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仕事を楽しむサービスマンが増えて欲しい。【自己紹介】

「どうやったら販売・接客の現場で働くみんなが『楽しい』と感じれるんだろう…」そう考えて数年が経ちました。

みなさんお疲れさまです!
ふーみんと申します。

留学から帰ってきて7年間サービスマンをやったり、店長・マネージャーとして数十名のサービスマンを育成したり、複業でブログやYouTubeの運営・動画編集をやっています。

サービスマンとして現場で働き僕が思ったことは「もっと楽しい環境を作りたい。」でした。

きっとCS(顧客満足度)を上げる前にES(従業員満足感)が上がらないといけないし、そのためには働く環境が楽しくなくちゃいけない。
そう思ってお店作りやチーム作りをしてきたんです。

だってほら、1日8時間を1ヶ月20日以上過ごすわけじゃないですか。
ってことは人生で寝る時間を除いたほとんどを職場で"生活"しているんですよ笑。

そうやって試行錯誤してきた僕なりの「サービスマンが販売・接客業を楽しめる情報」を発信しています。
(無料で読めるブログは「みん塾」という名前で記事を作っています。)

でもその前に…

『ふーみんってだれなの?』

ってシンプルな疑問がありますので、僕の素性や試行錯誤してきたことを書いていきます。
※自己紹介ではありますが、働き方のヒントを散りばめられるよう頑張ります笑。

ー 母に助けられた学生時代 ー

僕は神奈川県の田舎で生まれ育ちました。
(都心まで電車で1時間くらいかかるところに住んでいます。)
小学4年生のころから母1人で姉と一緒に暮らしていました。

小学校も中学校も成績は至って普通。オール4くらいにはいけるかなーって生徒でしたね。
でもなぜかテストだけは高得点取ってました笑。

高校は外国語とダンスに憧れて、あえて偏差値を落として家から近い高校に通いました。
まぁ結局ふつうの学生だったので、ダンスと英語にどハマりして『留学したいな!』って気持ちになったんです。

そんなころに3.11。
これがきっかけで、母にも賛同してもらい、高校を中退してアメリカのシアトルに留学したんです。

アメリカでは学校のオフィスサポーター(名称はアンバサダーなのでカッコイイ笑。)として働きながら、毎日英語や心理学の授業を必死でやり、短大を卒業して帰国しました。
(なぜかこの頃に筋トレとゲームとアニメとボカロと麻雀にハマりました笑。)

そんな3年間は、
日本にいる母に助けられっぱなし。
留学の費用は600万円。挫折もあったから心配もさせた。
だから、日本では全力で恩返しをしようって心に決めてました。

そうそう。
「親は自営業で留学した。」って話をすると、「お金持ちだよね!」って言われたんですけど、僕はむしろ逆かなって思ってました。

自営業はいつ倒産して生活費がなくなるかわからないリスクがあるし、留学だって借金をしているだけなので、余裕は1ミリもありません。
(まぁいわゆる貧乏ではないと思ってましたけど、常に金勘定は厳しかったですね笑)

ー 帰国後、サービスマンとして働く ー

帰国して、「まずはお金を返さなきゃ」と思い、僕はアルバイトながらショップ店員になりました。

17歳から3年間、日本を離れていたツケがここで回って来るんです笑。

『正しい敬語がわからない。』

ということで、徹底的に日本語から勉強しなおしました!!
(英語の勉強が先で日本語が後って…笑。)

その当時は、
「かしこまりました。」
「少々お待ちください。」
「お電話ありがとうございます。」
みたいな言葉すら知りませんでしたね笑。

そんなこんなで仕事に慣れ始めた3ヶ月後、日本語も定まってきて徐々に実績が出るようになってきました。

その会社で言う『社長賞』を獲ったり、NPSスコアも好実績になりで、個人での能力は上がってきたのかなーって感じましたね。

ー サービスマンの悩み… クレーム ー

販売・接客の現場で働いてればほぼ100%の確率で悩むと思うんです。
やっぱりクレームって怖いし、ストレスだし迷惑かけちゃうし、良い気持ちではないですからね。

実績を出しながら販売を続けていた僕にも、ついにクレーム対応の時期が来ました。
自分のミスはもちろんですが、他の人の引き継ぎ対応なんかもやりましたね。

数あるクレームの中で精神的にキツかった物が1回だけあったんです。
(どれも嫌でしたけどね笑。その中でもダントツにきつかった笑。)

そのときはこんなシチュエーションでした。
・自分のミスによるクレーム
・お客様はヒートアップ
・自分の未経験案件
・自分以上の責任者は居る

普通だったらまずは当事者の謝罪からスタートで、ミスの修正とかをしていくんですよね。
で、最終手段で上長が出たりとか…。

ただ、そのときだけは上長の後ろ盾が無くなっていたんです。

今考えても「なぜかな?」って思うんですけど、後ろ盾のはずの上長がクレームが来てるそのときに僕を指導するんですよ笑。
(いわゆる叱って来る感じのアレですね笑。)

今でも鮮明に覚えていますが、あの瞬間僕は「あ、ここには敵しかいないんだ。」ってなりましたね。
(そこから2ヶ月はそのお店で働くのは脚が震えるほど怖かったです。)

でも、そのクレーム体験があってから、僕は「今後どんな部下がついても、全力で守っていこう。自分と同じ体験をさせるわけにはいかない。」って気持ちが切り替わりました。
(ここがマネージメントへの興味のはじまりでしたね。)

ー 店長の経験が全てを変える ー

僕は長年いたお店の引き継ぎ店長と、ショッピングモールにできた新店オープン店長の両方を経験しました。
どちらも本当に勉強だらけの時間だったなーって思います。

引き継ぎ店長のときは、ベテランのメンバーに囲まれていたので、着々と店舗戦略だけを考えました。
幸運なことに、その結果も6ヶ月くらいでしっかりと出せましたね。
(あれはみんなに感謝しかない!)

そして、新店舗の店長。
ここでお店の人数が3倍に膨れ上がります。
(しかもまだ入社2ヶ月って子もいたりして笑。)

ー マネジメント・リーダーシップの勉強 ー

この時期を境に、マネジメントとリーダーシップの勉強を始めました。

まずは3つを意識して自分改革を行ったんです。
1. 絶対的に楽しい環境作り
2. 誰よりも信頼される存在
3. 笑顔と承認を常に行う

なので、お店のテーマも『社内で1番明るく元気な楽しいお店』でした。

ここで僕が意識していたのは"みんなを変える"とか"みんなに従ってもらう"ではなくて、"自分が変わる"そして"みんなでお店を作る"です。

おそらく日本では多くの組織がトップダウン(上司から部下に指示をする)という形でしたが、僕は根本的に「それじゃ楽しくならないなー」って思っていたので、ただの店長ですがそれだけはブレずに、誰にも揺るがせない気持ちで行動していました。
(あのときは散々叩かれましたけどね。全部聞き流す努力をしてました笑。)

ー 笑顔と承認は"甘やかす"ではない ー

僕は"叱ることが嫌い"な人間です。
だからみんなが何か行動すれば、すべてに「いいじゃん!やってみな!」と言っていたし、意見を言ってきてくれたら「いいね!どうやって実現する?」とすべて肯定していました。

「会社が〇〇だから無理かな。」とか「それは〇〇だから考え直してみて。」というのができなかったんです。
(なーんか心にモヤモヤが残るので本当に嫌いでしたね笑。)

でもそれは決して"甘やかしているわけではなかった"んです。

・愚痴があればなんでも聞く。
・不満があれば捌け口にしてもらう。
・不調ならそれを認める。

プライベートを仕事に持ち込もうがなんであろうが、すべてにおいて"前進する解決策"を一緒に考えていました。

僕の第一声の口癖は「どうしてそう思ったの?」とか「それはどうやったら実現できと思う?」ばっかりだったような笑。
でもそうやって、まずはみんなの感じたことを肯定し、その上で"考える力"とか"解決する力"を付けてもらうってやっていました。

だからこそたくさん話したし、たくさん質問されたし、たくさん愚痴られましたね笑。
(これは本当に良い関係だったなーって思います♪)

ー 店長をやりながら複業もしている ー

今でもそうですが、僕は本業と趣味の発展で複業をしています。

・ブログ&アフィリエイト
・YouTube
・動画編集
が主な内容です。

なのでサイトを作ったりもできますし、「YouTubeやりたい!」って人の目標を達成できます。
すべて独学でやってきましたが、運が良いことにサイト運営では、本業の給料を上回ることができました。
(ほとんどが自分の活動や友人との活動に費やしましたけどね笑。)

独学とはいっても、情報アンテナは強く立てていて、いっつも何かしらのアイディアを考えているので、「誰かの力になりたいなー」って僕の野望が実現できると思っています。

ー これからのやりたいこと ー

そんな僕「ふーみん」は、これから2つのことをやっていきます!

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販売・接客の現場で働く人が「もっと楽しい」を感じてほしい。 サービスマンとして現場で働き、店長やマネージャーを経験した僕の本音をつぶやきま…

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