日常化
井出 あぐり様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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多くの人が、ある目的を持ってニュースや番組を見るのは当然として、一方で、テレビがついていないと何となく落ち着かないという実感もある。
人は音が欲しいのかもしれない。
シーンとした空間にいるより、テレビの音が聞こえている安心感。
テレビは作品というより、安心感。
その安心感のテレビが「日常」のものとなり、一つの「環境」となっていることを物語っている。
「環境」となっているということは大きな問題を提起することになる。
「たかがテレビ」と考えているうちに、問題はいっそう深刻になりかねない。
それは、気がつかないまま音を聞き、生活に入り込み、生き方や価値観や文化に、少なからぬ影響を与えている。
これはネットも同じだ。
人それぞれのオススメが表示され、多様性だと言われるものの、実は画一化している。
とあるスキャンダルに対して、同じ箱に入れられたユーザー同士、理性を狂わせて言い合いして下さいと言わんばかりだ。
そもそも本音を言える場所としてももちろんある。
しかし、たかがSNS。
本気になってること自体バカバカしく感じる。
冷静になろう。
何を本気になって言い合っている。
本気になる意味がない。
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