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分かり合えないを前提に(diary193)

こんばんは!丹路です。
本日は日曜日の投稿です。

来年に車を買おうと検討しているのですが、何を買おうか検討している時が一番楽しいですよね。
住む環境に合わせて車を購入する人もいれば、趣味の一環で購入する人もいる、車の使用用途はさまざまです。ただ、買うにあたって何かしら目的があって購入しているのは確かです。
機能や性能など今まで持っていない情報を知ろうとして購入に至ります。
この探究心というか、調べる力、というのは、仕事にも生きるよなと思いました。
なぜ、仕事になると学ぼうとしないのか、調べようとしないのか、、、
ワクワクが前提にないから、つまり、感情が仕事のことを「嫌だ」と認識しているからだと思います。
そう考えると、やはり目的はとても大事だと痛感しますね。
ちなみに、購入予定の車はカローラクロスハイブリッドです。

さて、本日のnoteは"分かり合えないを前提に"です。

人は過去の経験から物事を判断するので、同じ情報に触れても同じ意見を持たない、というのが前提にあります。
『「意見→経験→感情→価値観」の順になっている』と認識しているだけでも大きな違いがあります。

例えば「猫」を例に出してみましょう。

意見:「猫が好き・猫が嫌い」
経験:「猫を飼っている・猫に引っ掻かれた」
感情:「かわいい、楽しい・怖い、痛い」
価値観:「猫は癒しの存在・猫は危険な存在」
※「・」で区切っています。

同じ「猫」でも過去の経験から感情が動き、価値観が形成されます。
多くの人が意見のみを聞いて判断をしがちな部分があります。
上記は「例」なので、実際に猫を題材にしたらみなさん自分の意見と異なったら「なんで?」と、深掘りすると思いますが、仕事では意見が食い違うことによって”対立”が起きたりします。
仕事でも、相手の価値観まで掘り下げて聞かなくてはいけません。
価値観まで掘り下げずに、自分の意見を一方的に発信することで成長も止まるし関係値も構築できません。

対立ではなく、判断基準が違うだけ


議論をしていく中で、意見が違うことから”対立”がよく生まれますが、これは対立ではなく、判断基準が違うだけです。
人の意見が自分の意見と異なった時に、自分に対して反対している、と思いがちですが、そうではありません。その人はその人の守りたいものがあるから自分の意見を発信しているのです。
だからこそ、反対意見に出会ったら「この人は何を大事にしてその意見に辿り着いたのだろう」と耳を傾ける、つまり傾聴が大事になります。

また、自分の意見を曲げられない人もいますよね。
それはなぜか、意見に対して経験が紐付き、感情から価値観まで繋がっているからです。自分が大事にしていること、自分が思っていることを手放す、というのが嫌(自分の価値観を守りたい、と無意識的に思っている)なので考えが変えられないのです。

上記を認識する、違う価値観がある、ということを理解していれば、違う経験値を他人から聞くこともできますし、学べます。
なぜ学べるのか、判断基準が違う意見にあった時、自分にはない価値観に触れます。要は、自分には解釈できない考え方に触れるのです。その意見を理解するために必要な経験がないからこそ分からないのです。だからこそ、学べるんです。

外部とのコミュニティを増やした方が良い、と、私も常々発信していますが、それはなぜかというと、こういういろんな人の価値観に触れて学ぶ、ところからきています。
じゃないと自分の凝り固まった価値観のみで判断をしがちになります。要は学べず、成長しない、ということになります。
また、外部との連携を強化して、意見を知って知識を得るだけではダメです。
そこから「どんな世界でどんな気持ちなんだろう」と想像して感情がどう動くのかまで判断しないと、聞いて終わりになってしまいます。これでは全く意味がありません。

想像してわからなくてもいいんです。そもそも経験してきた価値観が違うのだから。
わからなくてもいい代わりに、想像をして感情まで落とし込むことで「共感できる・できない」の判断がつきます。そうすることで、人は分かり合えないけどいろんな意見があって、その意見は経験から感情が生まれ、価値観に変わるということが理解できますから。

これができれば、相手との対立はそもそも生まれず”判断基準が異なる”と脳が判断し、有益な議論や対話ができるはずです。

人は「分かり合えない生き物」だということを前提に。

また来週!

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