読書と裁判傍聴は一緒という話

こんにちは。一記事前の「僕が死ぬ日」を朝に書いて、夜にこの記事書いてます。西田です。


今回は僕の趣味である読書と裁判傍聴の共通点についてお話していこうかと思います。

ひと目見た感じでは、どこに共通点が?という感想しかないと思いますが、
読んでいく中で、ああそうね と共感していただけたら嬉しいです!


2つの趣味について少し詳しく

読書は中学の時は小説(三毛猫ホームズシリーズが好きでした。)高校は部活に追われ、高校・専門そして社会人となった今では自己啓発系もよく読むようになりました。

裁判傍聴についてはこれは社会人なってからでの趣味ですね。東京地方・高等裁判所に行っておりました。

フリーランスでやっていたので平日昼間に行けました。傍聴した内容は薬物密輸、コロナ給付金詐欺、売春斡旋、在留資格について国に対する訴訟等見ました。

共通点は疑似体験

答えです。疑似体験

現実に起きたのではないものの本物に近い感覚を体験することを意味する語。

腑に落ちた方いらっしゃいますでしょうか、、、??


もちろん説明させていただきますね笑


本。僕が好きなデール・カーネギー先生の著書「道は開ける」「人を動かす」では実際に存在している人のストーリーがいくつも書かれており、そこから人とはこうして接したほうがいいよねなどの悩みの解決方法などをカーネギー先生が解説してくれています。

↓ そこから得られるもの

こんな状況はこう考えるのがいいんだ。明日から使えそうなテクニックだなとなるわけです。自分が経験したことない状況でも、解決策をすでに知っている状態になるのです。 このことはほぼすべての本に当てはまるんじゃないかなと思います。
 これが読書の疑似体験です。


では裁判傍聴。先に行っておきますけども、裁判傍聴って敷居が高そうに見えますけど、本当にサクッといけますからね。スーツ着てる人なんて傍聴席にはほんとんどいません。一人だけジャージで来ている女性の方を見たことさえあります。笑 平日の昼間しかやっていないっていうのがネックですね!!

記憶に強く残っている裁判が一つありまして、それは覚醒剤密輸か関税法違反で刑事裁判を受けていたマレーシア人の裁判です。

見た裁判は判決の場で途中入室のため判決が言い終わったあとでした。話を聞く感じでは執行猶予無しの実刑判決がくだされているらしいかったです。

僕が印象に残っているのは判決内容ではなく、被告人の置かれた状況でした。被告人は日本語が全くわからないようで、すべて通訳を通していました。被告人に同情するわけではありませんが、まったく知らない国で犯罪を犯し、その国の法律で裁かれ、その国で刑期を務めるって大変だなと思いました。

犯罪するほうがおかしいのは大前提ですけども、
これが全く逆の立場で僕がマレーシアで捕まっていたら、マレー語で取り調べを受け、マレー語で裁判を受け、マレーシアの刑務所に入れられる。
  んんん、、、厳しい。絶対に海外で(もちろん日本国内でも)犯罪は犯したくないいですね。
ということでこれが裁判の疑似体験。当事者の環境に身を置くということですね。


このような感じで疑似体験って実際に日常にあふれているんですよね。無意識と言うか意識をまわりに張れてないだけであって。例えば怒られている人を見たときに、ああこうすると怒られるんだなって理解するじゃないですか。
それも疑似体験。


ということで、人の振り見て我が振り直していきましょう!笑

最後まで読んでいただきありがとうございました!!