見出し画像

お金について、書いている【全文公開】

本記事は全文無料公開しております。価格表示についてはただの字数に応じた設定です。投げ銭とでも考えていただければ幸いです。
『Core Magazine』購読で購読月の有料記事は月額980円で読み放題となります。購読月以外の有料記事は別途購入となります。

最近、お金についてよく考えている。

と言っても、資産運用の話ではない。お金とは何なのかという話である。

生きていくのにお金が必要なのはもうどうしようもないことで、その程度のお金は稼がざるを得ないことは理解しているが、「価値をお金に換算する」ことへの違和感は、物心ついた頃からずっと、ずっと、消えない。経済学をちょっと聞きかじった程度では、それはもう、全然消えない。

お金というのは、「交換」という営みを定量化させた素晴らしい発明なのだろうとは思う。でも、交換を担保したにとどまらず、お金ありきの金融という世界まで作り出し、いまや世界の実体を逆に上書きしている。

たとえば、ピッタリ10,000円で買えるものを並べて、それらが全て「等価値」であることを実感として認められる人は、一体どれほどいるのだろうか。ほとんどの人は、「等価格」であることしか認められないだろう。つまり、ほとんどの人は、潜在的に、「等価値と等価格は同じ意味ではない」ことくらいはわかっているのだ。それなのに、需要だ供給だと言いながらこの世の全てを「お金で塗り絵する」ことから、誰も脱却できないでいる。ほぼ全人類が、価値ではなく「価格」に支配されて生きている。価値観という言葉を使わず「価格観」という言葉を使って欲しいくらい、皆が「価格」で暮らしている。

モルディブの青い海に浮かぶコテージで、美味しい海の幸を食し、スキューバダイビングを楽しみ、日に焼けた肌の火照りを冷ます熱い夜を過ごす。そんな生活を不労所得だけで悠々とこなす。これは、はたして「価格観」からの解放なのだろうか。ここで得られるものは、お金では買えないプライスレスな価値だろうか。

そうではない。

これはお金で買える対価すなわち「価格」の話である。何故って、この生活に求められているのは札束だけだからだ。人類の敵のような世界的犯罪者であっても、預金残高さえあればこの暮らしはできる。犯罪者云々の話はさておき、皆さんも「こんな生き方」に多少なり憧れを抱いているのではないか。憧れたから悪いなどと言っているのではない。できるならそんな暮らしをしてみたい、少なくとも、いざとなったらそんな暮らしができる経済力は持っていたい、と誰もが皆感じているだろう。それが資本主義の結論だからである。そう感じない人間がいたとしたら、相当に頭がおかしい。

しかし、頭がおかしいことは、何かを変える原動力としては重要なことであるかもしれない。これは、建前とかではなく、本当に僕はそんな生き方には微塵も憧れていない。正確には、憧れないというよりも強い違和感がある。ただラクに楽しく幸せに暮らしたいのは僕も同じだが、違和感がその道を突き進むことに「待った」をかけてしまう。いまその辺のことをなんとか言語化しようと試みているのだが、正直、かなり難航している。これまで書いてきた文章の中で一番難しさを感じている。でもここを乗り越えない限り、未来を語ることはできないとも感じている。僕の頭のおかしさは、力を得ることではなく強いて言うなら力を放棄するのに近しいものであるから、丁寧に言語化しないと「自分」の何もかもを放棄することになりかねない。僕は決して未来を放棄したいのではないのだ。未来のために僕達は何を放棄すべきなのかを考えているのだ。だから、もう少しだけ待って欲しい。

しかし、そんな言い訳をしながら、ふと思う。未来? そもそも未来とは何だろうか。僕も本当はよくわかっていない。よくわかってはいないが、少なくともお金で買えるものではないことだけは確かだ。

僕は札束ではなくペンを握りしめる。

ここから先は

0字

¥ 100

私の活動にご賛同いただける方、記事を気に入っていただいた方、よろしければサポートいただけますと幸いです。そのお気持ちで活動が広がります。