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【世界考察42】毎日投稿を辞めた感想

2ヶ月くらいは毎日投稿すると言ったな。
あれは嘘だ。

ということで、ここ1週間ほど投稿を休止していた。以前、毎日投稿によって何が起こったかは説明した。

毎日投稿の弊害として、記事のクオリティが下がるだの、ネタがなくなるだの書いたのだが、正直言って、毎日投稿しないと、そもそものやる気が失せるとのが真実だったようである。ここ1週間休んだだけで、投稿の気力が非常に減退した。おまけにネタが増えたわけでもない。むしろネタを考える時間は減っている。やる気が失せるとクオリティもネタがないもあったものではない。全てが終わりである。投稿のプライオリティは下がっていく一方だった。

勉強では量が質を生むと言う。勉強に限らない。1日1時間の練習でプロ野球選手になった人など、まずいないだろう。野球に限らず、その道で食っていくにしても、単に部活でレギュラーになるにしても、1日1時間では無理である。質のいい練習は量の果てにある。質=量と言っていい。量が重要か。質が重要か。量である。

暗記できない。計算ミスが多い。問題が理解できない。○○ができない。ほぼ全て量が不足している。単語三回やったけど覚えられないんですよ。なぜ三回で覚えられると思うのか。私は到底無理である。単語百回やったけど覚えられないんですよ。ここまで来ると検討の余地がある。千回やったけど覚えられないんですよ。こういう例はあるのか?

一般的な仕事を考えると、中心となるのは30代以降の人材である。大抵の人は20歳前後から働き始めるわけだが、中心となるのは、そこから10年程度は経った人材が多いわけだ。どんな才能があっても、20代で大出世ということは、通常の会社では考えづらい。一人前になるには、それなりの量が要求されるということが、会社の中心人材の年齢層を考えると、想像できる。会社に限らず、研究の場でも、似たようなものだろう。肉体が要求されるスポーツは、肉体の衰え上、同じにはならないが、スポーツの場合は入社に相当する通過儀礼が、もっと早いのではないだろうか。野球で食っていく、サッカーで食っていく、と考えた子どもは、それこそ一桁年齢から、途方もない時間をかけて、10代後半でプロになっていく。一人前になる期間を考えると、普通の仕事と同じではないかと思える。

ということで、投稿頻度を落とせばクオリティが向上するというのは、浅はかな考えだった。少なくとも何もやらない状態では、クオリティは落ちる一方である(当たり前だが)。クオリティを上げるためには、投稿頻度を落としたとしても、何かしら毎日書くということはやらなければならない。

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