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ストロベリーフィールド : 第二十八幕 ハンナと龍

足元には、巨大スクリーンが広がっていた。

宙に浮いている……。

そう思いながら、ハンナは空高い場所から足元を見下ろした。

その視線の先には、焼け落ちる家々、逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供たち、見覚えのある四つ角に、真っ赤に燃え盛っている古い木造の建物があった。

いつか同じような夢を見た気がするとハンナは記憶を辿っていた。

もしかして……?
これは……グリーングラスの戦いの……。

ハンナは、自分が過去の世界にいるのではないかと思い始めていた。

これは、夢……それとも……。

その映像は、ハンナの知る村の映像で、中央に見えるその建物は、ハンナの村の図書館が立っている場所のはずだった。
けれどそれはレンガ造りではなく、木を組んで造られている。

人々が懸命に建物から書物を運び出している姿も見えた。右手の方向に目をやると、海の上には、赤い火柱を上げ沈みゆく大きな船が幾つも見えていた。

それは、幼い頃にハンナが図書館で見た、あのタペストリーそのものの光景だった。
朱色の夕焼けと赤い炎が重なり、世界を真っ赤に染めている。

ハンナの目の前を、ユニコーンが数頭、声をあげながら走り去った。

「早く! 南の森は、もう終わりよ!」
「もう間に合わない。また私たちの領域がなくなる……」
「とにかくもっと北へ! 急いで!」

あちこちに飛び散っている火の玉のようなものが、フラワーバレー一帯を覆いつくすようにあらゆる場所に降っている。

その中で、ひときわ大きな火が燃え盛っていたのが、図書館だった。
飛び出してきた人たちが沢山の書物を抱えながら、ストロベリーフィールドへと走り逃げている姿がそこにはあった。

ストロベリーフィールドはハンナが記憶しているよりもずっと大きく見えていて、パンパスグラスの丘までずっと畑が広がっている。

その一部分のエリアだけが、ドーム状の透明な膜で覆われていて、火の粉の被害を受けずに済んでいるようだった。
その中には、避難して来たらしき多くの人の姿も見えている。

そのドームは、ハンナが知っているストロベリーフィールドと同じくらいの大きさだった。生き延びた村人たちが、火の粉を避けながら次々と、ストロベリーフィールドにあるそのドームへと走り込んで来ていた。
そのドームの入り口では、ひとりの背の高い女性が、走り込んでくる人々を手招きで誘導している。

「もう、村は全滅だ、パトラ……」
「これ以上待てない、ドームが封鎖される!」
「待って! もう少しだけ、待って、お願い!」
「精霊たちが、もう無理だと言ってる」
「お願いです、あと少しだけ! あと一人!」
「俺たちに言っても、どうしようもないと分かっているだろう!」
「離れろ! 閉じるぞ!」

まさにその時、大きな本を山のように抱えた一人の人物が、焼け落ちる寸前の図書館から走り出て来て、ストロベリーフィールドを目指し走りだした。その衣服も顔も、すすで真っ黒になっている。

「ヒューゴ、早く! 急いで! もうそんな本なんか捨てて!」

閉じようとするドームのドアを必死て阻みながら、背の高い女性が大声を張り上げ、その人に向かって叫んでいる。

「この村の大切な宝を、あんな奴らに燃やされてたまるか!」

大きな本を何冊も抱えたその人は、大声を発しながら必死の形相でドームへと向かう。

その様子を宙に体が浮いたままで伺っていたハンナの左手側で、七色の蝶が色ごとに繋がり一列になり始めた。その七つの列が大きな円形に繋がって、蝶の数を増やしながらくるくると回転しながら大きく広がっていく。

ハンナの脳裏に、伝説の歌が悲しく響いた。

「パトラ、危ない!」
「離れるんだ、パトラ!」
「もう無理だ!」
「諦めろ! 皆が危ない!」

大きな声と共に、ドームの入り口に立っていた女性が、後ろから羽交い絞めにされ無理やり中へひきずられていくのが見え、泣き叫ぶ声が小さくなっていく。

「嫌よ! 嫌! ヒューゴが! ヒューゴォォ……」

巨大な火の玉が、ストロベリーフィールドへ向かって落ちてくる。まるで、スローモーションのようだ。その大きな火の玉が図書館の真横に轟音を立てて落ちると、辺り一面に火の粉が飛び散った。

その数秒前にドームは完全に閉じていた。

白煙が渦巻き、漂い、辺りを覆う。
空に飛び散った多くの書物が、天高く火の粉を巻き上げながら、粉々の火の粉が付いた紙となって舞う。
さっきまで走っていたはずの人の姿はもうどこにもなかった。

七色蝶は、見たこともない巨大な大きさの虹の輪になり天高く昇って行く。

こっちに向かってくる……。

そう思いながら、宙に浮くハンナは、その輪をくぐった。
くぐらされたという方が適切だろう。

すると突然、ハンナの身体は伸び始め、見る間に大きくなり全身に「鱗」が現れ始めた。手足は小さいままなのに、身体は伸び続ける。

ハンナは苦しさにもがきながらのたうち回った。

「見ろ! 龍だ!」

ドームの中で、人々が口々に声をあげているのが聞こえていた。
肩を寄せ合い小さくなっていたドームの中の人々が、まっすぐ上を見上げているのが分かる。

「なんなのこれ!」

ハンナが叫ぶと、その口から竜巻のような嵐が吹き、横殴りの雨が降り始めた。息を吸っているのか、吐いているのかはハンナには分からなかった。

空は瞬く間に真っ暗になったかと思うと、風に乗って横から叩きつけるような暴風雨が吹き荒れ続ける。
真っ赤に燃え盛っていた村は、その雨の力で一瞬で鎮火していく。

もだえながら龍となったハンナは、ストロベリーフィールドのドームの上、ぎりぎりを滑空しながら、その中を覗くように目を動かした。

人々が自分のことを、実際には龍と化した自分を怯えたような眼差しで凝視しているのが見える。

頭が直撃すると感じた寸前、ハンナは頭を上にあげた。
すると今度は頭を上にして龍となったハンナは、天高く昇って行く。
やがて速度を落とすと、一直線の刀のような姿となった。

高い所から見える川向こうには、そびえたつ幾つもの建物とグリーングラスの国旗、ドラゴンが描かれた旗が揺れているのが見えていた。そこから火の玉が幾つも幾つも絶えることなく飛んできている。それがフラワーバレーを焼き尽くしていることに気づいたハンナは、思わず叫んだ。

「もうやめてっ!」

叫んだつもりが、龍と化したハンナの口からは大量の水があふれ出た。
うまく動かない身体をほどこうとハンナが回転すると、龍となった長い身体はバランスを崩し、思い余って地面に激突することになった。

地面から突き上げるような激震が村を襲い、ドームの中では人々が恐怖の声をあげ、肩を寄せ合ってしゃがみこんだ。
その激しい波打つような地面の揺れは、どうやら川向うにも同じように襲っているようで、高く見えていた建物は大きく傾き、崩れ始めていた。
ハンナが、いや、龍が体を回転させ、再び高い建物の上空まで飛び上がると、今度は大きな竜巻が発生して街のあちらこちらを進んでいく。

龍が空を旋回するだけで、集中的な激しい台風豪雨のような雨が発生した。やがて雲が渦を巻き、ドーナツ状の穴が空に広がり、最期には一番高い建物を巨大なダウンバーストが遥か高い位置から突然襲った。

その建物が上から粉々に砕け散っていくのがハンナの目に映った。
その国から村に向けられていた火の玉の嵐は止まったが、ハンナが激突した地面は大きくえぐれていて、今度はそこに大量の水が流れ込み始めた。

川は見る間に溢れ、その川幅はもとの数倍に広がってゆく。
村に漂っていた黒煙は、今や全て東側へと移動していて、川向こうの街中には煤けた黒い雨が降っていた。

川向こうの街には人ひとり見えない。
戦いが始まる前に、どこかに隠れているのかもしれなかった。

陽が完全に落ち、辺りに暗闇と静寂が訪れた。
川向こうの国も、村も真っ暗だったが、嵐が止み、月の灯りが出ると、僅かに光が射し始めた。

月の周りには、七色の《月輪》が光り輝いている。

月を取り巻く七色の光の内側に、一回り小さな虹の輪が浮かび上がった。
蝶の虹だ。龍になったハンナは呆然と月を見上げていた。
自分が何をしたのかも、何が起こったのかもわかっていなかった。

空に浮かぶハンナからは、村と隣の町の間に大きな川が広がっているのが見えてはいたが、その距離はほんのわずかなものにしか見えなかった。

ハンナの足元に見えていたドームの屋根が開き、ひとり、ふたりと人々が出てき始める。ストロベリーフィールドに散らばった焼け焦げた本を、誰かが暗闇の中で、一冊、また一冊と、泣きじゃくりながら拾い集めていた。

その本を拾い上げていたパトラと呼ばれていた人は、大粒の涙を流して天を仰ぐと、大声で叫んだ。
その叫ぶ方向の空には、奇しくも龍になったハンナが漂っていた。

「精霊たち、龍、ねぇ、聞いてる? こんな世界で生きていて何になるっていうの? この身体も命も全部、あなたたちに差し上げるわ。その代わり、最大級の呪いをあいつらにかける方法を教えて頂戴!」

泣き崩れるパトラの周りに、同じ年ごろの女性たちが取り囲み、肩を抱いて一緒に泣いていた。もしかしたら、同じように大切な人を失った人たちかもしれなかった。

闇に包まれていた村に、ひとつ、またひとつと灯りが灯り始めた。何もなくなった村の人々は、それでもどこかから持って来た明かりを灯し、心を寄せ合い、力を集め、ひとりでは到底耐えられなさそうな境遇に、皆で立ち向かおうとしているようだった。村のあちこちで、助け合い、焼けた家の資材を片付ける音が、いつまでも聞こえていた。

と、月明かりの下、虹の蝶の輪が再びハンナに向かって再び迫って来るのがハンナの目に映った。

「ハンナ、待って! 僕も連れて行って!」

突然聞こえてきた声にハンナが後ろを振り返ると、そこにはとても小さな龍がいた。長さも短く、空を飛ぶ姿もぎこちない。

「ねぇ、これって何て言うゲーム? ハンナすごくカッコいいね!」

ハンナは驚きすぎて、言葉が出て来なかった。
何故なら、その声は、小さな本物のレオ、そのものの声だったからだ。

小さな龍は、速度と角度の調節ができないのか、止まることが出来ないようで、飛びながらハンナに向かって激突してきた。
ぶつかって飛ばされた先には七色の蝶の輪が待っている。

そうして巨大な龍となったハンナと小さなレオは、転がるように、ひとつになって、その虹色の輪をくぐった。

第二十九幕へつづく


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