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ストロベリーフィールド : 第二十五幕 ホーム スイート ホーム

十数年前、ユラ神の末裔であるミチコは突然、ウエストエンド国へと赤子を連れ戻って来た。

それをユラ神は受け入れた。
結界を張り、守り続けていた国へと、やすやすと導き入れた。

その日から、ライラは、ミチコの教育係となった。あの日を思い出すたび、ライラの心の中は憎悪と憤怒の火で焼かれた。だがその痛みはまた、ライラが地を這ってでも生きようとする力にもなっていった。

あの女は……一体、何をしに戻って来たのだ?
ただ私たちからすべてを奪って再び突然逃げ出した…。

何故だ?

ライラは、怒りで震える心を抑えようと、深く深呼吸した。
今、ライラの目の前には、その女とその娘が暮らしているコテージが見えている。

国からまたも逃げ出した従姉妹を思い、ライラは当初は腹の中でせせら笑っていた。
辛い修行に耐えられなかったか、自身の出来の悪さを身に染みて分かったのか、そんなところだろうと思っていた。

自分こそが≪次の後継者に相応しい≫と、誰かに告げてもらえる日を、そんな素振りを見せぬままに、ライラは、『次のユラ神には自分が選ばれるのではないか』と、心ひそかにずっと待っていた。

が、ミチコが再び消えたその日のうちに、ユラ神はグリーングラス国の軍人に突然連れて行かれた。後継者を決めぬままに。

結界が無くなっていたと聞かされた時には、ライラは耳を疑った。
何故、ユラ神が、そんなことをしたのか、と。

そうしてライラもまた、訳も分からず何日も独房に入れられた。
何故結界が破られたのか、思い当たる節はひとつしかなかった。

ライラが牢からようやく解放された時にはウエストエンドはグリーングラスの属国になっていた。ライラの一家も一族も、全てが家も畑も失い国を追われる事になったが、命だけは奪われずに済んだ。
ライラの父は、遠く離れた国で、農夫としてささやかに暮らす事をライラに願った。

が、ライラには復讐の炎を消すことなど決してできなかった。

自分の娘と孫だけを無事に逃がし、国を売ったユラ神に対して、失望と怒りの心が消えなかった。どうして自分たちを助けてくれなかったのかと責める心を持ち続けた。

そして、どんなに目にあってもライラは逆境から逃げることは無かった。
住む家はなくなったが、精霊の森の中で暮らし、ユラ神へ罵詈雑言を浴びせるまではと耐え忍び、その帰りを待ち続けた。

けれど、ライラが怒りの炎を向け続けたそのユラ神は、あっけなく帰らぬ人となった

独房の中で。

あの従妹は、一体何をしに戻って来たのだ。国を滅ぼしただけではないか。そうだユラ神様の予言の通りだ……。

呪われた子を連れ、国を滅ぼしにやって来た。
そして、多くの術を身につけ、ユラ神の命ともいえる宝を奪って逃げた。
ユラ神は、それを判っていてあの娘を国に入れたのか? 

『何故……?』

ライラの心は、あの日からずっと同じ場所にとどまっている。
その答えのない疑問を、延々と問い続けていた。

ユラ神の≪最期の予言≫を聞いたのはライラだった。
それはライラ以外の誰にも伝えられることは無かった。

それは、グリーングラス軍がやってくる少し前のことだ。
ユラ神は、ライラに向かってこう言った。

「遠い精霊の国のパンパスグラスという名の丘に、決して触れてはならないものが眠っている。
それを元に戻せば、私たちの国もまた昔のように戻れるだろう。

でもライラ、残念だけれど私はそれを見ることは出来ない。
見たいとも思わない。

いいかい、この国はこのまま消えていくべきなのだよ。

ライラ、覚えておいて欲しい。 あなたはきっと幸せになれる」

その予言を頼りに、国を出たライラがフラワーバレー北方のパンパスグラスを目指し歩いていたのは、この国に着いてすぐのことだ。

けれど、そこにはどうしてもたどり着けなかった。
かつてユラ神が自国にかけた結界と同じものが村の北部に張られているのは明らかだった。

そうやってひもじい思いで村で彷徨っていたところで、パン屋の夫婦に助けられた。そこでユラ神の末裔ミチコの娘を目にした時は、それが神の導きであるとしか思えなかった。

この奇跡のような出会いは、紛れもなく、十年以上の長い年月を耐え続けた自分に与えられたご褒美だ、とライラはその時思った。

これが復讐への導きでなくてなんだというのだ。
あとはあの娘をどうするかを考えるだけで、心が震える。
これが、祖国を裏切った女に対する最も効果的な復讐だ。
本人に害を与えたところで、一時的なもの。
本当の苦しみは、そんなところにはない。
大切なものを奪われる苦しみを知るがいい……。

深い闇の中をさまよい続けたライラの心は、淀み、同じところに留まっていた。けれど、それでもユラ神の予言だけは頭から離れなかった。

小さなコテージの前で怒りをコントロールしながら、そこに誰もいないことに安堵する日もあった。パン屋の前に行列した人々を見て、もしかすると、自分にも幸せな日々が来るのかもしれないと思ったのは事実だった。

けれど、こうしてまたこのコテージ前に来るとまたふつふつと淀んだ怒りが沸いてくる。相手の幸せそうな顔を見るとその怒りは更に大きく増幅する。
そこに幸せそうな気配がないことで、ライラは僅かでも怒りを鎮めることができていた。

……あの老婆がいると聞いた南の島では、何の収穫も無かった。
あの島の人がいる気配もスープの香りも、全てフェイク(作り物)だった。
南の島に確かに誰かがいた気配はしていたのだが、既にもぬけの殻だった。

ライラは、自分が一歩出遅れたことに気付いていた。

記者を惹きつけるために、いかにもそこに人がいるように見せかけている。
ならば、彼らは行くべき場所、いや、戻るべき場所はひとつだ……。

そうやって、再びミチコが暮らすコテージに戻ったライラが、用心深く中の様子を伺っていると、ボバリー家の前で妖気に取りつかれていた娘が、少しは精気を取り戻した姿で出て来たので、ライラは慌てて妖術で姿を消した。

ユラ神の末裔ミチコの娘、ハンナは、ずいぶんと思いふけったような顔をしているように見える。
心があらぬ方向に向いていることが、ライラにははっきり見てとれた。

ハンナが歩く度、ふわりと風が吹く。
ライラは空を見上げて上空に風の精霊が飛んでいるのに気付いた。
そうして息を殺し、姿を消したままその後をつけることにした。

精霊の数が多すぎる。
いったい何事だ?

しばらく進むと、ハンナと出会ったふたりの少女が言い合いを始めたので、ライラは驚き立ち止まった。
その同じ空の高いところでは、風の精霊がくるくると驚いて回っているのが見えている。

いったい、あいつら、何やってんだ?

目の前で喧嘩を始めた三人の中には、ボバリー家の事件の日、木によじ登っていた女の子がいた。
その娘が、ユラ神の末裔の娘ハンナに食って掛かる勢いで声を荒げている。

ライラは呆気にとられ、姿を隠したまま木陰から三人の様子を見つめていたのだが、その女の子の妖気が尋常でないことにすぐに気づいた。

この娘は、一体、何に怯えているのだろう……?

ライラがそう思った瞬間、パシッと音がして、ライラの足元近くまで、本やノートが飛んできてライラはどきりとして後ずさりした。
幸い、誰にもライラの姿は見えてはいないようだ。

ひとしきりの喧嘩の後、走り去るユラ神の末裔の娘を必死で追いながら図書館のところまで来ると、今度は風の精霊たちが一斉に《向かい風》を発生させ始めた。

そして半分ほどの精霊たちがどこかへ消え去ると、ライラの前を行くハンナは、今度は畑の中を四方八方めちゃくちゃに歩きだした。

一体全体、何がどうなってるんだか……。
さて、どこで捕まえるかね。
それにしても、精霊たちが厄介だね。

ライラはハンナの後ろを歩きながら、やれやれと呆れていた。けれど驚いたことに、ユラ神の末裔の娘ハンナは、これが結界の幻影だという事に気が付いているようだった。

パトラという老婆の名前を連呼すると、ハンナは『風を止めろ』と叫びだしたのだ。

果たして、この娘は、どれくらい覚醒しているのか……。
結界の嵐は、精霊たちが起こしたものだ。
どうやら、この娘にはそこまでは分からないようだ。
これなら始末は簡単だが……。
どうせすぐに諦めて、あのコテージに戻って来るはずだ。

どうせなら、あの女が奪ったものを全て奪い返すことにするか。
全てを手中に入れる、今日こそ……その日。

ライラは、小さく頷くと、ユラ神の末裔の家へと急いだ。
そしてその道すがら図書館まで戻って来ると、さっきまでハンナたちと言い争っていた細身の少女が、青い顔をしているのが見えた。

もちろん少女は、姿を隠しているライラには気づきさえしない。
どうやらハンナの様子を遠くから伺っているようだった。

が、ライラにはその少女に構っている暇は無かった。
姿を消したまま、ハンナの住む家に先にたどり着くとライラは妖術を強め、神経を家の中へと集中させた。

家の中には人の気配が戻っていた。
ユラ神の末裔ミチコがいることに間違いは無かった。

そうしてライラの予想通り、ほどなくしてハンナが家に戻って来ると、一度だけ大きな物音がした後は、すっかり家の中はすっかり静かになった。

何の音かと、入り口横の格子窓から様子を伺ったライラは息を呑んだ。
そこにグリーングラスの軍服を着た子供が見えたからだ。

……あの女は、やはりグリーングラスの手下だったのか……。
いったい、あれは誰の子だ?

ライラは、考えた。

ミチコも、あの老婆も、ほとんど休まずに交代で結界を張り続けている。
今頃すっかり疲弊しているはずだ。
その疲労度合いがどれほどのものか、ずっとユラ神様にお仕えして見てきた自分だから分かる。
未熟なユラ神の末裔は、人々を救うことで妖力を増していた母親と違って、きっとその力は続かないはず。
その孫に至っては、まともに覚醒さえしていない……。

ライラは薄暗く笑ってから、ようやく訪れたチャンスを前に浮かれるような心持ちでコテージの外、ステンドグラスの窓の下に深く屈み身を隠した。

小さな雨粒が、ライラの身体にかかり始める。
僅かばかりの軒先は、ライラの大きな身体を雨から守るには小さすぎた。
姿を消していたところで、雨に打たれる寒さは同じだった。

雨に打たれながら、ライラは甘いココアの香りを嗅いだ。

『こんな日には、とても温まるわよ……』
ユラ神様の優しい笑顔が、ライラの記憶の彼方で浮かぶ。

『あなたはきっと幸せになる。人と比べ、妬み、恨む心を捨てさえすれば』

ライラの頭の中で、ユラ神様の言葉が一瞬、揺れた。

私の幸せ?

それは……それは、国を裏切ったあいつらが苦しみ続けること……。

これは妬みや恨みじゃない。間違いを正しているだけ……。

ライラは、ユラ神の言葉を捻じ曲げ、自分を納得させた。
そうすることでしか、自分の生きて来た道を肯定することが出来なかった。

美味しそうな香りが辺りに漂い、ライラの空腹を極限まで刺激した後、雨がさらに激しくなり、ライラの心と身体を更に冷たくしていった。

赤いステンドグラスに打ち付け落ちていく雨のしずくは、心が切り裂かれて拭き出た血の色に思えた。雨が上がった後のライラの身体は冷え切っていたが、反対に冷たい雨の中でライラの心の中は冷たく煮えたぎる。

お前さえいなければ……。
お前たちさえ、やってこなければ……。
私たちは幸せだった……。

一瞬、室内の結界が柔らかく緩む気配を感じたライラは、その好機を逃さなかった。

心の底から湧いてくる呪力で、これまでに発揮したことがないほどの怨念の力で、目の前のステンドグラスへ向かってライラは全身からの妖力を力任せに放った。

ステンドグラスを形作っていた蝶たちは、守ってもらえるはずの力を失うと、あっという間に天高く散ってゆく。

ライラは、持てる限りの力で室内に呪いの風を送った。
呪詛の力はすさまじかった。
それが自らを呪うことになろうとも、ライラは呪う力を一点に向け続けた。

ライラに向かって来ようとする風の強さは、あの老婆の僅かばかりに残る力の強さを示していた。が、それはすでに疲弊しきった力だった。

なかなかやるね。

でもここまでだ。


ライラはその全ての怒りを力に変え、パトラへと投げつけた。

鋭い光が、室内に放たれ、辺りを一瞬見えなくした後、室内を暗黒にする。

老婆は自分を守るのに精いっぱいの様子だった。歪んだ笑顔をみせながら、ライラはミチコをこれまでの憎しみを込めた呪力で吹き飛ばし、その粉々に砕け散った窓から、薄暗い室内へと飛び込んだ。

そうして、床に突っ伏し気を失ったグリーングラスの軍服を着た小さな子を片方の肩に担ぐと、今度はユラ神の末裔の娘、ハンナの脚を力任せに掴んで反対側の肩に乗せ、ライラはふたりを抱えたまま、飛び上がり姿を消した。

大きく反響していた狂気に満ちたライラの高らかな笑い声は、轟音の竜巻に乗って、小さなコテージの祈りの部屋から、急速に遠のいていった。

(第二十六幕へつづく)


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