自己紹介(社会人①)

どうも、damehumanです。
本日は社会人編を振り返ろうと思います。
就職してからは本当に色々とあったので何本かに分けようと思います。

私は関西のとある電子メーカーへの就職が決まったため、
東広島市から京都に引っ越しをしました。長いこと広島で過ごしていたので、引っ越す際は寂しい気持ちとかあるかなと思っていましたが、不思議と全くそんな気持ちは湧いてこず、都会に行けるぜ!わーい!って感じで気楽な感じでした。振り返ってみても広島では楽しいことはなかったので、心機一転できるぜって気持ちの方が強かったです。

初めは京都の十条という所に住むことになりました。会社が契約しているマンスリーマンションがあるということで、新入社員研修の期間はそこに住んでいました。家の設備は本当に必要最低限という感じで、割と早めに引っ越したいなという感じでした。ただ京都というところは私の性にあっていたようで、散歩しているだけでも楽しかったことを覚えています。都会過ぎず、歴史を感じられる街並みが大好きでした。すぐに広島より好きになりました。暇さえあれば散歩をしていました。

京都に引っ越してきて、すぐに会社が始まり、研修期間が始まりました。
2週間くらいは新入社員全員で同じ研修を受けるということで、男女混合ということもあり、結構ワクワクしたことを覚えています。とはいえ、大学での経験から自分は社交的でもないので、ほとんどの同期とは仲良く出来ないだろうなと最初から予想していました。まあ案の定、ほとんどの同期とは仲良くはなりませんでした。しかし今回は同じ大学からも複数いたので、そのメンバーとよく一緒にいたので、肩身を狭い思いもそこまでせずにいることが出来ました。男女でワイワイやっている同期を横目に、早く家に帰りたいなーと思っていました。よくも悪くも大人になったせいか、自分に対する諦めがついて、いろんなことに動揺しなくなってきたなと思います。割と冷めた目でというか、死んだ目で同期を見ていたような気がします。嫌なやつですよね、、笑

そして2週間の研修が終わった後はとある部署に配属が決定しました。
新入社員研修はある種学生ノリの延長線上みたいなところがありましたが、配属が決まるといよいよ社会人生活が始まるなという予感がありました。
ポジティブというよりはネガティブな予感です。私はアルバイトをやっていた時から働くということが大嫌いでした。決まった時間に決まった場所に行ってやることも拘束されているという環境は、私にとってはかなりストレスフルなものでした。多分普通の人が思うそれよりも、相当重たいんじゃないかなと思います。自慢にもならないですけど。

そんな風に恐れながら配属先に行ってみたら、実際はまだ配属先での研修が2週間ほどあって、実際はまだお試し期間みたいな感じで、配属先の同期達とワイワイやれて楽しい感じでした。同期達と楽しく製品の測定をして、そのデータをまとめて報告するくらいの簡単な仕事でホッとしたのを覚えています。

ちなみに私の業務は半導体の設計開発という、
誰に話しても絶対に一発で伝わることのないややこしそうな仕事です。
半導体も意味わかんないし、設計開発というのもややこしいんで誰に説明しても「あー難しそうだね。。(苦笑)」とか言われます笑
答えるのが面倒くさい時は適当にパソコンの部品作ってるよとか言っています。まあでも間違ってはいないです。

適当に同期とワイワイやりながら2週間の研修が終わりました。
そうするとそこから工場研修というやつが始まります。
工場研修というのは実際に製品を製造している工場に新入社員が出向いて、
そこで現場を学ぶというものになります。これは工場勤務の人と2交代勤務を一緒にするので、結構ハードなやつです。そして工場は福岡県の某市にあるということで、2ヶ月間工場に行く必要があります。せっかく京都に引っ越してきたものの、また2ヶ月間福岡県に行くことになります。率直に言って面倒くさそうだなーと思っていました。実際面倒なんですが、、

そして京都から福岡県に引っ越しをします。とはいえ、福岡のマンスリーマンションを会社が貸し切ってくれているので、家賃はタダなので、金銭的な負担は全くありません。ただ福岡県といっても某市はめちゃくちゃ田舎で田んぼしかないと言うド田舎でした。東広島よりも田舎です。博多まで出るのでバスと電車で2時間くらいかかるくらいの距離。遊びに行くのも一苦労。そんな感じでした。同期のみんなも割と萎えていたのが印象的でした。

この期間は肉体的にとにかく辛い期間でした。朝9:00~夜21:00はまだ全然大丈夫なんですが、夜21:00~朝9:00の期間が本当に辛かったことを覚えています。とにかく眠い。やることもあんまりなかったりで、眠たいのに暇で本当に発狂しそうだったのを覚えています。やることないんなら、呼ぶなよ!って何度思ったかわかりません。ただ工場内での作業がメイン業務なので特に頭を使ったりする仕事などはなく、ひたすら機械的にものを右から左に流すだけだったので、そこの負担は全くありませんでした。

そしてこの辛い2ヶ月をなんとか耐えて、再び京都に戻ることになりました。(続く)


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