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苦しいときこそ自分のために

スポーツに関する記事を読んでいると「苦しいときこそチームのために」という言葉を目にすることがある。チームを会社に置き換えても、同じような記事を目にする。

日本では個を殺して集団のために犠牲になることが美徳だ、という考え方が根強く残っている。ただ、僕は会社員として働きながらも、一貫してこの考え方には異を唱えてきた。「苦しいときこそ会社のために」と言われるような状況に追い込まれたときのみ、僕は転職という選択をした。

ただ、この価値観はアメリカでもあるらしい。

僕が好きなエピソードがある。イチローがシアトル・マリナーズでプレーしていた頃チームは低迷していた。あるときチームのミーティングで、ベテランピッチャーが若い選手に向かってこう言った。

「苦しいときほどチームのためにがんばれ」
「チームが負けている今こそ、お前らはもっとがんばれ」
石田雄太著「イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡 2000-2019」より

しかし、イチローはあえてミーティングでこう発言したという。

「僕に『もっと』はない」
石田雄太著「イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡 2000-2019」より

イチローという人は、プロの価値観は「個を生かすことが集団のためになる」ということを一貫して訴えてきた人だと思う。チームが勝てば嬉しいけど、自分が活躍しないでチームが勝つだけを喜ぶのは、自分の存在価値がないともいえる。だからこそ、イチローという人はプレーを通して自分の存在価値を示し続けたし、示し続けようとした。

「チームが勝って、自分の結果も良かったというのが理想です。でも、自分の結果が全然なのにチームが勝ってそれでいい。というのならそれではプロの選手として魅力がないと思う。」
小西慶三「イチローの流儀」より

勘違いしている人がいるけど、スポーツも、仕事も、みんなで仲良くすることがチームワークではない。むしろ、仲が良くない人と上手くやるのがチームワークの本質だ。一人が他人のミスをカバーできるほど、仕事やスポーツで表現することが高度になるほど甘くない。自分のベストパフォーマンスを追求し、出来ることを増やすことでチームに貢献する。これが本当のチームワークだと思う。

だいたい負けているチームに所属している人ほど「チームのために頑張ろう」「チームで勝つ」と言う。自分がやれることをやっていれば、チームのためになんて言わない。個の力があればチームで勝つなんて言わない。プレーヤーは自分のベストプレーを表現し、勝たせるのはマネージャー(監督)の仕事だ。「チーム」を隠れ蓑にして自分の責任から逃げる個人が多すぎる。

王貞治はこう語っている。

「オレは自分のためだよ。だって、自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、チームのために、なんていうヤツは言い訳するからね。オレは監督としても、自分のためにやってる人が結果的にはチームのためになると思うね。自分のためにやる人がね、一番、自分に厳しいですよ。何々のためにとかいう人は、うまくいかない時の言い訳が生まれてきちゃうものだからな」
石田雄太著「イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡 2000-2019」より

落合博満が中日の監督に就任した当初、選手に対してこんな言葉をかけたそうだ。

「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれって、そう言ったんだ。勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れってな」
鈴木忠平著「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」より

自分のことは、自分で責任をとる。自分で責任取れないことはやらない。自分の人生の責任やリスクを管理し、決断ができないプロが、生き馬の目を抜く苛烈な競争や、瞬時の決断が求められる世界で、責任を負って決断を下すことができるのか。僕はいつもそう思っている。

なぜこんなことを書いたかというと、先週ある場所である人が「苦しいときこそ自分のために頑張れ」と発言していたのを聞いてとても嬉しかったからだ。ただ、聞いた人たちにその真意が伝わっていない気もしたので、補足の意味で書いてみた。

追記。自分のために頑張るということは、自分の私利私欲のためにだけ頑張ることを肯定することではない。次に訪れるチャンスで自分が活躍できるように頑張ることだと思う。自分の活躍の場がないから不機嫌な態度を取ったり、文句を言ったりすることではない、と付け加えておく。

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