

自分が部分的に死んで、生まれ変わるかぁ。

たしかに今まで、自分が死ぬのなんてもう少し先だと思っていたのに、そうじゃないと認識が変わるという体験は考え方を変える。

さらには、そのことによって行動を変えていく。

逆に、本を読んでも何も変わらない状態もあるのは、ほんとうの意味で知っていないのかもしれない。

知る瞬間は、自発的に本を読んだりテレビを観て知ることもあれば、偶発的に知らざる得ないこともある。

その知ったときに、どのように自分が変わるかわからない。

ただ、そのときによい変化をしていける自分でありたいなとは思った。

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