妹 の 恋 人 【11/30】
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「ねえ、君、ここに越してくる前、学校の先生にレイプされたんだって?」
いきなりそう声を掛けられて、わたしの中の回路が自動的に戦闘モードに入った。
我ながらなんて好戦的な性格なんだろうと思うけど、そのような性格であることで回避できた危険は多い。
ふと見ると……汚い垢を塗り固めて作った垢だるまのような男がそこに立っていた。
たるみきった大柄な体を、歯磨き粉らしい白い染みや食べこぼしと思われる染みがいたるところについたペパーミントグリーンのジャージで包み、垢じみたどてらを羽織っている。
寒がりなのかそうじゃないのか訳がわからないが、男は首にマフラーをぐるぐる巻きにしながら素足にゴムサンダルを履いていた。
その素足は毛深く、正視できないくらいに汚れている。
風向きが変われば、その男が全身から出している悪臭がこっちに漂ってきそうだった。
髪の毛はボサボサで、やはりそれも油染みている。
多分、ここ数年床屋に行かずに自分で髪を切っているか、もしくはこの世の中に床屋というものが存在するのを知らないかのどっちかだ。
顔はニヤけていて、ニキビ跡を覆い隠すようにびっしり無精ひげが生えている。
いったいいくつなのか、年齢の見当というものが全くつかない。
二〇前だと言われればそのようにも思えるし、四〇過ぎと言われたら納得してしまいそうだ。
よく、テレビのニュースなんかで容疑者の特徴について、『目撃された男は二〇代から四〇代の男性……』という表現をよく耳にするが、いったいそんなに年齢が読めない男というのはどんな奴なんだろう、って思っていたけど……やっとわかった。
こういう奴のことを言うんだ。
とにかく関わり合いにならないに越したことはないタイプの男だった。
夕刊を取りに外に出ていたわたしは、回れ右をして男に背を向けた。
男がまた、わたしの背後から声を掛ける。
「…………あ、ごめん。おれ、江田島ってんだ。隣に住んでんの。よろしくね」
わたしは彼を無視して、そのまま家に入ろうとした……隣に住んでる?
冗談じゃない。
わたしは早くも引っ越したくなった。
ドアノブに手を掛けたとき、わたしが無視を決め込んでいるのにも関わらず、男はさらに続けた。
「ごめん、急にへんな事言って。おれ、あんまりこんなこと人には言わないんだけどさ、小説家を目指してんのよ。大学出てからずっと」
「それがどうかしたんですか?」あたしは男に振り返って言った。「わたしに関係のあることですか?」
作家を目指してる?
まあ……よく居るよね、こういう男。
司法試験合格目指してるとか、公認会計士目指してるとか、社会福祉士目指しているとか言って、働きも勉強もせずに、ずっと親に寄生して生きている奴。
それを聞かされたからといって、わたしの不快感が払拭される訳じゃなかった。
それどころかわたしの不快感は倍増し、警戒心は四倍増しになった。
「……あのさあ、回覧板持ってきたから」確かにそいつ……江田島は右手に回覧板を持っていた。そして左手には、ケーキボックスを持っている。「……それで、駅前の喫茶店でシュークリーム買ったんだ。一緒に食べない?」
「……はあ?」
冗談じゃない。あほか。
「……君がお隣に越してきたときから、ちょっとお話したいと思ってたんだ。今、家族の皆さん、お留守でしょ? ちょっと君の家で、お話しない?」
異常なほど厚かましい奴だ。
一体何なんだ、このサナダ虫野郎は。
「おれ、今、新しい小説書いててさ、その中で、先生にレイプされた女の子の話が出てくんの……まあどうでもいいだろうけど、ちょっとそのへんに関して、君に取材したくてさ。別に、へんなつもりは、まったくないから……ね、いいじゃん。ちょっとだけだからさ」
「違います」わたしはぴしゃりと言った。「それは妹です」
「はあ……」江田島はわたしの顔をじっと見て言った。そっと怖気が背中に走った。「そうかあ…………双子なんだ。ウソみたいにそっくりだね。ほんと。瓜二つだよ。全然見分けがつかない。なんで見るたびに髪型が違うんだろうって思ってたんだ。じゃ、髪が長い方が妹さん?」
「……じゃあ……これで」
わたしはくるりと背を向けて、家に入ろうとした。
と、玄関の中に入ってドアを締めようとしたとき、なんと江田島の手がそれをくい止めたのだ。
「なんなんですかっ!」わたしは怒鳴った「大きな声出しますよっ!」
「ふうん…………」江田島は首だけをドアの中に入れて言った。やはりその口からは、強い異臭がした。「ねえ、君の妹さんに起こったこと、まだこの街じゃ、誰も知らないよねえ?」
「だ、だからなんなんですかっ?!」
「……秘密なんでしょ、それ」
江田島がこのうえなくおぞましい笑みを浮かべる。
そして、わたしのつま先からてっぺんまでを舐め回すように眺めた。
「……か…………関係ない……あんたには関係ないでしょっ!」
「……でも、おれ知ってんだ」江田島は言った。「……それが原因で君んちの家族、前の街からこっちに越してきたんでしょ」
「だから何だよっ!」
「……また引っ越したい?」江田島が笑った。歯くそがびっしりついた歯が覗いた。「言いふらされちゃっていいの?妹さんのこと、このへんの近所に……?」
「……なっ…………」
わたしは唖然とした。
人は見かけで判断すべきだ。
わたしはそのことを改めて認識した。
「な…………何を…………何を…………言ってんの?」
一瞬、唖然としたわたしがドアを締める手の力を緩めた、その時だった。
江田島が一気に家の中に入ってきて、後ろ手にドアを閉めた。
「出ていってよっ!」わたしは叫んだ。「警察呼ぶわよ! 大声出すよっ?!」
「無理すんなよ、いつもおれ、あんたの事見てたんだよ。あんたか、妹さんか、どっちか知らないけどさ、なんか、その…………なんていうか…………この街に越してきたばかりで、友達がいないはしょうがないにしても…………なんだか、ふたりとも、いつも寂しそうでさ。それは多分…………ふたりが何かを秘密にしてるからじゃないかな、と思ったんだ…………どう? 違う?」
「な、何だよっ! ……そ……それ……あんたになんの関係があるんだよっ!」
わたしは後ずさって段差につまずき、玄関の板間に仰向けに倒れてしまった。
履いていたスカートがめくれて、太股が露わになった。
江田島の目がすかさずそれを捉える……何を考えているのかありありとわかる表情だった。
奴はそれを目に焼き付けている様子だ。
わたしはあわてて仰向けに倒れたままさらに後ずさり、スカートを直して太股を隠した。
江田島はサンダルを脱ぎ散らかして家に上がり込み、四つん這いでわたしを追ってきた。
「やだっ! こ、来ないでっ! ちょっと! いい加減にしろよ! 警察呼ぶよ!? ほんとにっ!」
「寂しいんだろ…………な、寂しいんだろって…………」
あっという間に江田島に追いつかれた。
やばい。
これはまるでレイプじゃないか。
そう思った瞬間、江田島はあたしに覆い被さってきて…………歯くそまみれの自分の口で、あたしの口を塞いだ。
「んんっ…………!」
苦いような、しょっぱいような、生臭い液体があたしの口を満たした。
江田島の唾液だった。
生きた小魚をいきなり口に詰め込まれたみたいに、びちびちと江田島の舌があたしの口の中で踊った。
強い力であたしの両手首は床に押しつけられて、ばたばたと暴れる両脚は江田島の脚で押さえつけられる。
あたしは必死に抵抗した。
できる限り大暴れした。
しかし体の大きな江田島に押さえつけられて…………空しく床の上で身をくねらせるばかりだった。
やばい、ほんとにやばい。
このままではほんとうに、ガチでレイプされてしまう。
「んっ…………」
江田島があたしの口から口を放す。
よだれが……あたしと江田島の涎が混ざったものが、長く糸を引いた。
叫ぼうとわたしが口を大きく開けるやいなや、江田島は大きな垢じみた手であたしの口を押さえた。
「…………寂しいんだよ、おれも」江田島は言った。「…………あんたも、あんたの妹も……そうだろ? わかるんだ。はっきりと。おれにははっきりと、わかる」
あたしの腰のあたりに、それが当たっていた。
それは大きく、固くなって、江田島のジャージの布を突き上げ、そこからあたしのスカートの前を押さえている。
江田島のパンツ、ズボン、あたしのスカート、パンツという四枚の布を通して、それは…………
固さと……はっきりとした脈を伝えていた。
ピキン、と音をたてて、あたしの中で…………なにかのたがが外れた。
そうとしか表現できない。
そのせいでずっと動くことなく、埃をかぶっていたあたしのなかの沢山の歯車が、ゆっくり、確実に動き始めた。
ずっとオイルや冷却水をせきとめていた配管の中が久方ぶりに液体で満たされ、順調な流れをはじめ、あたしの全身に行き渡っていく。
あたしの中の機械はしだいに勢いを取り戻して……ずっと停滞していたすべてが軌道に乗り、通常運転しはじめた。
あたしは信じられないくらい意外で奇想天外なことを、自分の口が言うのを聞いた。
「………やさしくしてね…………」
【12/30】につづく
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