出すと入る【奥の階段#16横浜モアーズ】
わたくしは商業施設の奥の方にひっそりとある、階段が好きである。
今回は、横浜モアーズの奥の階段
最近映画を観たり本を読んだりすることができるようになってきた。
今までも映画鑑賞も読書も嫌いなことではなかったので、興味がある分この作品観たいなとかこの本読みたいというものに出会うことはよくあった。だけどたまにしか映画をみれなかったり、とても遅いスピードでしか読み進められなかったり、そういう症状をしばらく抱えていた。
しかし最近になって、見たい映画を見つけると映画館に足を運び、そこでまた新しい気になる作品を見つけたり、家にいるときや移動中、すき間の時間で積んでる本を読み進めたりと、作品を鑑賞するという行為がしやすくなってきたということ実感しているのである。
このような変化が自分に起きたことは、色々な要因があるとは思うがひとつには、こうして自分の思っていることを文章にして書くということをしはじめたからではないかと思う。
頭の中で考えていることを出すと、新しい考えや感情を入れることがしやすくなるのではないかと。今までは出していなかったから、作品を観たり読んだりして、新しい物語や情報を入れにくかったのではないかと。
インプットとアウトプットはどっちもやるといいということでしょうか。
このような対になる行動をすることで、もう一方の行動をしやすくするということが他の事例でもできないか考えてみたい。
わたくしは、部屋の掃除が苦手である。もちろんきれいな部屋の方が好きなので、部屋の掃除をしたいという気持ちはある。しかしなかなか手を付けられないのである。
そこで、「部屋の掃除」の対になる行動で「部屋の掃除」を引き起こせないかを考える。
「部屋の掃除」と対になる行動とは何だろう。掃除の対極なのだから、散らかすことであろうか。部屋をモノで一杯にしたら、掃除をするだろうか。
たしかにどうしようもないくらいモノが散乱したら、仕方なく掃除をするかもしれない。
でもこれはアウトプットをするようになったらインプットできるようになったというのとは少し違う。
もっと出したら自然に入れられるようになったみたいな、当然の摂理として促されるというような、そういう感覚が欲しい。
「使ったら片付けなさい!」
そうだ、使ったから片付けるのである。
つまり部屋の掃除が苦手なわたくしは、部屋を使っているという感覚が足りていないのではないか?
ただ部屋に居るだけなのである。狭かろうと広かろうともっと部屋を使って生活をしているという、そういう意識で過ごすことで、自然と部屋の掃除はできるようになるのではないか?
ということで、まずはしっかり部屋を使って生活をするということから始めたいと思う。
こうしてまた、部屋の掃除の実施は見送りとなった。
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