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書評「南の国のカンヤダ」(鈴木敏夫)

先日、僕はこんなツイートをした。

僕は書評を書くとき、大抵の本は1度読んでから書評を書いています。でも、本書は違います。通して2回、そして、部分的には何度も読んだ上で、時間をかけて書評を書くことにしました。

「南の国のカンヤダ」は、スタジオジブリの鈴木敏夫さんによるノンフィクション小説です。

鈴木さんが描いたのは、タイ人のシングルマザー・カンヤダ。偶然知り合ったカンヤダに鈴木さんはひかれていきます。

本書を読み終えて、3つのテーマについて描かれているのではないかと考えました。

過去を悔やまず、未来を憂えない。いつも"今、ここ"を生きている

1つ目は「時間」。

本書の帯には「カンヤダは、過去を悔やまず、未来を憂えない。いつも"今、ここ"を生きている」という言葉が添えられています。

カンヤダという女性は、時間をせっかく準備してきたことでも、自分が気に入らないと、すぐに止めてしまったり、意見をひっくり返したりします。

鈴木さんがお金を出して始めたスパを止め、新たに始めたレストランを「上手くいかない」といって3ヶ月で閉め、そして新たにカンヤダのためにバンコクで始めた「ジブリカフェ」は大評判になるのですが、物語はそれで終わりません。

カンヤダは、「過去の努力」とか「未来の変化」を考えて決断することはありません。「今ここ」の自分にしたがって、率直に、嘘をつかず、まっすぐ行動しています。こんな女性は、確かに今の日本にはいません。

そして、本書には鈴木さんによる過去のエピソードがいくつも登場します。父親とのエピソード、学生運動など、様々なエピソードが挿入されるため、過去にいったり、未来にいったり、カンヤダの時代に戻ったりと、ぐるぐる行き来します。

時間を行ったり来たりすることで、読み手の頭をぐるぐるさせながら、読み手は気がついたら物語の世界に引き込まれていきます。

日本、バンコク、そしてパクトンチャイ

2つ目は「場所」。

本書は3箇所を行き来することで構成されています。

1つ目は日本。カンヤダはタイ、鈴木さんは日本。2人の間には物理的な距離があるが、2人はLINEを使ってコミュニケーションを取っていますが、言葉の問題があるので、2人の間には微妙な距離があります。この2人の間に入って奮闘するのが、通訳のATSUSHIくん。ATSUSHIくんの奮闘ぶりも、本書の見どころです。

2つ目はバンコク。バンコクでは、鈴木さんの友人のコルピさんの協力のもと、「ジブリカフェ」がオープンするのですが、都会のバンコクと地方都市のパクトンチャイの差は、カンヤダとバンコクに住む通訳のATSUSHIくんの差でもあります。都会と地方都市。この差も物語を読み解くポイントです。

そして、3つ目はカンヤダの地元のパクトンチャイ。パクトンチャイはバンコクから車で4時間ほどの距離にある街。鈴木さんや友人たちは、この街の雰囲気を気に入り、何度も足を運びます。そして、カンヤダはパクトンチャイのことを愛しているのですが、その事が物語を複雑に、そして、面白くします。

自分のため、家族のため、そして仲間のため

3つ目は「家族」。

カンヤダの行動は、ひとつひとつの行動だけ取り上げると「わがまま」に感じるのですが、カンヤダの全ての行動は、自分のためではなく、家族のためなのです。シングルマザーであり、結婚は「家族の生活のため」だと言い切る女性が「わがまま」だとはとても思えません。

一方で、バンコクに住むATSUSHIくんは、家族のためではなく「自分のため」に行動する現代の若者。ここにカンヤダとATSUSHIくんとの大きな差があります。今の日本では、ATSUSHIくんの方が一般的かもしれません。

そして、この物語にはもう一つ家族のような共同体が登場します。それは、鈴木さんを中心とした友人たちです。

鈴木さんは、「れんが屋」というマンションの一室に気のおけない仲間たちを集め、食事会だったり、映画の上映会だったり、勉強会を開いています。そこで話されていることの一部は、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」として聴くことができるのですが、鈴木敏夫のジブリ汗まみれを聴いていると、鈴木さんを中心に集まる仲間たちは、どこか「家族」のようだと思うことがあります。

ただ、それは、誤解を承知で言うなら、映画に出てくる任侠の世界であったり、マフィアの世界のようでもあります。

鈴木さんがいかに作品をプロデュースしてきたのか理解できる1冊

本書を読んでいると、鈴木さんがどのようにして映画作品をプロデュースしてきたのか、深く理解することができます。

鈴木さんのプロデュースは、定形のフォーマットに基づいて実行されるものではありません。すべてがオーダーメイド。時代、関連する人物、場所など、様々な要素を組み合わせて、毎回毎回試行錯誤しながら作り上げていく。その事が、カンヤダとのやり取りを読んでいるとよく分かります。

宮崎駿さんが引退を発表し、引退を撤回するまでの間、鈴木さんはカンヤダとの取り組みを続けてきました。つまり、この作品は、鈴木さんによるプロデュース作品なのかもしれません。

これまで、鈴木さんに関する本は数多く出版されてきました。しかし、本書は鈴木さんの本の中で、最も重要な作品であり、最も読むべき作品かもしれません。

幸いにして(?)、本書を読んでいる人は、まだ多くはないようです。もし興味がある方は、ぜひ読んでみることをおすすめします。


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