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ストロベリーフィールド : 第二十六幕 裏切り

「目が覚めたようね」

ハンナの目の前には、見知らぬ大人が立っていた。

女の人だ。

ハンナの母よりもずっと大柄で、袖から見える腕には筋の入った筋肉が盛り上がって見えている。

その人の、はちきれそうにつやつやしているその肌はハンナの母よりずっと若く見えていた。

ハンナは、突然のことにただその女性を見つめていた。

「かわいげのない子だよ、睨みつけるなんて。しつけもしていない親の質の悪さが丸わかり。ま、馬鹿な親に育てられたのはあんたの罪じゃないけど。生まれてきたのは間違い」

ハンナは、その女の人が話す西の国の言葉に反応し、相手を睨み付けた。

自分の母親のことを悪く言われ気分を害したのと同時に、会ったこともない大人の女の人に『生まれてきたのが間違い』とまで言われ、頭にきたのだ。

ハンナは、相手を睨み付けたまま目覚めたばかりとは思えない声を発した。

西の国の言葉で。

「あなた、誰ですか? なんでそんなこと言う……」

そこまで言って、ハンナは、両腕が手首のところで太いロープで固く縛られていることに気が付いた。

次に、自分の足元にあるものを見てハンナは驚いて声をあげた。

「レオ! どうして? いったい……」

小さなレオ、本物の方のレオが小さく丸まって眠っている。

目の前の女は嫌な笑いをひとつ浮かべた。

ハンナは慌てて立ち上がろうとして平衡感覚を失い、倒れて顎を打った。
見ると、足首にも手首と同じロープが巻かれている。

ハンナが転がった物音で、小さなレオは目を覚ました。

「誰か! 助けて!」

非常事態なのは明らかだった。

小さなレオが泣き出すと更に厄介なことになる。

ハンナは焦った。

「ハンナ、どうしてこんなことしてるの? これ、ゲーム?
大きいレオがね、上の世界にはいろいろなゲームがあるって言ってた。
とっても面白いんだって!」

「あ、ああ、そ、そうだね。ゲーム……みたいなもんかな」

「やっぱりそうかぁ! 僕、ゲーム初めて!」

そう言うと、レオは女の人を見つめて自己紹介を始めた。

「僕ね、レオって言うの。あなたはだあれ?」

あまりに素直に明るい声でそう尋ねられた女は、予想していなかった事態に驚いた表情をしながらも、素直に名前を答えてしまっていた。

「ライラ……」

「あ !!僕知ってるよ、その名前!」

「え……?」

「あのね、僕ね、パトラのマントを隠してたの。
そしたらね、セバスチャンに見つかっちゃってね。

あのね、えっと、ベッドのマットの下に入れてたの。
そしたら、セバスチャンが見つけたの。
だって、急にベッドのシーツを洗うって言うんだもん。

僕、凄く叱られると思ったの。

でもセバスチャンがね、『このマント着て、パンパスグラスというところに行きなさい。そうしたら好きなところに行けるよ』って。

あ、ポケットに、セバスチャンに書いてもらったのあるから見せてあげる。
ねぇ、僕を、パンパスグラスに連れて行ってくれる?」

あどけない笑顔で目の前にいる人に小さな紙きれを手渡しながら小さなレオは話を続けた。

紙を渡された相手は、呆然としながらも、その書かれた内容にゆっくりと目を落とした。

「僕ね、どうしてもそこへ行きたいの。 ね、連れて行ってくれる?
それでね、セバスチャンね、朝ね、とっても長い説明をしながら、美味しいパンをくれたんだぁ……。

その時に、『新しくパン屋さんに来た≪ライラおばさんのパン≫はとても美味しい!』って言ってた。ねぇ、ねぇ、『美味しい!』って知ってる?

僕ね、『美味しい』、知ってるよ!

あのね、もらったパンはね、本当にあんまり美味しくってね……。
えっと、地図の場所に行く前に食べちゃったの。

それからね、すごい風が来て動けなくて……。
起きたら、ステンドグラスのお家にいた。

……マシュマロ、美味しかったぁ。また食べたいなぁ。

あのパンをあの飲み物につけて食べたいなぁ。……ねぇ、ここはどこ?」

そこまで話すと、レオはふと思いふけるような顔になった。

「僕がお部屋を出る時にね、セバスチャン、目からお水、《涙》をたくさん出してた……。《泣く》は、声を出すんでしょう?
じゃあ、声を出さずに涙だけ流すのはなあに? 

あ、思い出した! 僕、地図の場所に早く行かないと死んじゃうんだった。
死んじゃうって、動けないんだよ。ねぇ、早く行こうよ!!」

ハンナは、小さなレオが断片的に伝える情報を整理しようとしていた。

何を言っているのか、いまひとつよく分からないのは、目の前にいる女の人も同じ様子だった。

けれど、『地図の場所に行かないと死ぬ』というのは穏やかではなかった。

この女の人は、ママの知り合いなのだろうか……。

何度も夢で見た、いや、聞いたはずの何かが、もう思い出せなくなっていることに気づいたハンナは、今のレオの言葉が大切な何かのヒントのような気がしてならなかった。

そもそもあれは夢だったのか。
虫や動物たちの声は、普段聞いているようにあまりにリアルな声だった。

夢の中で、確かにパンパスグラスについて何か言っていた気がするのだけれど、どうしても思い出せない……。

「あなた……ウエストエンドから来たんですか?」

ハンナの言葉に、メモを見つめていた女の人は、一瞬身構えた様子を見せ、俯いて笑った。

「だったら何?」

「ママも、そこから来たって……」

ハンナは、祈りの部屋のステンドグラスが、砕けたところまでは覚えていたが、強い光が光った後のことは覚えていなかった。

ガラスの破片は身体のどこにも飛び散っていなかった。
目が覚めるとここにいたのだ。

そして、ここは、明らかにコテージ二階の自分の寝室だ。

レオは、早く行こうと言い続けている。
なぜ誰も助けに来ないのか。
今、何が起きているのか。

「あんたの母親は、ほんとにユラ神の末裔なのかね。
あの婆さんがどっかに消えて、ひとりになってから泣きわめくばっかりで、何の対応策を考えることもしてないよ。

ありゃ、落ち着くまでしばらく時間がかかりそうだ。
こっちにとっちゃ都合がいいけどね。

自分の家の、娘の部屋に結界が張られたことにも気が付かないなんてさぁ、ありゃユラ神の後継者にならなくて正解さ。

灯台もと暗しだね。
まぁ、あんたの母親は、泣くばっかりで、探そうともしてないがね。

全く母性ってのは厄介だね。妖術の敵だ。

ところであんた、母親がどこに《ユラの命》を隠してるか知ってるかい。
あのステンドグラスの部屋にあるはずなんだがね」

「何で、あなたにそんなこと教えなきゃいけないんですか?」

「あんた、《ユラの命》が何なのか知ってんのかい?」

ハンナは言い返せなかった。
そもそもこの家でそんな話をしたことも無かったからだ。

「やっぱりね。あんたの母親は、ユラ神の歴史を自分の代で終わらせる気なんだ。そんなこと、あたしが絶対に許さないっ!!」

大柄な女の人が声を荒げたので、レオがぎくりとした顔で固まった。

「あれは、ユラ神だったサラ様の命だ。
あれを受け継ぐのは、始めからあんたの母親なんかじゃないんだよ!」

「じゃあ、それはあなただって言うんですか?
あなたみたいな神様なら、いらない!」

ハンナの声に、その大柄の女性は真っ赤な顔になり、さらに大きな声で怒鳴り始める。レオは、今にも泣きだしそうだ。

「大人に口答えすんのもあの女に習ったのかい?
見かけと違って随分と気の強い子だね。
何も知らないくせに、偉そうに口答えするんじゃないよ!

あんたらのせいで大勢の人が祖国を失ったんだ。
呪われた子供は生まれるべきじゃなかったんだよ!

その気持ち悪い耳とエラを、切り落としてやろうか?」

ハンナの心は、鋭い言葉で何度も切り付けられ続けた。

これまで気味悪がられたことは何度かあったが、けれど、会ったこともないこの目の前の人物は、自分とママを普通ではないくらい嫌っている。

友達から嫌われるという体験を味わったばかりのハンナは、思わず声を荒げた。

それを言いたかった相手は、本当は、ニーナとマルグリットだ。

「あなたが、私を嫌いなのは、なんでか分からないけど、それで気が済むなら、好きなだけいじめればいい。
どんなにいじめられたって、痛くもかゆくもないわ!

どうしてか分かる?

あたしだって、あなたなんか、大っ嫌いだからよ!
大嫌いな奴にいじめられて、傷つくなんてあり得ない。

ムカつくだけ! 無理して仲良くしなくていいから、せいせいするわ!」

そう叫ぶハンナの周りの景色が、少したわんだ。

「好きなだけ、叫んでな」

「何をするつもり?」

「ねぇ……これゲーム?」

ふたりの会話が、小さなレオは理解ができないようだ。
不安そうな眼差しを、ずっと二人に向けている。

「この子の希望を叶えてやろうじゃないか」

「待って!」

「やったぁ。ライラ、ありがとう!」

ふたりの話を聞きながら、少し怯えた顔をしていた小さなレオは、ライラの腰辺りをぎゅっと抱きしめた。
突然抱きしめられたライラは驚いた表情で両手を上げたまま固まっている。

落ち着きを取り戻すとライラはその両手をレオの肩に置き、呪文でレオを眠らせると、小さなレオをゆっくり自分の身体から引きはがした。

そして、突然後ろの壁に向かって話し始めた。

「準備はいいよ。そこにいんだろ、婆さん」

ライラがそう言い終わると、疲れ切った顔のパトラが姿を現した。

「見つかってたかい。さぁ、約束どおり、その子をパンパスグラスへ連れて行くさ。その代わりそれが終わったら、あんたはこの国から出てお行き。
守れないって言うんなら、この話は無しだ」

パトラが見事な西の言葉を話していることに、ハンナは驚いた。

「ああ、約束するよ。ただ、もう一つ条件がある。この娘と、ふたつの水晶を交換する。
あの馬鹿で無能な母親に、そう伝えな。あいつが持っていても意味がない」

ライラはそう言うと、ハンナの方に振り返り呪文を唱え始めた。

ハンナを救おうと咄嗟に手を伸ばしたパトラは、ライラの右手から放たれた強い光によって再び力なく吹き飛ばされた。

「パトラばあ様!」

ハンナは、その声を最後に動けなくなった。
手足のロープは解けていたのに、というよりも、どこかに消え去っていた。
なのに、身動きが取れない。
あっという間に壁が四方八方から迫ってきたからだ。
立ち上がろうとすると、斜めになった床のせいで転がってしまう。

何がどうなっているのかと顔を上げると、目の前には空一面に大きな瞳が現れた。瞳は笑っているような形をしている。

天から声が聞こえてきているようだ。
ハンナはもう一度立ち上がろうとしたのだが、やはり地面が回転して動き、また転んでしまった。

「やめときな、丸い水晶玉の中で立ち上がるのは無謀だよ」

ライラは、親指と人差し指で、小さな水晶玉をつまんでいた。

どうやらハンナはその中に閉じ込められているようだ。
ライラは、その親指の先程の大きさの小さなガラス玉をネックレスの金具の先にカチリと音を立ててはめると、パトラに向かって指図をした。

「あんた、こうなることは分かってたはずだろ? 歳には勝てないってことさ。 年寄りは、さっさと若者に道を譲るべきなんだよ。
無駄な結界は、早く取り払った方がいいよ。あたしのいた国のユラ神様も、同じようなことをし続けて、この世界からあっという間に消えちまったんだからね」

「……だけど、残念だけど、この世界には、《守るべき秩序》っていうのが、あるんでね……」

そう言いながら、突っ伏して倒れていたパトラは、ゆっくりと立ち上がり、頭を振りながら顔をようやく前に向けライラをまっすぐに見つめた。

そうして、天高く、ライラに向かって持っていた杖を振り上げた次の瞬間、ライラの胸の前にガラス玉に閉じ込められ小さくなっているハンナにパトラは気付いた。
そして、首を左右に振りながら振り上げていたその杖をガクリと下ろした。

「やれやれ……厄介なことになりそうな匂いがプンプンするね」

「じゃあ、約束は果たしてもらうよ」

ライラが小さな子、レオを肩に再び担ぐ。
と、パトラはうなだれたまま指輪から青白い光を天に向けて発した。

ほどなく、天空からピンク色の羽根を持つペガサスが空から降りて来た。《経験者》ルークを背に乗せたペガサスは窓の外から宙に浮いたままハンナのいる方向を見つめている。その美しさは、相変わらずだ。

水晶玉の中から、ハンナはその様子を見つめていた。

約束······、って何?
パトラばあ様が、あのライラという人と約束?

ハンナは、この村で最も信頼を置いていたパトラを信じていいのかさえも、わからなくなり始めていた。

ガラス玉の向こう側の景色は、すべてが丸く歪んで見えている。
隣にいたライラは、恐らくペガサスを始めてみたのだろう。
動けなくなって、窓の外を見つめている。

「さ、窓から出るよ」

「え? そんなことしたら落ちちまうじゃないか。ここ二階だよ。
婆さん、何言ってんだ?」

「まったく、めんどくさい性格だね、あんたは。
老人から教えてもらったら、まずは『はい』ってやるもんだよ。
ま、このばあ様のやることを、しっかりと見てな」

パトラはそう言うと、勢いよく窓の外に飛び出した。
ライラが止める間もなかった。

空に舞ったパトラに向って経験者ルークがその長い手を伸ばすと、空を旋回したペガサスの背にふわりと乗せた。
パトラは、ルークの前にちょこんと座り、後ろを指さしながら叫んだ。

「あんたくらい載せる幅は十分にあるよ。早くしなさい。
ミチコが気付いた。これならパンパスグラスまで一分だ」

パトラが叫ぶその言葉に、大きな体を窓の外に半分出し躊躇していたライラは、小さなレオを胸の前に抱え直すと、ぐっと目を閉じたまま背中から思い切り身体を外に投げ出しかけた。

けたたましくドアが開く音がして、ガラスの映像の向こうにハンナのママ、ミチコが悲壮な表情で二階の子供部屋に飛び込んでくる。

目をつぶったままのライラが空に舞う、身に着けたネックレスが宙に浮く。
と、ハンナの身体も浮いた。

ハンナの目に、ペガサスがまっすぐ突進してくるのが見えた。

身体ごと浮かぶように落ちていく感覚で、ハンナは上を見あげた。
遠く、窓の外に身体を乗り出し、手を伸ばし、空に向かって泣き叫んでいる母ミチコの姿が見えている。

その次の瞬間にハンナが見たものは、足元に見える、小さなコテージの丸く湾曲した屋根の映像と、宇宙に浮かぶ星のように見える、頭上の真っ青な空の映像だった。

第二十七幕へつづく



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