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「非物質的な新しさ」が拓く、暮らし観光の時代 




1.   嬉野との再会とまち歩き

今期から始まった佐賀県嬉野市の「うれしの宣伝部」にローカルフォトの講師として参加し、まち歩きを行った。公の場での実践は8年ぶりとなり、天候にも恵まれ、久しぶりに地域の皆さんとまちなかを散策することができた。嬉野の新たな魅力を再発見する、楽しいひとときだった。

10月6日に開催された「うれしの宣伝部」のまち歩き。嬉野はマゼンダのフィルターがかかったようなほんのりピンク色のまちだ



このまちとのご縁は、隣町である長崎県東彼杵町でのローカルフォト活動を通じて堀越一孝さんと出会ったことがきっかけだ。彼の紹介で2016年に初めて嬉野を訪れ、建築家の馬場正尊さんとまちを歩き、その際に「旅館大村屋」の北川健太さんと出会った。この出会いが、嬉野市との今日に至る関わりの始まりとなった。

その後、佐賀県の観光ガイド「さがごこち」の撮影を担当することになったが、発売が近づいた時期にコロナ禍が発生。北川さんの旅館大村屋をはじめ、温泉街全体が営業停止を余儀なくされ、多くの観光地が深刻な打撃を受けた。このような状況下で、北川さんとは「これからの観光」について頻繁に対話を重ねるようになった。

コロナ直前の嬉野は、表面的にはインバウンドで賑わっていたものの、どこか閉塞感が漂う印象だった。晴れた日でさえ、重苦しい空気がまち全体に残っているように感じ、高齢化や人手不足という問題に直面していることは一目で分かった。

さがごこちチームとエフエム佐賀のみなさん。向かって右が堀越さん、一人おいて北川さん


2.  20世紀型観光の終焉と嬉野の現在

私にとって、嬉野のように観光業が主力の地域は、特に難しさを感じた。課題が多層的に絡み合っており、観光、移住、市街地の活性化など、それぞれのテーマを個別に取り組んでも、すぐに限界に突き当たる。こうした複雑な問題が、他の地域と比べても、嬉野での解決をより困難にしていた。
 
バブル崩壊後も、2000年初頭までは団体旅行やバスツアーなどのマスツーリズムが盛況で、観光業は安定して続いていた。しかし、世代交代が進むにつれ、20世紀型の観光モデルは徐々に時代に合わなくなり、京都や北海道といった大観光地を除く多くの地域で、まち全体の老朽化や過疎化が加速していった。この現象は全国的に広がり、新たな観光の形を探ることが急務となっている。
 
嬉野でも、他の地域と同じく宿泊施設やインフラなどのハード面が時代遅れとなり、その維持が困難になって衰退の道を歩んでいた。私が初めてこの地に足を踏み入れたとき、これらの課題は簡単に解決できるものではないと実感した。特に、以下の3つの問題が際立っていた。
① 20世紀に作られたハード面の負の遺産をどう乗り越えるか
② 地場産業の衰退(嬉野でいえばお茶や窯業)と新規産業としての観光
③ 過疎と高齢化問題
 
これら3つの課題を少しでも改善するためには、特に②の衰退産業、具体的には嬉野のお茶や窯業、そして商店街といった現場を「暮らし観光」として紹介し、地域プレイヤーがまち歩きやSNSを通じてその魅力を発信することが、③の共感者を呼び込むための重要な手段だと考えている。しかし、それを実現するためには、①の「ハード依存」から脱却する発想の転換が不可欠である。団体旅行を中心とした20世紀型の観光はすでに終焉しているが、その現実に住民が気づかない限り、他の課題も進展しないだろう。
 
若い世代を呼び込むためには、新しい風を取り入れる必要がある。しかし、嬉野は依然として①の問題を抱えたまま、発想の転換ができずに停滞しているように感じた。

コロナ禍に開催された「ローカル大会議」にて。左から日本総研の井上岳一さん、Huuuu代表の徳谷柿次郎さん、ライターの中村美由希さん、北川さん、博報堂ケトルの日野 昌暢さん
ローカル大会議(2020)にて、茶屋二郎さんによるティーツーリズムの実演


3.  山梨のペンション通りで考えたこと

話は変わるが、20年ほど前、山梨の寂れたペンション通りを車で通り過ぎたときの光景は、今でも鮮明に記憶に残っている。かつては賑わっていたはずのその通りは、薄暗く時代に取り残され、まるで時間が止まってしまったかのようだった。よく見ると、それぞれの店舗には独自の美学があり、個性的なしつらえが施されていた。きっと当時は、最先端を行くおしゃれな通りだったに違いない。

しかし、オーナーの加齢とともに、身体的にも精神的にも若い頃に築いた「新しさ」を維持できなくなり、まち全体が活気を失い、衰退していく様子が印象的だった。その光景から、ビジネスモデルの寿命がいかに短く、常に「新しさ」を追い求めることの難しさを痛感したのである。この現象は、流行のビジネス手法や私たちフリーランスにも共通する課題であり、時代の変化に合わせて新たな視点を取り入れ続ける難しさを改めて実感する。私自身も人気商売に携わる一人として、ペンション経営と同様に、その困難を痛感している。まったく他人ごとではないのだ。
 
同様の問題は、今や日本全国に広がっている。かつて高度成長期に栄えた商店街や旅館街、ニュータウンなどは、時代の変化に対応できず、往来が途絶え活気を失っている。設備やインフラの維持が困難で、多くの建物が更新されず空き家となり、人口減少と経済の停滞が追い討ちをかけ、地域全体の荒廃が一層顕著になっている。
 
このような状況を目の当たりにして、常に「物質的な新しさ」を追い求めてきた従来の観光のあり方にも、思考の転換が必要であることに気づいた。かつては、最新鋭の設備やトレンドを追いかけることが成功の鍵とされていたが、少子高齢化や経済停滞の中、20世紀型の「ハード依存」観光モデルはすでに限界を迎えている。特に地方では、多くの観光地や旅館街が衰退の一途を辿っている。このような物質文明に依存した観光モデルがもはや通用しない現代、その問題はますます浮き彫りになっている。

うれしの宣伝部のまち歩き@シモムラサイクルズ


4. 「暮らし」を「観光」に変える人々

「暮らし観光」のアイデアは「小豆島カメラ」の活動に触発されたものだ。当時、小豆島では観光業も地場産業も衰退していたが、瀬戸内国際芸術祭の成功をきっかけに、「移住モデル」として注目を集めていた。そんな中、彼女たちの発信は、移住を考える若者たちに響き、彼らを引き寄せるきっかけとなった。それは、行政や代理店のプロモーションでは伝えきれない、「この町で本当に暮らせるのか」というリアルな移住体験を紹介したからだろう。結果、2018年にはコロナ前にもかかわらず、移住者は年間500名近くに達していた。もちろん、彼女たちだけの力ではなく、若者の転出や自然減も影響していたが、その発信が多くの移住希望者にとって重要なきっかけとなったのは確かだ。

 
また、彼女たちは観光地としての小豆島の魅力を前面には出さず、「生産者と暮らしに出会う旅」と題して、里山や農業体験を含む少人数制のツアーを年に一度開催していた。参加者は10人ほどの小規模なツアーであったが、これが単なる観光を超え、移住や関係人口の増加に繋がるきっかけとなった。
 
もう一つの事例として挙げられるのが「真鶴出版」である。彼らは2015年に真鶴へ移住し、宿泊施設を立ち上げようとした際に「この町では難しい」と周囲から反対された。バブル崩壊以降、真鶴の宿泊業は観光業の衰退とともに停滞していたからである。しかし、彼らは自宅を住み開き、一日一組限定でAirbnbを活用して観光客を受け入れることから始めた。その後、外国人向けにまち歩きを行い、さらに出版物を発行して真鶴の魅力を発信し続けた。その結果、観光客や移住者が徐々に増えていった。真鶴出版が生み出したのは、従来の観光とは一線を画し、日常のまちの風景や暮らしを体感する「新しい観光」の形であった。


 

5. 再発見の新しさ 〜 まちの資源をリデザインし、未来を紡ぐ

「暮らしそのものを観光にする」という新しいアイデアは、他の地域でも少しずつ広がりを見せている。例えば、福井県鯖江市でデザイナーの新山直広さんらが企画する年に一度の工房見学イベント「RENEW(リニュー)」や、長野県諏訪市で東野唯史さん・華南子さん夫妻が運営する「ReBuilding Center JAPAN(リビセン)」がその代表的な例だ。

RENEWは、眼鏡や漆器といった鯖江市・越前市・越前町全域の地場産業の工房を3日間開放し、普段は見ることができないものづくりの現場を体験できる産業観光イベントである。2015年にスタートし、2023年にはのべ37,000人の来場者を記録した。RENEWは、衰退しかけていた地場産業を観光の資源として「Re-design(リデザイン)」〜再構築することで、人々の関心を再び集めることに成功した事例として知られている。

また、古材の販売や空き家リノベーションを手がけるリビセンも、空き家や廃材といった地域資源を活用した独自の活動が若い世代から支持を受け、関係人口や移住に貢献している。彼らの事業は、直接それらを目的としたものではないが、注目度が高まるにつれ、他地域からの視察や訪問が増え、結果的に観光の促進にもつながった。

RENEWにしろ、リビセンにしろ、共通しているのは、衰退した地場産業や廃棄物を観光や建築の資源として「Re-design(リデザイン)」〜再構築することで、人々の関心を再び集めることに成功した点だ。このリデザインの思想は、これまで「一方向な新しさ」を求めてきた私たちに、「循環する新しさ」を提案し、既存のものや廃棄物を新たな価値に変える視点をもたらしている。さらに、彼らは活動と発信を両立させ、継続的に地域の魅力を伝えることで、来訪者を呼び込んでいる。



6.  哲学あるプレイヤーと彼らの物語

小豆島、真鶴、鯖江、諏訪。全ての事例に共通しているのは、従来の「観光」とは異なるアプローチを取っている点だ。いずれも既存の観光資源に依存せず、地域の暮らしや産業を伝えることで、移住者や関係人口の増加を図っている。ただし、単に「日常を見せるだけ」ではない。ローカルプレイヤーたちは、日々の実践を通じて独自の思想を築いてきた。彼らの「哲学によるまなざし」が、地域外の人々の共感を呼び、新しい観光モデルへと進化していった。
 
確かに、地域の魅力を発信することは重要だ。しかし、それ以上に大切なのは、哲学を持つ若手プレイヤーが活躍できる環境を整え、彼らが地域で成長していける場を作ることだ。彼らの活動がまちに賑わいをもたらし、共感する人々が自然と集まる。このモデルは、ただの観光地巡りとは異なり、地域の文化や作法を訪問者と共有し、愛着を育むことで、従来の消費型観光とは一線を画している。

成功事例を表面的に模倣するだけでは、持続的な成果は得られない。背景にある思想を理解せずに導入された仕組みは、やがて陳腐化し、結果として時間を無駄にする恐れがある。だからこそ、物語を紡ぎ、共有することが重要なのだ。地域に根ざした生活や文化を深く理解し、その哲学に基づいた実践こそが、本質的な価値を生み出し、真の観光モデルを形作る鍵となる。
 
結局のところ、「哲学あるプレイヤー」の存在が、地域の未来を決定づける。彼らが自ら「語り部」となることで、新たな観光の形が生まれる。こうしたローカルプレイヤーたちの取り組みが本格的に注目され始めたのは2016年頃からだが、当初はその価値が広く認識されていなかった。しかし、彼らの地道な実践が、地域の魅力を内外に発信する力となり、新しい観光モデルへと進化していった。

うれしの宣伝部のまち歩き@橋爪菓子舗
うれしの宣伝部まち歩き@ギャラリーおさ


7.  嬉野の暮らし観光:「非物質的な新しさ」への転換

北川さんとの話に戻ろう。コロナ禍の中で、彼と「暮らし観光」について何度も議論を重ねる中で、Webサイトのリニューアルを契機に情報発信とまち歩きの取り組みが本格化した。最近では、長年の課題だった「若い世代のリクルート」が進み、商店街との連携も強まり、北川さん自身が商店街組合の理事に就任するまでに至った。

 

私が観光について真剣に考え始めてから、もう10年以上が経っている。その間、小豆島や真鶴のみならず、東彼杵や下田や猪苗代での実践を通じて、過疎化が進む地方において「物質的な新しさ」に依存しない観光モデルの必要性を痛感してきた。新しくキラキラした資本を導入しても、時間が経てばそれらは必ず古びる。地方で重要なのは、物質的な新しさではなく、地域の文化や暮らし、そして人々の哲学に焦点を当てることだ。それこそが、盤石な地域の再生を目指すために必要なアプローチである。
 
この考えは、山梨のペンション通りを通り過ぎた際に目にした光景とも重なる。人口減少が進む現代、ハードに依存した観光モデルが機能しなくなっていることを、多くの人々が認識している。しかし、次に進むべき方向は「物質的な新しさ」ではなく、地域の哲学や暮らし、そして日々の営みを磨き上げ、それを観光資源に転換する「非物質的な新しさ」であるべきだと改めて気づかされた。
 
「非物質的な新しさ」を取り入れた第一人者として、西武百貨店の創業者である堤清二氏が思い浮かぶ。彼は「幸せな働き方と暮らし方がこれからの文化を作る」というコンセプトのもと、消費文化の新たな形を提案した。堤氏は美術館や劇場をデパートに組み込み、物質的な消費に頼らない、より豊かな暮らしを追求した。その試みはバブル崩壊とともに終焉したが、彼の哲学はMUJIなどに受け継がれている。

 
こうした考えを北川さんに伝えるために、私は真鶴出版のエピソードを紹介した。真鶴出版が運営するゲストハウスは、旅館とは異なる業態ではあるが、重要なのはその違いではなく、経営者が自らの体験や思いを発信し、それをもとに「まち歩き」を通じて地域の哲学や魅力を伝えるという点だ。このアイデアを受けて、北川さんは「旅館大村屋」のホームページに「暮らし観光」を掲げ、まち歩きの取り組みを開始した。

ビジネスモデルやしくみばかりに頼っていると、どうしても流行りに翻弄されてしまう。しかし、それを乗り越え継続するには、哲学や物語が大切だ。特に、AIが進化し、地域の均質化が進む現代だからこそ、個人の思いや体験がますます重要になってくる。

結局のところ、観光の本質は単なる施設やハードの充実ではなく、その地域で暮らす「人」と彼らが紡ぐ「物語」にある。それが、これからの時代に求められる観光の在り方ではないだろうか。

うれしの宣伝部まち歩き@ select fashion Asahiya





うれしの宣伝部まち歩き@旅館大村屋


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