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【世界考察31】能力主義の問題点/施しを与えて解決?/なぜ莫大な報酬があり得るのか

●能力主義の問題点

サンデルの本により能力(功績)主義の話は相当認知されているように思えるが、その解決策を考えるとき、どうにも腑に落ちない考え方がある。能力のない人間にも社会的な救い、要は施しを与えるべきである、という解決策だ。

能力主義の問題点は、能力のない人間が社会から振り切られることだけではない。そのような認識だと、能力のない人間にも優しくしよう、という対症療法的な解決法に向かってしまう。それはそれで必要なことであるが、本質ではない。逆に、能力のない人間は歯を食いしばって頑張れ、俺もそうやってなんとかした、的な自己責任のシバき主義の話をしたいわけでもない。そもそも能力がある、能力がない、という状態によって、様々な偏りが生まれていること自体が問題なのだ。能力主義の問題の本質は能力主義という概念そのものにより、世界の富や肯定感の偏りが肯定されることにある

●施しを与えて解決?

能力主義を認めたまま、その偏りをほんの少しだけ改善しようというのが、社会的包括、施しになる。それは本質的解決だろうか。単に能力のない人間を社会的に包括するだけの方向に進むと、能力主義なる概念はずっと温存されたままだ。能力主義の概念が保存されるような解決策は、その全てが根本的解決にならない。持つものと持たざる者の隔たりは永久に超えられない。優しくされたところで、持たざる者の渇きは癒やされない。そして持つものの渇きすらも癒やされない。サンデルが言うような、大学受験をおみくじにするような解決策も、無意味ではないが、根本的な解決ではない。能力主義という概念は温存されたままになるからだ。そんなことは書いた方もわかってるはずだが、根本的な解決というものが見出せないに違いない。当然私もそんなものは見出せない。どうすれば根本的な解決になるのか。

まず無理があるのは、能力自体を相対化するべく、人の思考を変えることである。能力に差なんてなんてない、人は誰にでも能力がある。何たらかんたら。多様な価値観を身につけよう。みんな各々の能力を活かして生きていこう。理念としては全くその通りである。非常に美しい話だ。美しい話ではあるが、美しい話では何も変わらない。歴史が教えてくれる。能力主義を第一に人の思考の側から操ろうとするのは、無謀だ。能力主義を是正することで偏りを是正する、という順番は筋が悪い。能力主義による偏りを矯正することで、能力主義そのものが瓦解する、という順番が、おそらく正しい。

じゃあどうすればいいのかと。

●なぜ莫大な報酬があり得るのか

一旦富の偏りに注目する。能力主義が富の偏り(ひいては肯定感の偏り)を産む根源的な問題点のひとつは、能力(功績)に応じて上限のない莫大な報酬が与えられることにある。ということは、能力に応じて莫大な報酬が与えられなければ良い。それが実現できれば、現代のようなおかしな偏りは生まれないはずである。この是正は人の思考を変えることではない。社会システムの変更でなんとかなりそうだ。人の思考を変えようとするよりは、実現可能性がある。

そもそも、なぜ我々は莫大な報酬を誰かに付与できるのだろうか。例えば、食料を保存する技術すらない極端な原始時代を考えて、その時代の誰かに莫大な報酬を付与できるだろうか。原始時代の誰かに魚を100万匹与えて(仮定としては自分で取ったでもいいが)、彼はそれをどう使うのだろう。保存技術はない。一人で100万匹食うわけにもいかない。そうなると、普通に考えて、周囲に配って恩を売っておくくらいしかない。周囲に配るだけなら、100万などという数字には全く意味がない。そんなに所有したいとすら思わないだろう。場所を取るので逆に邪魔である。

なぜ現代で莫大な報酬を付与できるのか。いや、莫大な報酬が意味を持つのか、と言い換えた方がいい。なぜ現代で上限のない莫大な報酬が意味を持つのか。それは金銭が貯蓄できるからである。金銭ではなく、米だろうが、干し魚だろうが、数を貯められるようになった時点で、際限ない数字が意味を持つようになった。さらに言えば、金銭は場所を取らずに数値の上でだけ存在することも大きい。6畳のアパートで1兆円を持つことも可能である。

では、どうすればこの能力主義による世界の偏りをなくせるのか。

金銭を貯蓄できなくすればいい

そうすれば、どんな能力を持っていようが、どんな功績を挙げようが、莫大は報酬を得る意味がなくなる。莫大な報酬が原理的に発生しないならば、どのような主義であれ、格差は相当減るはずだ。ひいては大きすぎる格差に劣等感を抱くこともなくなる。

と言いたいのだが、例えばお金に使用期限をつけるなどの対処法では、別の何か(金だのプラチナだの米だの不動産だの)が、別の形で新たな蓄積できる財産になるだけだろう。これらは場所の問題も孕むので、余計に話がややこしくなる可能性もある。歴史の逆を辿るだけだ。全てを保存できなくすること、例えば食料を保存できなくすることは、能力主義を打ち消すメリット以上のデメリットが存在するので、論外である。それこそ極端な原始時代である。原始時代の方が良かったのでは、と言われると終わりだが。

現状、功績を蓄積しないようにする方法が思いつかない。とにかく蓄積という行為をなんとかしない限りは、途轍もない偏りが生まれ続ける。そして能力主義はいつまでも意味を持ち続ける。

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