ゴールの設定という話

このところ興味の範囲や嗜好が変わってきたのか、今までにないものに興味を惹かれることがありました。

その一つは「歴史」です。

といっても、戦国時代とか縄文時代とかそういった話でなく、地域の例えば村史のようなものが面白いです。

世代的にも、明治~昭和にかけて突っ走ってきた先輩方の孫辺りにあたるんですかね?生まれて物心つく頃にはバブルが弾けてずっと低成長時代のような世代で、ちょうどじいちゃんばあちゃんが亡くなってきて記録が途絶えるような頃であり、完全に個人の感覚ですが2010年頃からあちこちで記録として冊子などが編纂されているのかなと思っています。

仕事柄で、農協の傘下の任意団体の解散に関わっており、団体の歴史を調べてみるとこれがまた面白い!明治頃からの土地の状況や戦後食糧難だったころ地区全体で協力して「やるぞやるぞ」で寝る間もなく進んできたそれこそじいちゃん世代。激しく衝突しながらも地域全体で目指すべき目標がありすごいエネルギーがあったんだなと想像ができるような話がたくさんあります。

高度成長時代が過ぎ、食料自給率も下がり飽食、人手不足、高齢化、施設の老朽化・・・当時の目指すべき目標が達成されたのか、時代が変わって目標自体がなくなったのか、とにかく完全に衰退していて私が今年から関わっているのは歴史あるその団体の解散について。

こんな全く知らなかった若造でも、その歴史をちょっと知るとなんだか寂しい気持ちになるので、当事者の方々はどんなお気持ちなのか・・・

面白いと言ってしまうのは語弊がありますが、興味を惹かれるし感情を動かされました。

思うのは、当時は誰もがイメージできるような目標として、3種の神器だとかマイホームだとか車だとか欧米化だとかがあって、「とにかく成長するんだ」という熱気があったのでしょうね。なんとなく想像できるようなできないような。

比べる意味はないかもしれませんが、現在はどうでしょうか。

流行りは「みんな違ってみんないい」ということで個が尊重される時代で、当時は個ではなく集団や会社、国全体の方が優先されていたんですかね。

本当に勝手なイメージですが・・・
昔:明確な目標があり、個を犠牲にしてでもみんなで突き進んだ。身を粉にして働いた。結果的に国全体が経済成長できた!
今:明確な目標がなく、誰も提示してもくれないので個々に目標を立ててお互いに尊重をしながらそれぞれの方向に成長していく!

ある一面を切り取った見方だとは思いますがまぁまぁ合っているのではないでしょうか。

どちらが幸せかは一概には言えませんが、昔の方が悩みは少なかったかもしれませんね。ゴールが決まっていれば、辛くても走り切れるのが人間ですし。
今はゴールの設定を自分でするので、明確にそれがあったり仮にでも設定できる人は進んでいけるし、できない・そもそも設定しようとも思っていない大多数の人はゴールがないまま走らされ続けている状態で、ある意味これって拷問ですよね。もちろん本人にも周りにも自覚はないのですが。

思わぬところまで話が進んでしまいましたが、そう考えると歴史が面白いというよりは、当時のエネルギーというか熱量に触れるのが面白い感覚ですね。洪水のように一気に壁を突き破って進んでいくような。
今は流入がなくなって湖沼になって流れもせず溜まっているような、行き場を見いだせずに熱量を無駄にもてあそんでいるような感覚です。

だから昔の方が犯罪とか自殺とか少なかったんじゃないですかね?あったにしても理由が明確だったりしたのが、今は理由を聞いてもよくわからないような犯罪や愉快犯みたいなものも増えているんじゃあないでしょうか。

仮にでも漠然としたものでも、ゴールの設定って大事ですね。

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