ピリオド
500ml様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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お坊さんの修行で、坐禅中に修行僧の人を師匠が「喝!」といって肩を叩く姿を見たことがある。
雑念が浮かんだ時に、気合を入れられる。
喝!は、どのような時に入れられるのか。
弟子の頭の中で、ぐるぐると迷いが生じた時、この時に、この頭の状態をやめさせるために、悪循環から抜けさせるために、叱咤を頂く。
一見、精神統一してるように見えて、師匠や先輩は外から見るとなんでもないような姿も心の揺れは感じれる。
そして囚われの思考から逃れることをする。
これが喝。
動物と関わると思う。
彼らは容姿を多分考えてない。
人間が勝手に持つ可愛いと言うイメージとは関係なしに、堂々としている。
勝手な決めつけ。
あたまではわかってるはず。
社会の問題にある。
日々目にするものの中に、たくさんのおしつけがある。
押し付けられたかっこよさ、かわいさ。
強迫観念になる。
今は1人1画面。
昔は家に一台あるテレビで、あの人可愛いと思えば、お父さんが「可愛いか?」なんて会話をしながら価値観の相違を確認した。
企業も押し付ける。
メディアの背景にある。
これが戦略。
この可愛さをかわいいとおもって、あのような容姿になると思い込む。
心を傷つける。
そして本人。
容姿を気にすることではない。
可愛く見られないといけないが故に、演出するのに時間をかけすぎる。
写真を撮りまくる。
納得しないと次の行動に取れない。
無駄な時間。
長い人生を歩むうえ、無駄で捨てている時間。
どうしたらいいか。
喝を入れること。
それしかない。
なんだそんなことかと思うけど、
そんなことしかない。
本質。
人間は何か自分が決めた、心に決めたことを思ったことを、瞬間から行動に移す間に時間を設ければ迷う。
怖くなる。
思うことはいいけど時間かけすぎ。
この時間を減らすために喝。
卓球を見ると、声を出す。
さぁ!など。
迷いを強烈な掛け声によって鼓舞してポジティブに持っていく。
これは喝と同じ。
人に受けようとしてない。
自分を鼓舞し、周りから聞こえる雑音を解放させるために掛け声を出す。
頭の中の迷いにピリオドを打つ。
そして行動に変える。
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