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必 殺 に し き あ な ご 突 き 【2/5】

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 翌日の朝、あたしは8時15分に学校の最寄り駅に着くその電車の、前から4両目の中にいた。

 そのことを裕子に知られたりしたら、やっぱりあたしはその場で舌を噛んで死んだだろう。

『ああ、あたしっておかしい?…………ねえ、おかしい?』

 あたしは頭の中で何度も自分に問い続ける。
 そして、すし詰めなこと以外は平和極まりない車内で、ひとり嫌な汗をかいていた。

 この車輌の中に、万が一、億が一、あたしの心を読める超能力者が居て、あたしがわざわざこの車輌に乗り込んだ理由を見透かされたらどうしよう……

 そんないかにも処女らしい自意識過剰な思いが頭をよぎる。

 思い出すとほんとうにバカみたいだけど、そもそもあたしがその車輌に居ること自体がバカまるだしだった。

 電車が何の問題もなくひとつ駅を通り過ぎていく度に、あたしはますます消え入りたいような、頭を掻きむしって大声で叫びたくなるような、どうしようもない恥ずかしさを感じた。
 
 だいたい、あの裕子が昨日のお弁当の時に話した、くだらない噂のたぐいの話だ。

 裕子がいつも語って聞かせる「痴漢体験談」だって、実のところ本当なんだかウソなんだかわからない。

 まあちょっと電車の中で触られた、くらいのことは本当にあったのかもしれない。
 でも、それを裕子が面白おかしく、大袈裟に誇張してあたしに話して聞かせてることだって有り得る。

 おおいに有り得る。

 裕子には前からそんなところがあって、人を面白がらせるために(聞かされるあたしはちっとも面白くともなんとないのだけど)全く意味のない、無害なウソをつくところがある。

 自分で言うのもなんだけど、バカ正直なあたしはいつもそれに乗せられてしまう。
 
 という訳で今、いつも乗る電車とその後のもう一本を見送って、この電車に乗っているというわけ。

 ああ、ほんとうに、ほんっとうにバカだ、あたし。

 満員電車の中はどこまでも平和で、いつもと変わらず……
 その平穏さがあたしを嘲笑っているように思えた。

 この電車を降りたら真っ直ぐにトイレに駆け込んで、冷たい水で頭でも冷やそう。
 そして出来るものならこの電車に乗り込んだという記憶自体、自分の中から消し去ってしまおう。
 

 そう思っていた矢先だった。
 

 ちょうどあたしの正面に、あたしに押しつけられるような形で別の学校の制服を着た女子高生が立っていることに気づいた。

 それまで自分のバカさ加減を自己批判することに精一杯で、彼女のことにはまったく注意を払っていなかったのだけど……

 よく見るとその子は、びっくりするくらい綺麗な子だった。

 信じられないほどきれいな白い肌に、切れ長の目、実に利発そうな眉の形。

 鼻筋もしっかり通っていて、唇は小さく上品で瑞々しい。

 前髪が少し長めだったけど、そんな気を遣ってなさそうな髪型がばっちり似合っている。

 いや、ほんとうにごく希だけど、こんなにかわいい子が世の中にいるんだ……。

 少なくともこんなにかわいくて綺麗な子は、あたしの学校には居ない。
 
 その子の真っ黒な黒目が、じっとあたしの目を覗き込んでいる。
 
 あたしは何だか、目のやり場に困ってしまった。

 いや、あたしにそういう気はまったくないんだけど……あんまりにも恥ずかしい理由でわざわざ電車を2本遅らせてきた、この愚かバカマヌケな自分を過分に恥じていたせいだろうか。

 そんな時に、知らない美少女に見つめられるというのは、どうしようもなく決まりが悪かった。

 あたしはわざと彼女から目を逸らそうとしたが……目を逸らしても3秒後には気づかぬうちに彼女の顔を盗み見ていた。
 
 彼女はなんだか、とても困った顔をしていた。

 きれいな形の眉の根元が、彼女の美しい顔に悩ましげな陰を作っている。

 ちらちらとその表情を盗み見ながら……あたしはその子のそんな表情が醸し出す何とも言えないいかがわしさに惹き付けられていく。

 そんな気分になったのはそれが初めてだった。
 こんな綺麗な子と、こんなにも身体を密着させたのも初めてだ。

 胸がどきどきしてきて、あたしの身体からはさらにいやな汗がにじみ出てくる……ああ、この子にあたしの汗が匂わなければいいけど、とあたしはまた自意識過剰などうでもいい事を考えていた。
 
 と、その子の上品そうな唇が、微かに震えているのが見えた。
 
 あたしはなんとなく……
 世の中の痴漢の気持ちが理解できるような気がした。

 裕子をなで回したがる痴漢の気持ちだけはどうしても理解できないけど……もしあたしが男で、そして自制心と理性と社会倫理感覚を持ち合わせていなかったとするなら……こんな綺麗な女の子と身体をぴったり身体をくっつけ合わせて、妙な気を起こさずにおれるかどうか、ほんとうに疑問だ。
 

 何というか……その瞬間、あたしは心で勃起していたといってもいい。
 

 その子はますます困った表情を浮かべながら、唇をわなわなと震わせ始めた。

 彼女は真っ直ぐあたしを見つめながら、ゆっくり唇を開いた。

 白くて小さな、綺麗な前歯が見える。
 まるで小さな花がゆっくりと開いていくみたいに。

 その子の口は、開いたかと思うとゆっくりと閉じ、また開いて閉じる。

 その動きの美しさにみとれていたせいで、その子があたしに何かを訴えようとしていると気づくのに、しばらく時間が掛かった。

「え?」あたしは思わず、その子に呼びかけた「……何?」

 その子に耳を近づけて、声を聞こうとする……
 が、やはり声は聞こえない。
 
 必死で声を出そうとしているが、声が出ない。そんな様子だった。
 と、あたしの頭に昨日裕子から聞かされたバカ話が蘇ってきた。
 
 “それをされると、身体が痺れて指一本動かせなくなって……声も出せなくなるんだって……”
 

 まさか。
 

 あたしは注意深く、その子の唇を読んだ。
 

 ””彼女の唇が開く、そして萎れるように窄まり、“”の形になる。
 次に、吸い付きたくなるような(何言ってんだ、あたし)可愛いピンク色の舌が覗く……“”?………もう一度、彼女の舌がその前歯の上を辿った……“”。
 

 “たすけて
 
 彼女はあたしに、ほかでもないこのあたしにそう言っていた。


 あたしは注意深く、それまでいやというほど惹き付けられていた彼女の顔から、その下に視線を落とした。

 彼女の身体から漂ういい匂いがふあっと舞い上がってきて、一瞬くらくらする。

 とても華奢な身体だった……紺色のセーターも、あたしが来ているようなビロビロではなくて、しっかりと身体の線に合ったものだ。
 その深い紺色が、その身体全体の線の細さを際立たせている。
 
 あたしはまた見とれてしまうところだったが、ようやく彼女が置かれている危機的状況に気づいた。
 
 そのセーターの表面が、もぞもぞと動いている。

 まるで彼女の服の中に紛れ込んだ中位サイズのカニが二匹、布地の下で蠢いているみたいに。

 そのカニの一匹は彼女の脇腹のあたりで停まってもぞもぞと動き……もう一匹は………Vネックのセーターの襟元の下に腰を据え、やはり同じ腰にもぞもぞと動いている。

 これは……痴漢だ。

 頭の鈍いあたしはようやくその事実に気がついた。

 彼女は背後に立った何者かに、セーターに手を突っ込まれて上半身をまさぐられているんだ。

 彼女のセーターの中に潜り込んだ手が、ごそごそと動き回ってセーターの布地に奇妙な凹凸を作る。

 生まれてはじめて目の前で見る痴漢だった。

 あたしは顔を上げてまた彼女の顔を見た。

 彼女はますます眉間を悩ましく寄せ、縋るような視線であたしを見ている……声の出ぬ唇をゆっくりと動かしながら……“たすけて”を繰り返している。
 
 いや、これは非常事態だ。
 黙ってぼんやり見ている場合じゃない。

 何とかしなければ……何とかしなければ……

 あたしはそう考えながらも、彼女の切なげな表情を堪能せずにおれなかった。

 何とかしなければ、助けてあげなければ、というのは、あたしの理性の声だ。
 しかしなぜかあたしはそれに従うことができなかった。
 

 あたしの心は、その時点で完全に勃起していた。
 

 ピクッと、彼女の眉根が上がる。

 身体は動かないが、目を動かすことは出来るらしい。
 黒目がちな目が、足下を向く……あたしもそれにつられて、下を見た。

 彼女のセーターの中から撤退した2本の“手”が見える。

 ぞっとするほど骨張っていて、ミイラのように干からびた手のひら。
 慌てて彼女の後ろに立っているその手の持ち主の顔を見ようとしたが、その人物は極端に背が低いのか、それとも頭を思いっきり屈めているのか、顔をはっきりと見ることはできない。

 ……しかし、彼女の肩口からは、くしゃくしゃの白髪頭が覗いていた。
 まるでタンポポだ………つまり彼女の後ろに立っている男は、老人だった。
 それもかなりの高齢の。
 
 “噂だけどね、その『“必殺にしきあなご突き”使い』は、大昔から、10年ごととかに現れるんだって”
 
 そう言えば、裕子のバカ話の中に、そんな部分があった。
 ……いや、それにしてもまさか……
 
 老人の手は、彼女のスカートの腰まわりからブラウスの裾を引き上げ、外に出し始めた。

 それでも彼女はまったく身体を動かせず、切なげな表情と、声のない叫びだけであたしに助けを求めるばかりだ。
 
 老人は彼女のブラウスの裾を完全に外に出してしまうと、今度はそれをゆっくりとたくし上げはじめる。

 彼女の白い平らなお腹と縦型のおへそが露わになり、あたしの目は飛び出しそうになった。

 老人の指が伸びて……その可愛らしいお臍に触れる。

 ぴくん、とお臍が収縮するのが見えたような気がしたが……気のせいだろうか?
 
『助けてよっ! ……助けてったらっ………』

 彼女が声を出さずにあたしに訴えかける。
 しかしなぜか……あたしの身体は動かなかった。

 正直に言おう。

 こんな綺麗な子が満員電車の中、公衆の面前で萎れきった老人に辱められようとしている………その成り行きを見届けたい………あたしの心を、そんな反社会的かつ超変態的な思いが支配していた。

 最低だと思う。もし、そんな目に遭ってるのが自分だったら?

 最低。最悪。人間のクズ。

 いまだってこときのことを思い出せば、あたしは舌を噛んで死んでしまいたくなる。
 

【3/5】はこちら


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