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シンプルな表現は力を持っている

 手書きで書いて、手書きで添削するのも悪くはない気がする。文章を書き続けていると、自分が何を書いたのかを、覚えていられるようになってきた気がする。特に手で書いていると、書いたことをよく覚えている。

 最初からキーボードで書いて、デジタルで形にすると、何を書いたか、片っ端から忘れている。書こうと思ったコンセプトだけを覚えていて、細かい言い回しや、言葉の選び方を忘れている。あまり考えながら書いていないのかもしれない。


 文章の修正を重ねると、言葉がどんどんシンプルになって、手書き独特の癖がなくなってしまうような気がしていた。だけど、後で見返すとその癖のなさが言葉の意味を際立たせている。

 シンプルになればなるほど、修正できるところが少なくなり、細やかなこだわりが大事になる。ただ読むことしかできない言葉にとっては、まさにそうなのだ。

 小説をもっと、動く形にしようとか、デジタルな表現と組み合わせようと考えていた。しかし、活字がただ並んでいるだけ、という完成形はこだわった故の完成形だと考えると、読者がただ読むだけの形に行き着くことは合理的だとも思う。文字が並んでいるだけだからこそ、言葉の意味が際立ってくる。

 それとは別に、小説とメディアを組み合わせるなら、もっとラフな、表現の中途半端な所を表現にできるかもしれない。読む人は、言葉の細かな表現よりも、様々な要素が絡み合ったものを受け取る。映画やゲームのようなものに近づくかもしれない。

 どちらにせよ、表現の最終形には意味があってそうなっていると思うことにする。文章は、全体としての情報量は少ないが、ただ読むだけ、というシンプルな形に絞っているから、言葉の力が生きているのだと思う。削っていくことは後退ではなく、前進なのだ。

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たくみん
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!