「パトリックと本を読む」を読んだ
「パトリックと本を読む:絶望から立ち上がるための読書会」 ミシェル・クオ 白水社 を読んだ。
人生と社会のどん底から抜け出すための読書会
罪を犯したかつての教え子を救うために何ができるか。読書の喜びを通して、貧困からくる悪循環にあえぐ青年の心に寄り添った法律家の記録。
ハーバード大学を卒業した著者は、ロースクールへ進む前に、アメリカ南部の最貧地域の町で2年間、ボランティアの教師となることを決める。だが、劣悪な環境で育った黒人の生徒たちに読書を通じて学ぶ楽しさを教え、誇りを持たせたいという著者の理想は、最初からつまずく。読書以前に、生徒たちの読み書き能力は年齢よりはるかに劣っていたのだ。自治体に予算がなく人々に職のない小さな町で、生徒は将来を思い描けず、学校は生徒を罰することしか考えていない。それでも著者の奮闘の甲斐あって生徒たちは本に親しみはじめるが、当局の方針によって学校が廃校になってしまう。
ロースクールへ進んだ著者はある日、もっとも才能のあった教え子、パトリックが人を殺したという知らせを受ける。数年ぶりの彼は読み書きもおぼつかず、自分が犯した過ちに比べて重すぎる罪に問われていることが理解できていなかった。かつての聡明さを失った姿に衝撃を受けた著者は、拘置所を訪ねてともに本を読むことで、貧困からくる悪循環にあえぐ青年の心に寄り添おうとする。同時にそれは、ひとりの教師・法学生の自己発見と他者理解をめぐる、感動的な記録ともなった。
(白水社より)
環境と教育は大事だけど、子供には選べない。これは、アメリカだけではなく、どこの世界でもそうだと思う。
この著者は、教師としては、パトリックの前から去ったが、個人として、読書を通して、彼を救おうとする。
読書会をした期間も限られてるし、その後のパトリックが幸せな生活を送れていたかというと、重罪犯であることは変わらないので、苦しい生活環境ではある。
ちょっと、自己陶酔感が漂う文章だし、ずっと親身に寄り添って生きているわけでもないので、著者の行動が、どれだけの影響を与えたのだろう…とうがった見方をしてしまう私がいる。刑は軽くなったけどね。
しかし。
社会(システム)や環境を変えることは難しい。みんなを救うなんてムリ。
でも、もし、身近な一人を気にかけることが出来るのなら。
そんな人が、人生のどこかに、ちょっとずついたら。
この世の中も、少しは生きやすいものになるのかな…
ということを、考えさせられる本でした。
ちなみに、
「あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室」寮美千子 西日本出版社
の方が、環境と教育の大切さを、ひしひしと感じたかな。
最近だと「ケーキの切れない非行少年たち」かもしれないけど、「あふれでたのは…」の方が100倍(当社比)良いよ。
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