【無料記事】希望がないのに余裕がある
hoho様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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千日回峰行を終えた修行僧の方が「熱を計ったことはありません。熱を計って、熱があっても休めるわけではないですから」(『千日回峰行』光永覚道著/春秋社刊)と述べていたことがある。
体調が悪かろうが風邪をひこうが護摩供は行い、歩くものは歩くと決めてかかっているわけだ。
これも強靭な精神と習慣のなせる業といえるだろう。
身体的な習慣の領域が小さく、身についていないため、心の状態しだいで「なんとなく」休んでしまうわけだ。
そういう人は、自己中心的になっているため、当然ながら他人の感情に対する理解力も乏しい。
およそ文化・文明というものは、人間の自己中心性を補完するために生まれてきた面もある。
皆で共同体をつくり、互いに奉仕する形の社会にすれば、皆が相応の恩恵を得ることができる。
その延長線上に今日の国家がある。
心の肥大化は、国をつくっていかなければならないという危機感のないところに生まれた、ある種の〝余裕病〟ともいえるだろう。
たしかに、昨今の日本では貧困の問題も深刻だ。しかし世界的に見れば、あるいは歴史的に見れば、まだ極限的貧困とはいえない。
一方で右肩上がりの高度経済成長時と比べ、今は将来に希望を持ちにくいことはたしかだ。
私たちは希望がないのに余裕があるという、微妙な状況に追い込まれているのである。
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