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小松菜を頂く

隣に住んでいるおばあちゃんから、いつも沢山野菜をもらう。夏場はナスやゴーヤを頂いたが、今回は小松菜だった。

「小松菜が大きなってん」と言いながら、私に渡す分の小松菜を2〜3束収穫する。遠くから見てても、かなり大きな小松菜で、2束手に持っているおばあちゃんの姿を見ただけで、すごい量に思えた。

小松菜は塩を揉み込んで、一夜漬けにすると良いとおばあちゃんから伺い、早速小松菜を水で洗い、調理するために土を落とす。

塩揉みをするまでの約2時間ほど、食卓の上に小松菜を置いていた。その間、私は洗濯物などの他の家事を行っていたのだ。ふと、通りがかりに食卓の小松菜を見ると、水で洗ったはずの小松菜に虫が付いていた。
明らかに、家の中にいるような虫ではない。少し観察してみると、ブンブン飛ぶような虫ではなさそうで、私がじっと観察している間もムシャムシャと小松菜を食べている。

虫なら虫らしく、人間の気配を感じたら逃げたりしないのかな、と思いつつも、虫はひたすらに小松菜を食べ続けている。どれだけ見ても、全く私の存在に反応するような素振りをしない。

ひたすら小松菜を食べ続ける虫とそれを見続ける私。

ずっと食べている様子を観察していると、どんどん虫が小松菜を食べている様子が優雅に見えてきた。何故だか、それと同時に腹が立ってきた。
自らの存在が無視されているかのように感じる事に腹が立つのか、ずっと彼らのペースが保たれている隔世感とそれに伴う優美さに腹が立つのか…。本来、虫の脅威とも言える人間が近くにいるのに、虫の行動や世界に介入出来ない事に驚きと苛立ちを感じたのかもしれない。私はずっと人間と虫が出会えば、虫は逃げたり、慌てふためくものだと思っていた。しかし、今考えれば、それは人間の傲慢さでしかなかったのかもしれない。

そんな事を考える間も彼らはずっと小松菜を食べている。自らの存在に反応してくれない事に苛立ちを感じるのは人間の傲慢さである。本当は取って外に出してあげたら良いだけの話なのだ。虫を殺すのは可哀想。そんな事は知っている。頭の中でグルグル考えながらも、しっかりと私は小松菜をぬるま湯に浸け、虫を殺していた。

恐らく、畑で収穫した時から付いていた虫なのだろう。しっかりと汚れも落として、おばあちゃんオススメの一夜漬けを作ってみた。小松菜はほうれん草よりも栄養価が高いそうだ。

一夜明け、冷蔵庫で保管した小松菜の一夜漬けを食べた。私の調理方法が悪かったのか、そこまで感動することもなかった。なんとなく、これを副菜として食べ続ける自信はなかったので、サラッと茹でてナムル風にする。これで今週の副菜はバッチリ。

ふと、冷蔵庫にある残りの小松菜を見る。残りはお浸しかな〜と思いつつも、何度見てもその大きさには驚く。スーパーで売っている小松菜の2倍ほどの大きさだろうか?

小松菜は育てやすい野菜だと聞いた為、私の畑にも植えていた。しかし、種まきから約1ヶ月経とうとしている今でも芽は出たものの、あまり成長はしていない。
小松菜だけでなく、他の野菜も同じような現象が発生していた。単純に間引きをもっと大胆にするべきだったのか、土の栄養価の問題なのか…。うーむ、と悩みつつも、思い当たる節を1つづつ潰していく他ない。

暑い夏から一転、どんどんと秋めく様相に野菜作りと並行して、いよいよ冬支度と春に向けての準備を進める必要がある。
私の畑の課題である土壌改善は、まさにこの冬に行うべき一大イベントであるが、その準備は暖かい今のうちから始めるべきだと、最近知った。周りの農家さんを見ても、少しづつではあるが日々動き続けている。まだ一休みというには早すぎるようだ。

久しぶりに王将で夜ご飯を食べる。学部の時はよく大学近くの王将で同級生とご飯を食べたものだが、いつぶりだろうか?
一緒にご飯を食べていた人に、お酒は飲みますか?と聞かれた。飲めますよ、と答えそうになったその瞬間に、帰りは車を運転することを思い出した。「すみません、今日車なんです~」と答えると同時に、これが車に乗り始めて、初めて言った記念すべき断りの言葉だった。

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