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文章を書くということ

おかげさまで、投稿100回目を迎えることができました。
そんな節目に、胸の内を語ります。特にオチはありません。

文章を書くということ


日々、著書執筆やら記事連載やらのアウトプット活動をしていると、
「西野さん、文章を書くのが上手ですよね!」とお褒めをいただくことがあります。

これは素直にとてもうれしいことです。


半分はその意見に賛成なので、
「あなたも素直に、もっともっと褒めて〜!」
というかんじなんですが、

もう半分では、
「いやすいません、うれしいんですけど全然違うんです!」
という思いがあって、

本心としては
「・・・実は僕、文章を書くのが苦手で苦手でたまらないんですよ」
と言いたい。

それは要するに僕にとって、書くこととはシンプルにきつい労働作業であって、
いつも逃げ出したくなっている自分と向き合っているからです。


表に出た文章は、最終的なアウトプットだけが評価の対象となり、
かけた時間は現れないから、評価点には加わりません。

書くのにかかった時間が10分だろうと10時間だろうと、同じ評価がされます。
同じクオリティの文章なら、かけた時間が短いほうがいいに決まっています。

つまり、文章が得意な人とは、短時間で質の高い文章を書ける人じゃないかと思うのです。


では、じゃあ僕の場合はと言うとぶっちゃけますけども、
これから書くぞー書くぞーと席についても、書き始めるのに1時間かかったり、
他の作業に手をつけちゃって結局始まらなかったり、
いろんなきっかけで一度作業が中断されると、もう再開できなかったり…


そこで、ある程度のまとまった時間を確保して、
外部からの情報を完全に絶って、
耳からゾーン入る系BGMをぶち流して、

それでも、本当にダメな日は6時間かかって5行しか進まないこともある。
突然立ち上がって、大きな声を出すこともある。

そんな時間はふつうの平日昼間にはありえないので、
作業ができるのはたいてい土日か夜間しかありません。
(ちなみに、朝は運動が優先でして)


21:00に営業が終わって、だんだんメールやメッセージや電話が少なくなってきて、夜中の2時を過ぎてからようやく超ゾーンがやってくることもしばしば。

これはなんとかしたいなと、
言語化スキルの本を何冊も読み漁ったり、
入浴中や運転中に思いついたことを音声入力できる環境を作ったり、
ChatGPT先生に泣きついたり、

そんな努力や工夫や利器頼みも多少の役に立ってはくれますが、
根本的に作業時間を半分に減らすような特効薬にはなりません。

ああ、思ってることがスラスラ文章化できる能力があったらどれだけ楽だろう、と渇望しています。

きっと漫画家さんは、絵を描くのが好きで好きで大得意で漫画家になったはずで、
しかしそれがいつしかプロの仕事となると、知らぬうちに創作以外のいろんな圧力に苦しみ、描けない時期にはやり場のない焦りに苦しんでいることでしょう。

もしかするとこれはそんな、漫画家さんの気持ちに近いかもしれません。
(漫画家の気持ちなんて、正直よく知らないけど)


嫌ならやめればいいじゃん、というささやきも聞こえますが、
それでも、書くことによる大きな「意味」というか「効果」は実感しています。

整理できる
共有できる
可視化できる
資産化できる
ファン化できる
応援してもらえる

・・・などなど、それは、やっていなかった時と比べたら対価に見合う大きな価値があると感じられるものです

さらには、1つ仕上げ切った時のこの上ない達成感もあって、
煮詰まったところからの完成を迎える時、脳内物質がサワーって流れていくような中毒性ある快感もあったり。


学校の部活。
球技やってる奴の理由はよくわかる。勝ち負けのある「ゲーム」だから。

でも、登山とか長距離やってる奴の気持ちは、まるで理解できなかった。
なんでわざわざそんなつらいことするの?と。

登った時の景色が見たいから。
走り切った達成感が気持ちいいから。

なんだかそれ今、すごい理解できます。


という感じで、今は1つ大きな執筆活動も終えて、後ろから追ってくるデッドライン圧力のない、束の間の安堵感に胸を撫で下ろしています。

またこんな刺激や達成感や快感に渇いた時、再び筆を執っていることでしょう。

やっぱり西野は、根っから作品づくりが好きな性分なんだな。
だから今日も、こんな記事を書いてしまったんだ。


(この記事は、2023年12月にF&Pジャパン社内向けに発信された内容をもとに、編集を加えて公開しています)


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