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セルジュの舌/あるいは、寝取られた街【10/13】

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 夢であってほしいと思った。
 これまで起きてきたことも含めて、すべて悪い夢であってほしいと。

 しかし、そうではない……これがすべての結果だ。

 どれくらい家の前で跪いていただろうか?
 5分間? 30分間? 
 いや、1時間か2時間は過ぎていたかもしれない。
 
 いつの間にか太陽は傾き、遠い山の向こうに消え、あたりは紫色のとばりに包み込まれてた。

 やがて、家のドアが内側から開く。

 中から出てきたのは千帆だった。
 黄色のパーカーにショートパンツ姿。
 ただでさえ色白な顔が、青ざめている。

「……千帆……」

恵介は顔を挙げて言った。

「お兄ちゃん?」

 千帆の声も緊張で震えていた。

「どうなってんだ? ……いったい、何がどうなってる?」

 千帆は恵介の方に歩いてきたが、表情は冷たかった。

「どうなってるって……だいたいわかるでしょ? 家にセルジュが着て、お母さんが家にいる……それで……だいたい、わかるでしょ?」

「……いつから? いつからこんなことに?」

 千帆の表情が、急に冷える。
 ふん、と千帆に鼻で笑われた。

  1. 「こ のまえセルジュが逮捕されたとき、そのことをあたしが話してたら……ママ、やたらセルジュのかばって、あたしのこと叱ったたよね? それまではあたしと同じよ うに、セルジュのこと、キモい、キモいって言ってたのに……お兄ちゃんにも言ってたよね? テキトーな噂ばっか広げるな、とかなんとか」

「……そ、そういえば……」

 確かにそうだった。
 確かに、セルジュの危険性に関して話していた恵介の言葉を、母は冷たく遮った。

“みんながどんな噂をしようと、それを広めないの! よけいな噂を増やさないの!”

 母の言葉を思い出す。

「あたしはあの日さ…………ママ、セルジュのこと好きなんじゃないか、とはっきり思ったよ」

「そ、そんなっ……そんなはず、ないだろ……?」

「鈍いよ、お兄ちゃん……いや、お兄ちゃんだけじゃなくて、お父さんも……なんだかんだ言って、結局セルジュのことなんか、自分とは関係ない、って思ってたんでしょ?」

「お前に……何がわかるんだ? おれがこれまでどれだけ……」

 恵介は千帆を睨みつけた。
 しかし、千帆は少しも怯まない。

「あたしは、この前、セルジュに脚をニヤニヤしながら見られたときから、ちゃんと家族みんなにヤバい、って言ってきたよ……お母さんにも、お父さんにも、お兄ちゃんにも伝わ らなかったみたいだけど……でもみんな、“どうせセルジュなんだから”って思ってんでしょ? “どうせセルジュなんだから仕方ない”て思ってんでしょ?」

「そ…………それはっ……」

 確かにそうかもしれない。
 返す言葉もなかった。

 千帆にはもう、何も言うことはない。
 言えるようなことも。

 なので、ここで千帆と言い合いをしていたところで、何の意味もない。
 恵介は立ち上がると、ズボンの膝についた埃を払った。

 そして千帆を押しのけて、玄関のノブに手を掛ける。

「中に入るんだ、お兄ちゃん……てか、入んないほうがいいと思うけど?」

「……ほっといてくれ……俺は、入る……」

 千帆のことを振り返ることなく、恵介は自宅のドアを開けた。
 首から下げていた一眼レフを……そっと靴箱の上に置く。

「……あっ、あっ、あっ、あっ……いやっ、せ、セルジュ、そ、そんなとこ舐めたらっ……わ、わたしっ……」

 いきなり二階から聞こえてきたのは、母の声だ。

「なンヤ、だんナさん、 ここ、 なめテくれ" エンのカイな……舐めら"れたこと、 なインかいな……?」

 言うまでもなく、セルジュの声だ。

「だ、だって、そ、そんなとこ、き、汚いっ……やっ……だ、だめえっ!」

 ラーメンを下品に啜り上げるような音。

「ほんマ おマエは ええけツ しトル" のお……骨盤がり" っぱで、どうドウと しタ おケツや……一人目のおニイちゃんも、 二人メ の オジョウちゃんも 安産 やっタんト チャウんかイ?」

「こ、子どもの、子どもたちのことは言わないでっ! ……あっ! あんんっ! そこだめっ……」

「その子どモ と 一緒に 暮ら"しテる家デ、 ヨソの男に イジり"倒されて こんなニ 感じマクって、喘ぎマクッとル" おマエ あ、 オンマもん の メス猫やのう……ほレ" 、ほレ" ガキ を ウたリ"もひり"出した、 とこ ガ ごっつ しメつケ とる"でえ……」

「あああああんっ! ……せ、セルジュっ! セルジュ、も、もっと!……」

 いまさら……恵介は特に何も感じなかった。

 よその家の前や、アパート、マンションの部屋の前で、散々聞かされてきた声と同じだ。

 セルジュの声はいつもと同じ。
 しわがれ声で、タンを吐くような“らりるれろ”の発音。
 奇妙なアクセントの関西弁……

 それに徹底的に陰湿に女の羞恥と背徳感を煽り、人格を踏みにじる言葉の数々。

 
 対して、それにノリノリで応えている女の声も同じだ。
 たとえそれが母親の声であろうと。

 結局みんな同じ。
 誰もみんな、同じだ。
 この町のみんなも、自分の母も。

 玄関口にあるコート掛けには、あの灰色のボロ切れ……
 セルジュが年がら年中着ているあの薄汚れた灰色のコートが掛けてある。

 それが放つ異臭も、恵介にはすっかり馴染み深いものになっていた。

「おマえの、娘も、すっかり" 女に 成長しヨッタのう……千帆、やったケな。ええ脚しとる" で、アレ"は」

「や、やめてっ……こんなときに千帆の名前なんか出さないでっ……うっ……くううっ……」
 

 ほんの少し、娘の名前を出されて狼狽した様子の母の声。
 しかし、その声もすぐ甘い鳴き声に引き戻される。
 
「ますます、しまル" で このエん態 ……どなイや 今度、千帆ちゃンと 一緒ニ、うチに遊びニ けえエン か? ……娘と一緒に 一晩じゅう 楽しもう や ナイか……」

「そんな、そんなこと言わないでっ! む、娘は、娘は許してっ……まだあの子は小学生なのよっ……んああっ!」

「そんナン 言いナガら" ますマス 締めつケとル" がナ ……もう、おたくラ" 夫婦の ベッドが ぐっしょリ" やガな ……」

「いやああっ……こ、こんな格好、恥ずかしすぎるっ……み、見えてるっ!」

 
 どんな格好なんだろう、と恵介は一瞬考えた。 
 しかしよく考えてみると、そんなことは想像してみたくもなかった。
 その場に踏み込んだとして、何が見えるというのだろう? 

 知りたくもない。

「ほな 息子さん のホウは ドナいや……あんたニ 似て、えら"イ カワイら"しい 顔しトル" やナイ か……あれ"、 ほんまニ ダンナと作った  コか? どこぞ男に 仕込んで モウた べつの と チャウんかい?」

「ち、ちがいますっ……恵介は、わたしとあの人の子よっ……あああんっ!」

 パーンと、柔らかい肉に張り手を打ち下ろされる音。

「あのお兄チャん わシ の こト つけ回しトる"ん ヤデ……一週間も ヤ。 家の近クから ずっと、カメら" 構えとったわ……わシ に よっぽド 興味あル"ん やナア……あいツ も わしノ 舌 で  ヒイヒイ 言わせ たロ" か? 千帆チャん も お兄ちゃン も 一緒ニ 連れ"テ うチ に 来いヤ ……4人で 一晩ジュウ 楽しもうヤ ない カ」

 パーン!
 パーン!
 パーン!

 連続して、柔らかい肉に張り手が打ち下ろされている。

「あああんっ! だめっ! そんなのだめえっ! せ、せめてっ……せめてわたし、わたしだけにしてっ…………わたしが、がんばるからっ! わたし、すべてを捧げるからっ……お願いっ……他の誰よりも、わたしを愛してっ!」

 また、肉に平手が振り下ろされる。

 そのあとは、もう聞き取ることすらできない。
 聞く気もなかった。

 二匹のおぞましいの慟哭が、我が家を占拠している。

 もう、どうしようもない。
 家も、この町のほかの家と同じだ。

 セルジュは止められない。
 セルジュはそのうち、この町のすべてを手にするだろう。

 セルジュはミッキーマウスだ。
 この退屈な町にとって。
 裕子が言っていたとおり。

 それまで呆然と玄関のたたきに立ち尽くしていた恵介は、ようやく靴を脱いで家に上がった。
 そのまま、台所に向かう。

 ミシミシ、ドンドンと、二階からは家全体を揺がさんばかりの音が響き渡っている。

 絡み合う二匹の獣の声と、そして肉を叩く音。
 恵介は流しにあった清潔なコップを手に取ると、水道水を注ぎ、一気に飲み干した。

 そして、流しの下の引出しを開け……一番大きな肉切り包丁を取り出す。

 これまで手に触れたことのない包丁だった。
 そのままキッチンから出て、リビングを横切ろうとしたとき……

「よおおお……恵介…………」

 包丁を手に、ぴたりと立ち止まる。
 ソファに、ぐでんぐでんに酔った父がだらしなく座っていた。

 テーブルには殆ど空になったサントリーの角瓶、握りつぶされたビールの缶が4~5個。

 禁煙して5年になるのに、灰皿にはうずたかく吸殻が溜まっている。

 テーブルにはブルーのタバコのパックが二つ……ゴロワーズ、セルジュがいつも吸っているものだ。

「なあ……その包丁で、どうする気だ?」

 恵介は答えた。

「父さんがやろうと思っていて……できないでいることだよ」

 父を見た。
 その目はどんよりと曇り、恵介の姿が見えているかもどうか怪しかった。


 包丁を手にしたまま自分を睨む恵介に、父は生気のない笑顔で応じた。

「まあそう言わず、座れよ……よければ一杯やるか? とりあえず、その物騒なもんをこっちに……」

触るな!

 ゆらゆらと伸びてくる父の手をかわそうと、恵介は包丁を持ち上げた。
 弾みで、刃が父の手の甲に当たる。
 ぴゅっ、と鮮血がテーブルに飛び散った。

「あ、いてっ……」

「あっ……ご、ごめん」

 父の手を切りつけてしまったことは、まったく意図していなかった。
 父は左の手で、手の甲を抑えている。
 ポタポタと血が絨毯に滴っていた。
 が、父は特段、ショックを受けている様子でも、さほど痛みを感じている様子もない。

「あぶないじゃないか、恵介。そんなものを振り回しちゃ……」血を流しながら父が笑う。「ほら、ここに座れよ、包丁をテーブルに置いて……な、立ってない で座れって」

 そう言って父は、ポンポンと自分が座っているソファの横を叩いた。
 恵介は……父を傷つけてしまった引け目もあり……しぶしぶ父の横に座って、包丁をテーブルの上に置く。

 そこではじめて気付いた……父がテーブルの下で、ズボンとパンツを降ろして、しなだれた性器をむき出しにしていることに。

 床には無数の丸められたティッ シュが散乱していた。

「と、父さん……何を……」

「あ、これかあ……ごめんごめん、こーいうのは、父親として隠しておくべきだったかな……パンツを上げる のを、すっかり忘れていたよ……わかるだろ? 上からあんな声聞かされてちゃ、収まりつかねーよなあ…………恵介、お前だったらわかるだろ? いちばんコレにハマる 年頃だもんなあ……」

 父の目はどんよりと曇っり、濁っていた。
 白目が黄色く、いくつもの血管が浮き上がっている。
 黒目は灰色で、白目のほうへ滲みだしているシミのように見えた。

「これは……セルジュからの土産だよ。“お前はだろ” うから” これ” で時間 ツブしとけ” ってさ……」

 血の滴る手で、父がテーブルの上のウイスキーと“ゴロワーズ”のパックを指差す。
 父はセルジュの口調をうまく真似た。
 そして、ひひひひひ……と力なく笑う。
 
「あいつは……いつから母さんと? ……っていうか、父さんはあいつと母さんのことを知ってたわけ?」

 父がビンを危なっかしい手で持ち上げ、6分の1ほど残っていたウイスキーをグラスに注いだ。
 手の傷から滴った血が数滴、瓶に落ちウイスキーの中に溶け込 んでいく。

 思わず、恵介は目を背けた。

 父はそれを、一気に飲み干して、「ああ……」とため息をつきながら天井を見上げ、ぐきりと首を鳴らす。

「知ってたよ……セルジュが警察から釈放されて、3日目だったかな……会社の帰りにスーパーに寄ったら……ガレージにうちの車が停まってたんだ」

「そ、そんなに前から?」

「……ああ」

 父はタバコを一本咥え、火をつけた。
 強烈な香りのタバコだ……セルジュの体臭を構成している、独特の香りのひとつ。

「そ……それで、どうしたんだよ?」

 父はニタリと笑った口から、タバコの煙を帯状に吐き上げた。

 そして傷ついた手を左手で握り、恵介の顔をじっと見つめる。
 ポタ、ポタ、ポタ……血の雫が、 絨毯に滴り続けている。

「……どうしたもこうしたもないよ……おれが遠くから見た時点で、うちの車が、激しくガタガタ揺れてたんだからな…………ていうか、車が弾んでた、つってもいい かな? ピョンピョンピョンピョン、車が跳ねてたんだ……まるでディズニーのアニメに出てくる、生きた車みたいに……」

「……で、父さんはどうしたの?」

 それでもうつろな笑みを絶やさない父を見て……
 恵介はどうしても、あの生ける屍のように萎れていた和男の父を思い出さずにおれなかった。

 絶望と無力感、それに対する自己憐憫と自己卑下が、人間をこんなふうに変えてしまうらしい。
 
 いずれ、父も和男の父と同じようになる……そして生きながら死んでいく。

「車に走り寄っていったさ……いや、あまりにとんでもない車の揺れっぷりだったから、実際に近くに寄るまで、父さんは何が起こってるのか理解できなかっ た……とにかく、母さんになにかが起こった、と思ったんだ……でも、車に走り寄っていくうちに……だんだん事情が飲み込めてきた」

「…………」

「ああ、車の中に、裸の女がいた。薄暗かったけど、フロントガラスから見えたんだ……素っ裸の女が、裸の背中と尻を揺らして、ぴょんぴょん跳ねてるのを……自分の家の車だろ? その中に裸の女が見えた……となると……それが母さんだと気づくのがあたり前だ……たとえ後ろ姿でもね。でも、最初、父さんにはわからなかっ た……というか、おれたち家族の車の中で、素っ裸になってぴょんぴょん跳ねている女が、母さんだということが、頭の中でうまく結びつかなかったんだ……」

 タバコを吸いながら淡々と語る父。
 恵介はまるで、まったく知らない男と話をしているような気分になった。
 声のトーンも、喋り方も……まるでいつ もの父とは違う。

 これは父の抜け殻だ。

「それ……で?」

「父さんは車から1メートルくらい離れて、車を一周して確かめた……車のちょうど横にくると、ドアガラスから、そのぴょんぴょん跳ねている女のおっぱいが 見えた……でも、髪の毛で顔が隠れてて、その女の鼻と口しか見えない。いつも母さんは髪を後ろでまとめてるだろ? ……そのときはあんまり激しく動いたんでほどけたか、自分でほどくかしたんだろうな……その鼻と、口と、二の腕と、おっぱいを横から見たけど、それが母さんだとはまだ断定できない……少なくともお れは……父さんは、そう考えた。で、車から一定の距離を保ちながら、どんどん車の後ろのほうに回っていった」

「…………」

 そのとき、父がどんな表情で車の周りをじりじりと回っていたのか、恵介にはとても想像できなかった。
 思い浮かべようとしたが、屈辱と怒りで身震いするばかりだ。

「ああ、車のちょうど後ろに来たとき、車のリアガラスに来たときだった……はっきりと、母さんの顔が見えた……っていうのも、母さんがあの大きなおっぱいを振り乱して、大きくのけぞったときに……母さんが髪をかきあげたんだ。見えた。はっきりと、母さんの顔が見えた」

「……そこではじめて……確信したの……?」

 恵介は自分の声が、かすかに掠れているのに気づいた。
 父はうなずき、話を続ける。

「母さんは汗まみれで、顔を 真っ赤にしていた……目は半開きでさ、唇からは、よだれがたれてた……一瞬、母さんと父さんは目を合わせた……そのとき、母さんがおれに気付いたのがはっきり わかった。ほんの一瞬のことだ……でも、母さんはおれから、視線を反らせた……そして、倒した車のシートに横たわっている男に……覆いかぶさって見えなくなった」

「それで……そんなことがあったのに……き、今日の今日までふつうに暮らしてきたのかよっ……!」

 思わず声を荒げていた。

「まだ続きがあるぞ……聞きたいか? そのまま父さんは、車の周りを回り続けた……」

もういい! もう聞きたくねえよっ!」

「そしたら、どうなったと思う? ぎしっと、さらに車が激しく揺れて、母さんがに、セルジュがになったんだ……セルジュはおれを見たよ……そして、ニンマリわらって、下になってる母さんに何か囁いて……」

やめろっ! もう言わなくていいって言ってるだろっ!」

 恵介はソファから立ち上がる。
 無意識のうちに、再び包丁を掴んでいた。

 と、二階から、さらに激しく大きな声が届いてくる。

  • 「あああっ……セルジュっ……セルジュっ! すごいっ……たまんないっ! ……に、にきてるっ!」

「ドナいや……ええんか……ええノンか……オンまに、子ども二人モ 産んだとア 思えエんカラ"ダや のう……亭主はアホやな……こんなエエかラ"だ、オったら"かしにしトルや なンて……」

「いっ……いやあっ……あの人が聞いてるのっ! ……下で聞いてるのよっ……そんなこと、言っちゃだめっ!」

「ナンボでも、聞かせたったら"エエや なイか……かラ"だは しょうジキや のう……」

「だめっ……そんなこと言わないでえっ……あっ、あっ、あっ、あっ、あああああっ!」 

 ギシギシと揺れる天井……ちょうどこのリビングの真上が、父と母の寝室だ。
 もう家が倒壊しそうだ。冗談ではなく。
 

 あれが母の声なのだろうか?
 泣き叫び、嗚咽し、ときおりつんざくような悲鳴をあげる……その声は、ほかの女たちと変わらない。

 セルジュに目をつけられたら、誰もがあんなふうになる……あいつは手当たり次第だ。

 人妻だろうと、学校の先生だろうと、小学生だろうと、あるいは相手が少年であろうと、ひょっとすると老婆であっても、もしくは成人の男だったとしても、 誰もセルジュから逃れることはできない。

 誰にもセルジュを止める力はない。

 セルジュに何かを奪われたら、それはもう奪い返せない……
 和男の父や、自分の父がそうしているように。

 まるでコンビニやスーパーで万引きするように、セルジュは人間をくすねる

 相手が男だろうと女だろうと、セルジュはその人間の尊厳をひょいと取り上げ、さんざん弄んだ挙句、ぽいと捨ててしまう。

 まるでセルジュの気まぐれに盗まれ、そのまま彼の家の前に乗り捨てられる自転車のように。

「まだあるぞ……聞いてけよ、恵介」

 父が次のタバコに火をつけている。
 恵介はそれを見届けると、リビングを後にした。

 父は死んでいる。
 もう手の施しようがない。
 ……少なくとも、恵介の知っている父は死んでいる。

 じゃあ……この家を救うのは?
 いや、救いはできなくてもこの現状を打破できるのは?

 恵介しかいなかった。


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