川崎フロンターレにとって分岐点になった2015年シーズンを振り返る
このnoteは川崎フロンターレアドベントカレンダーの24日目の記事として投稿する記事です。
2014年シーズンから、川崎フロンターレの試合のプレビューとレビューを書き始めて5シーズン。途中「もうやめる」と書いたこともありましたが、どうにかここまで続けてこれました。
2017年シーズンに続いて、2018年シーズンもリーグ優勝することができましたが、リーグ優勝したシーズンだけ上手くいったから、優勝できたわけではありません。チームだけではなく、サポーターや地域の関係者含めて、以前からの積み重ねが実を結んだ結果だと、最近改めて感じます。
2014年シーズンからプレビューとレビューを書いていて、分岐点になったのでは?と感じていたシーズンがあります。それは、2015年シーズンです。
2014年はACLに出場し、2016年はあと一歩でタイトルを逃しましたが、2015年は特に何かタイトルを獲得したわけではなく、リーグ戦の順位もファーストステージは5位、セカンドステージが7位でシーズントータルで6位。満足のいく結果が得られたシーズンではありません。
しかし、いま振り返ると、2015年シーズンは、大きくジャンプするために、少しかがんでいたよう見えただけ。そんなシーズンだったような気がしています。
また、2018年シーズン終了後に、田坂、武岡、森谷、エウシーニョといった、2015年シーズン以降に加入・活躍した選手の契約満了が発表されたことも、振り返ってみようというきっかけになりました。
それでは、過去に掲載したブログのレビューやコラムを紹介しながら、2015年シーズンを振り返ってみたいと思います。
2015年シーズンの川崎フロンターレのキーマンは、”戦うテクニシャン”森谷賢太郎だ!
僕はこのシーズンのキーマンに森谷の名前を挙げていました。
森谷は今年27歳。チームの中心として、チームを引っ張っていく年齢です。小林、大島、谷口、そして森谷。こういった選手がチームを引っ張っていかなければ、タイトルなんて獲れるわけがありません。
2014年シーズンはリーグ戦27試合に出場。このシーズンはより一層の飛躍が期待されたシーズンでした。しかし、2015年シーズンはリーグ戦22試合出場にとどまります。森谷は2014年シーズンをピークに、少しずつ出場試合数が減少していくことになります。
攻撃できないならFWならべて攻撃しかさせない
柏レイソルの戦術によって、攻撃が機能せず敗れた試合。当時監督を務めていた風間さんは試合終盤に、小林、大久保、船山、杉本、アン・ビョンジュンとFW5人を並べました。
風間さんはFWを起用したら得点が奪えると思っている人ではありません。では、なぜ5人も起用したのか。それは、攻撃が機能しない、相手の守備に腰が引けてしまっているチームに対して、「うちは攻撃のチームだ」とうメッセージを伝えたかったからだと思います。
こういうメッセージのついた交代策を風間さんはたまにやります。風間さんの真骨頂は、こういう交代策にあると思うのです。
新井章太がリーグ戦初出場
この試合で新井章太がリーグ戦初出場を果たしました。新井のように、どんな状況でもきちんと準備してくれる控えゴールキーパーの存在は、強いチームには欠かせません。新井の成長も、リーグ連覇の要因だと思います。
風間さんが「狙って勝ちにいった」試合
僕が4年間プレビューとレビューを書いていて、忘れられない試合を挙げろと言われたら、この試合と2016年チャンピオンシップ準決勝を挙げます。そのくらい、この試合は印象に残ってます。
リーグ戦3連敗でむかえたこの試合。風間さんは「狙って勝ちにいった」と、僕は感じました。
勝ちにいった理由はただ一つ。「これ以上負けたらやばい」。そう思ったからでしょう。この試合は珍しく、なりふり構わず勝ちにいきました。
理想を追求する監督がみせたリアリストの一面。面白い試合ではありませんでした。だからこそ、印象に残っています。
中村憲剛を支える意地とプライドがみえた試合
この試合は途中出場した中村憲剛の活躍で勝利した試合でした。この試合を迎えるまで、中村のパフォーマンスは決してよくはありませんでした。風間さんは中村を信用して起用しながら、スターティングメンバーから外すタイミングを図っていたように感じます。
そして、途中出場した中村は、鬱憤を晴らすように、素晴らしいプレーを披露しました。
中村が15年以上チームの中心としてプレーしているのは、「ここで頑張らないとまずい」という試合で、結果を残しているからだと思います。そして、中村に結果を出させているのは、意地とプライドだと思います。
この試合はロスタイムのエウシーニョの劇的で美しいゴールとあわせて、とても印象に残っている試合です。
分岐点になったドルトムント戦
2015年シーズンを追いかけながら、実は「チームがなかなか成長しないなぁ」と感じていました。このままだと、風間さんは今シーズン限りかもしれない。そんなことを考えたこともありました。
そんなタイミングで行われたドルトムント戦。0-6と叩きのめされたことで、チームは目が覚めた。そんな気がしています。
いま振り返ると、この試合をやって本当によかったと思います。2連覇した今だからこそ、もう一度ドルトムントと対戦してほしいなぁ。
セカンドステージは田坂のステージ。そして車屋の起用から垣間見れる風間さんの期待
セカンドステージは田坂がいなかったら、どうなっていたんだろう。今でもそんなことを考えます。そのくらい、ボーフムから戻ってきた田坂は凄かった。
もし、2015年加入当時のスーパーな田坂が維持できていたら、2016年シーズンで川崎フロンターレは優勝できていたかもしれませんし、もしかしたら、2017年に阿部が加入することはなかったかもしれません。一方で、2016年後半を支えた「DF田坂」は見れなかった可能性もあり、どちらが良かったのかなぁと考えることがあります。
そして、この試合は珍しく車屋をFWで起用した試合でした。途中出場した車屋がミスばかりしていたので、もしかしたら途中出場だけど途中交代させるかも。そんなことを考えていたら、風間さんは車屋をFWで起用します。
FWで起用したのは、「早くパフォーマンスを取り戻して欲しい」という風間さんの期待の現れ。こういうところに、監督の本音が分かります。
即戦力が期待通りでなければ、思い切って他のチームに移籍させる
2018年シーズンに大久保とエドゥワルド・ネットを移籍させていますが、2015年シーズンも角田を清水エスパルスに移籍させています。
チームの中のことは分かりませんが、チームに影響が出そうだと思ったら、思い切って移籍させる。こういうことができるのも、川崎フロンターレの強さの秘密であり、GMを務める庄司さんの凄さだと思います。
中村憲剛が責任を背負いすぎていたシーズン
僕はこのシーズンのコラムで、「最近の中村憲剛は、勝敗に対する責任を背負いすぎているように見えます。」「中村憲剛が楽しそうならそれでいい」と書いたことがありました。
スターティングメンバーから外れた試合もあり、もしかしたら、中村にとってもキャリアの分岐点になったシーズンなのかもしれない。振り返りながらそんなことを感じました。
だからこそ、「ゼロトップ」でプレーした浦和レッズ戦のパフォーマンスは印象に残っています。
アルトゥール・マイアがみせた意地
2015年シーズンはアルトゥール・マイアが在籍していたシーズンでした。アルトゥール・マイアのプレーで印象に残っているのは、この試合の終盤で、ファウルを受けたのに審判がファウルをとってくれなかった次のプレーで、トリッキーなターンを披露して、相手をかわそうとしたことです。
「俺は上手いんだぞ!」という彼の声が聞こえるようなプレーでした。
等々力陸上競技場の雰囲気が変わりつつあった2015年
このコラムで僕は等々力陸上競技場の雰囲気について言及しています。2015年くらいから、良いプレーには攻撃でも守備でも拍手がおこるようになってきた気がしますし、交代時に拍手がおこるようになってきたのも、2015年くらいからだと思います。
プレミアリーグでは当たり前の光景ですが、Jリーグでもみられるようになったのは嬉しいです。これはぜひ続けてほしいなぁと思います。
2016年は勝ち点70をとれるチームに
この試合のプレビューで、僕は「新井がポジションをつかみ、DFは谷口がチームを引っ張り、MFは大島が中村と同じくらいの存在感を披露し、少しずつ中心選手の入れ替えが進んでいる」と書きました。
そしてレビューでは「2016年は勝ち点70をとれるチームに」と書いたのですが、2016年に獲得した勝ち点は72。ほぼ予想通りでした。
この結果からも、2015年に積み重ねたことが、2016年のタイトルまであと一歩というシーズンにつながり、2017年、2018年とつながっていったということが分かります。
過去と未来はつながっている
物事は急には変わりません。過去に地道に積み重ねたことの結果が、未来の結果につながっていると、僕は考えています。
そう考えると、今の取り組みが2020年以降の川崎フロンターレを左右するかもしれません。他のチームも興味深い取り組みをどんどん進めているので、立ち止まっている暇はありません。喜びに浸るのはこのくらいにしたいなぁと思います。
川崎フロンターレアドベントカレンダー最終日は、knipot34さんの「奈良ちゃん残留記念!僕ら川崎のビールクズBKBヒィーア!」です。
武岡優斗の1対1はお金を払う価値がある守備だ!
追記:2015年といえばこの記事です。忘れてました。
2015年の武岡は本当に凄かった。たぶん1対1で止められない選手は、日本にはいなかったのではないかと思う。ファウルせずに、スライディングせずにボールを奪う守備は圧巻の一言。「デュエル(1対1)」を強調していたハリルホジッチが、日本代表のリストに武岡を入れ続けていたのも納得です。
怪我をしてから、なかなか2015年当時の守備が戻ってきませんでした。ただしファンは、あの凄い守備がいかに身体に負担がかかるのか、怪我の具合から察していたような気がします。
2016年シーズンは、武岡がいれば...という試合が何試合もありました。ただ、武岡が健在だったら、田坂のDF起用はあり得なかったわけでして、人生というのは、僕が考えるよりちょっぴり複雑にできている気がします。
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