身から出た錆と神様の御業

皆さんこんにしだ!
今日の話も考え方シリーズです。
人生で何かが起きた時、皆さんはどのように捉える習慣がありますか?
特に何か自分にとって悪いことが起きた時。「身から出た錆」なんて言葉もあります。すなわち、その目の前の悪いことは過去の自分の行いや考えによって生じたものであるという考え方です。
これの良い所は、自分の人生を見つめ直して改善しようと思えることです。
ただし一見理にかなっていそうな理論ではありますが、デメリットもいくつかあります。
それは目の前の悪い出来事と、自分の過去のどの行いがリンクしてるかなんて、人間には分からないということです。
思い当たる節があったとして、しかしそれが正しい根拠というのはどこにもありません。
この地球には70億人の人がいて、社会では沢山の要因によって影響し合っていますから、とにかく世の中は複雑極まりないのです。そんな中で生じた無数の出来事を因果関係を結ぶなんて、きっとどんな性能の良いスパコンでも計算できないほどでしょう。
そしてこれのさらにデメリットが、自己否定や自己嫌悪に繋がってしまうことです。
因果関係が分からない物事に関して勝手に結論づけて自己否定に繋がってしまっては、とんどん負のスパイラルに陥ってしまいます。
ただし、だからといって「全ての物事は完全に偶然だ!!」と割り切ってしまうのも良くはありません。なぜなら、人は理不尽に起こった物事ほど「なんで!?!?」というモヤモヤと怒りが生じて、さらに負のエネルギーを増長させてしまいかねないのです。
自分の過去の出来事と結び付けずに、でも完全に偶然に割り切らない方法があったらきっと理想ですよね…
そこでちょうどいいのが、「神様の御業」という考え方です。これは神様である必要はないので、天の御業でも仏様の御業でも大丈夫です。
神様の御業と思うことによって、「なんで!?」と思うことはあっても最終的に受け入れるしかありません。神様に歯向かうことになったり神様のやったことに対して否定することになってしまうからです。
ですからそういった物事が起こったことに対する否定が起こりづらく、なおかつ「神様が行ったことだから、何か意図があるに違いない」というポジティブな意味合いも見出すことができます。
そして自分の過去から引き出されたものではなく、他の場所から急遽生まれた物事と捉えることができます。

まとめますと、何か自分が理不尽なことに巻き込まれてモヤモヤが収まらなかったら、これは神様の御業だ!!と割り切ることも大切かもしれません。
その後に良いことが起こった時に、「これもきっと神様の御業だ!」と、神様に感謝できるというメリットもあります。

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