2020年6月福島取材⑮/福島第一原発
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双葉町役場を後にし、その後は双葉町郡山、中間貯蔵施設エリア内の海岸沿いへ向かった。
このエリアは、帰還困難区域同様、事前の届け出と身分証明書の提示がなければ立ち入ることができない。2017年に入域した時と比べて、バリケードのあるゲートでのチェックが厳しくなった印象があった。当時と変わったことといえば、「帰還困難区域」ではなく「中間貯蔵施設エリア」になったこと、当時と比較して圧倒的に大量の汚染土が運び込まれているということか。線量は当時と特に変化はなく(0.3〜1.0μSv/hほど)、「社会的な意味」でこのエリアの警備が厳しくなったと考えられる。
中間貯蔵施設の建設が追いつかずに、エリア内には仮置場がいくつも作られ、そこに汚染土が積まれている。その間を抜け、海岸沿いへ。周辺には、17年11月にはなかったフレコンバッグの山が多数並んでいる。適当な場所に車を停め、海岸へ向かうと、2年半前と同じ、いや、9年以上そのままの、津波で破壊された防波堤が見えてきた。
目前には真っ青な海が広がり、北側には風光明媚な岬が見える。しかし南を向くとそこには、2011年3月12日に最初の爆発事故を起こした怪物が姿を現す。
夢中でシャッターを切り続けたその先には、19年夏からの排気塔解体工事で、排気塔が1本減った(短くなった)福島第一原発があった。人を死に至らしめる高線量の放射線を出しながら、数千人の人が現場で働き、そしてその現場を知らない人に限って安全を言い募り、日本中の国民を欺こうとしている諸悪の根源があった。あれは電気を作る場所でも金のなる木でもなく、今やただの憎しみと悲しみ、死の生産装置だ。
この場所は、実は意外と知られていない場所のようで、この日僕を連れてきてくれたOさんがらみの取材以外では、この場所から撮影した写真を見たことがない。僕みたいなただの絵描きが、こんな場所に入域できて撮影ができていることがちょっと不思議で、2回目の訪問でありながらやや興奮を抑えることが出来なかった。
尤も、それは僕が原発事故を身近で体験していないからで、被害当事者ははらわたが煮え繰り返る思いかもしれない。それはこの日から4ヶ月以上後の、10/25に再び訪れた時に痛感することになる。
何十枚も1Fを撮影した後、車を停めた場所へ向かう。黒いシートを被せられた放射性廃棄物に囲まれて石碑が建っていた。いつの時代に何のために建てられた石碑だろう。今は大量の汚染土に囲まれ、一体どのような気持ちでいるだろうか。
黒いフレコンバッグの山を抜け、次は建設中の減容化施設へ向かった。
<続く>
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