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ストロベリーフィールド : 第二十九幕 ”守り人”、蛟(Mizuchi)

「いたっ……」

地面に転がったハンナは、そこまで言うと言葉を失った。

体中に痛みが広がっていた事もあったのだが、それ以上に見覚えのある丘に倒れていることに気が付いたからだ。

ハンナの目の前には赤く色づくパンパスグラスがどこまでも広がっていて、ハンナのすぐ隣には、のたうち回るころんとした小さな生き物がいた。

良く見ると、その全身は、鱗で覆われている。
まるで陸に揚げられた魚のようだ。

ただ一つ、魚とは違うのは、その身体には小さな手足が付いていた。
その長い髭と角は金白色に光っている。

ハンナは驚きながらもゆっくりと首をまわし、顔を上げた。そして顔をあげた先には悲しげな表情で自分をみつめている人物がいることに気が付いた。

それは、やつれ切った表情の精霊使いのパトラだった。ハンナと同じように地面に横たわっていたパトラは、上体を持ち上げて弱々しくハンナの手を取っていた。
そのハンナの手を、パトラはその隣に横たわる生き物の鱗に覆われた小さな前足に触れさせた。

その前脚には指輪が食い込み、中央には赤い石が光っている。

ハンナがその赤い石に触れた途端、小さな生き物は一瞬閃光を放ち、瞬く間に小さなレオの姿に変わった。

そしてレオは地面にぺたりと腰を下ろした状態で、明るい声をあげた。

「ねぇ、これ、何て言うゲーム? 僕、負けちゃったの?」

レオは興奮したように頬を赤らめている。
ハンナは、ただ茫然とその姿を見つめるだけで、言葉を失ったままだ。

「ねぇ、僕の負け?」

再び聞き返したレオに対し、パトラが、勝っても負けてもいないよと言うと、小さなレオは不思議そうな顔をした。

それから辺りを見回し、嬉しそうな声をあげた。

「ここどこ? あ!もしかして、パンパスグラスに連れて来てくれたの?」

「ああ、そうだよ。パンパスグラスはすぐそこだ。
すまないね、レオ。お前を守る方法が、他になかった……」

力なく立ち上がったパトラは、再びレオを眠らせる呪文を吐いた。
その呪文にレオは音もなく静かに目を閉じると、しなびた野菜のように、
くったりと身体を曲げ、また静かになった。

それを見届けたパトラは、揺らめき続ける光の前まで進むと、今度はひれ伏した。

「森の精霊よ。ご覧の通り、精霊たちが、証(あかし)を受け入れました……」

「そのようですね。確かに、あの聖輪へのくぐり方を見る限り、相当未熟なようではありましたが、まぁ、それも一興。それでは、今しばらくこの森を守ることにしましょうか」

揺れる光は、どこから音を発しているのかわからない。

ただ、その揺れるタイミングと、音の増幅する感覚は同じようにハンナには聞こえていた。そして、一体パトラは、この光と何の話をしているのか、証(あかし)とは何なのか、彼らは敵なのか、味方なのか、と考えを巡らせていた。

光の声を聞き終えると、パトラは、更にうなだれたまま懇願し始めた。

「確かに証は、お譲りしました。最期に、この年寄りの願いを一つ聞いてはいただけませんか」

「何でしょう?」
光は優しく揺れている。

暫く言葉を選ぶように押し黙っていたパトラは、意を決したように顔をあげた。その声には力がこもっている。

「私の身体は、その役目を終えたがっているようです。この身体は、精霊の力で何とか立ち上がることが出来ていることはご存じでしょう。
どうか、この私の身体と魂を、精霊の力から解放していただきたい。 今、私のこの心はとても、とても苦しいのです」

「最大級の復讐は、果たし終えたというのですか?」

「ある意味、復讐は、たった今、果たされました。
このライラを見ていて、やっと気づいたのです。たとえ数百年の命があったとしても、起こることは変わらない。人々は傷つけ合い、恨みには恨みが、呪いには呪いが返ってくる。私はそれを見続けなければならないのだと。
限りがあるからこそ、貴重だった……」

パトラは、一度ふぅと大きく息を吐き、言葉を続けた。

「この子らを捧げた今、私の役目は終えたも同然。最期に得られたものは、思っていたものとは違っていたのです。
これからも私は、私の咎(とが)を受け入れねばならないのですか?」

ふたつの光は、見つめ合うように同じような動きを互いに見せている。
そして、こう告げた。

「あなたが精霊との誓いを終えたいというならばもはや異存はありません。けれど、これからも我々の精霊たちを守るものが必要です。
もしも、引き続き、この地を守りたいのであれば……」

青い光は、そう言うと、倒れたままのライラを指さした。

「お待ちください、その者は……」
そう言うパトラの言葉を、青い光が遮る。

「ここで命尽きるよりは、ましではないですか? それに、あの時のあなたと同じような底知れぬ強い力を、この者から感じるのです。
おそらく、呪いの力、妬み、欲望、それこそあなたがたが、生きるために最も必要とする力。我々よりも、ずっと下等なものであるが所以……」

「どうか……お待ちください」

パトラが、この言葉を発したのとほぼ同時に、青い光の指先から細く鋭い光が放たれた。

仰向けの状態で手を広げたまま大の字になって倒れていたライラは、一瞬、ピクリと身体を震わせ、うめき声を上げながらゆっくり起き上がると、頭を右手で抱えながら辺りを見回した。

それを確認した青い光は小刻みにに震えながら大きく広がり始め、その声は、大きく共鳴していく。

「あなたに、数百年の命と精霊の力を与えましょう。
その代わり、我々が望むものを!」

現状を反芻するかのように何度も頭を左右に振りながら、ライラはよろめきながら声をあげた。

「あんた、さっきから何訳の分かんないことぐちゃぐちゃいってんのさ? そっちの都合のいいようになるもんか!」

「では、今すぐその身体と命を元に戻すだけ……別に私たちは、どちらでもよいのですが……残念ではあります」

「待って!」
様子を伺っていたハンナが突然青い光の前に飛び出し、立ちはだかった。

「ねぇ、ほんとに、このおばさんの言う通り、あなたたち、さっきから何を言っているの? あなた、本当に精霊なの? 
どうして、あなたは、そうやって偉そうにしているの? 
パトラばあ様にいったい何をしたの? どうして、この人をいじめるの? どうして、あなたはそんなことをしているの?」

ハンナの言葉にふたつの寄り添う光は、見る間に小さく縮んでいった。
ハンナの言うことを聞いてというよりは、呆気にとられてという方が正解だ。興奮したハンナはさらに光に向かって言葉を畳みかけた。

「このおばさんの命は、この人のもので、他の誰のものでもないわ!
この人のことは、ぜんっぜんっ!好きじゃないけど、でも、この人の命は、あなたのものじゃあないわ!」

青い光は、ゆらゆらと漂っている。
それに寄り添う黄色い光の中の表情は、柔らかく微笑んでいるように見える。同調するように二つの光は声を掛け合い始める。

「未熟なもののヒト種族臭さというのは、聞きしに勝る相当なものですね」

「こんな風に言われたのは久しぶり。前はいつだったかしら。なんだか対等の立場のようで、とても面白い」

そんな柔らかい会話の中に、切り声が割って入った。

「横から子供が口出しすんじゃないよ!」

ライラは、青い光を睨みつけたまま叫んでいる。
その言葉は、勿論ハンナへと向けられたものだ。

青い光は、ライラに近づくと、低い音を発した。

「あなたが、今立っていられるのは、私の力のおかげです。それを拒否するならば、ここで、パンパスグラスの餌となりましょう。私が与える力は、我々を守ろうとする限り続きます。
パトラに与えていた力を、パトラから奪って、あなたに差し上げようと言っているのです。悪い話ではないでしょう?」

その言葉に暫し耳を傾けたライラは、相変わらず光を睨み付けながら、今度は小さな声で答えた。

「……さっき言ってた、その代わりに、あんたらが望むものって、一体何さ?」

「少しは、話を聞くつもりになったようですね。まずは、その言いようのない品のない言葉遣いを直すこと。それから、あなたがすべきことは、精霊とこの≪ロゼの丘≫を守る者たちを必要に応じ我々に捧げるだけです。

そうすれば、この森、この村、この国は守られます。

もう一つ大切なことは、ここに埋められているものは、時が来るまで持ち出すことは許さないという事です。あなたが我々に従うというのならば、その時が必ず来ることを約束しましょう。

あの国は誰が手を出さずとも、いずれ亡びる運命。

あなたのその強い呪いの力は、まさしくかつてのパトラのよう。

醜い呪う力や底知れぬ欲望は、あなたの身体に蓄積し続けるでしょう。
けれど、それこそあなたが生きる糧ともなるのです。

さぁ、どうするかは、あなた次第です。
あなたの代わりが、もうひとりいない訳でもありませんので」

そう言うと青い光は、首を少し傾けたように見えた。
その位置にはハンナがいる。

「代わり? この娘にってことかい?」

驚いた表情でライラが、ハンナを指さした。黄色い光が微笑んで、青い光と同じように頭を傾げ、ハンナを見つめる。

「この娘は、すでに我々のしもべとして捧げられました。変わりというのは別の者です。精霊使いが村にもうひとりいるのです。
パトラがとても可愛がっていたと聞きます。

けれど、残念なことに、あの者には強い心が足りない。今なら、あの者にも強い恨む力が生まれているかもしれませんけれどね」

ライラは、それを聞いて愕然となった。

≪あの女、ミチコは、ユラ神としてだけでなく、この村でも精霊使いとしての地位を継ぐものとなろうとしていたのか?≫

ミチコが苦しみ、悔しがっていると想像するだけで、それがライラには喜びだった。人が苦しむ姿を見て憙ぶことが異常な精神状態であることにライラは気がついてはいなかった。

ハンナを失った今、ミチコの怒りの力が増幅すれば、自分の力を遥かに凌ぐかもしれない。そう思うとライラは焦った。

その焦りを見せないように十分に気を使いながら発したライラの言葉は、今度は裏返り、いつもより半音高くなっている。

「あ……あんな女に、精霊使いの力は使いこなせないよ。ここで消えちまうくらいなら、さっさとその力を、あの女でなく、あたしによこしな!

せっかくここまで来れたっていうのに、グリーングラスがここに残したものを持っていけないってのは口惜しいが。

時を待つだけでいいってんなら、そっちの条件を飲むさ。
言っとくが、こんな縁もゆかりもない村を別に守りたいわけじゃない。

何か判んないけどさ、こうなったら何でもするさ。
さぁ、その力とやらを頂こうじゃないの!」

ライラのその言葉を聞き、青い光はパトラに向き直った。

「パトラよ、今聞いた通り、我々は、今からこの者と誓約を結びます。
あなたの願いは聞き届けましょう。以前にあなたが願っていたとおり、自宅のベッドで安らかに眠れるよう少しの時間を差し上げましょう。

ルーク、あとは頼みましたよ」

ハンナは、そこで初めて、パンパスグラスの入り口に立っているルークに気が付いた。

この村で「経験者」(選ばれし英雄)として崇められているルークの隣には、もちろん彼の守り人ジャックがいる。
けれどジャックは地面に座り込んで、頭を両ひざの間に埋めたまま泣きじゃくっているようだ。声も出さずに、ハンナのことも、レオのことも、パトラばあ様のことも見ることさえできないという様子だった。

ルークの顔にもいつもの輝かしい光はなかった。
その表情は、憂い、悲しみに満ち、すっかりくしゃくしゃになっている。
ただひたすら、パトラのことを目で追い、心配しているようにハンナの目には映った。

パトラに優しい言葉をかけた後、青い光はハンナの方へするすると音もなく近づき、今度はそのたなびく雲のような触手をハンナの頬に長く伸ばした。

「未熟なあなたと、この蛟(みずち)が、どう育ってゆくかを楽しみにしています。ひとつ言っておきますが、あなたはもうあなたではありません。
この村で言われるところの《経験者》になったのです。守り人、蛟の教育を頼みましたよ……大切にしなさい」

そう告げると、二つの光とライラは、ゆらゆらとその場から消えていった。

み、ず、ち?

聞いたことのない言葉にハンナは戸惑っていた。自分が経験者となった、という言葉が、ハンナには理解が出来てはいなかった。
そうして我に返ったハンナは、その指に光るリングにようやく目を落とした。

そこには、大きく輝く赤い石が中央に光っている。
ハンナは、眠るレオに駆け寄り、その手を取った。
そこには、赤い石以外すべてが砕け散った指輪があった。

そんな……。
レオが、私の……?……守り人?

あれほどまでに憧れていたはずの出来事は、ハンナが想像していたものとはかけ離れ過ぎていた。

そんなことよりも、もっと大切なことが、今ハンナの目の前にあった。
パトラは、その場にうずくまったままで、その呼吸は、少しずつ微かな呼吸に変わっていく。

許し……て、お、く、……れ……。

そう誰に言うともなく吐き出された言葉が、風と共に漂った。
ルークの守り人、ジャックの嗚咽が聞こえる。

ふたつの光はすうっと姿を消した。

そうしてパトラはゆっくりと目を閉じ、やがてそのまま動かなくなっていった。

(第三十幕へつづく)




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