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2022年1月、大熊町取材①

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 2022年最初の福島取材は、1/22大熊町から。本当は年明け最初の週末と思ったが、成人式と被るため意外と双葉や大熊に人が来そうで断念、その次の週は体調不良のために断念、そして22日になってやっと行くことができた。前年の11/30に大熊町の大野駅周辺で立入規制緩和エリアが広がり、状況を確認したいと思っていたが、ようやく叶うこととなった。

 1日目、いわきに9:18に着いてから、余計な荷物をコインロッカーに詰めて10:25の下り列車に乗り、大野駅へ。天気は快晴で寒さも思ったほどではなかった。

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(常磐線の車窓から)

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(木戸川(楢葉町)。2017年3月に河川敷を歩いて、猪と遭遇したのを思い出す)

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(竜田駅手前の復興住宅)

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(大野駅東口。奥に見えるのが東電新大熊独身寮。)

 駅を降りてから、最初の目的地、東口出て割とすぐの東京電力新大熊独身寮を目指す。最初は最短距離を進もうと思ったが、ふと南側に家屋が何軒も建っていたのを思い出し、そちらを確認しようと足を運ぶ。

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 交番の前を抜け、今まさに解体中の家屋の前に来ると、空間線量は一気に2.6μSv/hを超える。駅前ロータリーを出てすぐに1.0μSv/hを超えたのはわかっていたが、建物の前でここまで上がるとは。雑草も汚染されてるだろうし、おそらく家屋も汚染されてるのだろう。

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 そこから少し進むと、「〇〇さま新築工事」と書かれた看板の立つ家が現れた。震災当時新築工事中だったのだろう。それが地震だけでなく原発事故により放射能で汚染され、夢のマイホームは完成することもなく放棄された。この家の賠償は一体どうなったのか気になる。

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「解体家屋」と書かれた張り紙のある家を見ながら、東電新大熊独身寮へ。

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 敷地内に入ると、線量はまたグッと上がり1.8μSv/hを超えた。場所によっては2.0μSv/hを超え、何事かと足下のアスファルトのひび割れの部分にガイガーフクシマを近付けると3.3μSv/hを超えた。

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 ここは駅から徒歩5分もない場所。そんな場所が未だにこんな高線量で、しかも立入規制が緩和されてしまった。怒りを通り越して、呆れている自分がいる。

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 新大熊独身寮の敷地内を散策した後、大熊町図書館の東に並ぶ住宅街へ向かう。

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 同じ形の住居が並んでいるので、おそらくここは町営住宅だったと思われる。

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 工事の「お知らせ」と書かれた看板を見る限り、この辺りは、2025年春までに「特定復興再生拠点市街地」として整備されるようだ。整備したところで、果たしてそこにどれだけの人が帰還するのか。帰還者は1000人にも満たず、移住者によって新しい町が形成され、「放射能安全発信地域」となるのか。僕には後者の、嫌な未来しか想像出来ない。

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 住宅地で撮影していると、向こうからスーツ姿の若い男性が現れた。誰だろう?と思って身構えると、「住民の方ですか」と聞いてくる。いや、僕は絵描きで、取材で来ていて…と話すと、「面白そうですね」と言い、読売新聞静岡支局の名刺を出してきた。「ちょっと取材したいのでカメラを取ってくるので待っててください」と走っていった。

 戻ってきてから、あれやこれやと聞かれたが、取材は初めてではないので大体言うことは決まっている。僕が原発事故から目を離せなくなったきっかけ、2015年に初めて訪れて見たもの、現場を伝えるだけで原発の是非は答えが出ること、間口を広げてより多くの人に見て考えてもらいたいこと。

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 ひと通り話し終わったあと、記者さんは写真を撮影したいと、フレコンバッグが点々と置かれているため池わきの遊歩道へと僕を誘導した。取材の様子を撮影したいというが、正直、カメラで狙われていると調子が狂ってまともに構図も考えられない。「調子狂いますね」という僕の声をよそに、ポーズまで指定してくる記者。

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 撮影を終えたあと、こちらから逆取材すると、記者さんはまだ26歳だった。出身は北海道だという。東日本大震災の時はまだ中学生で、ちょうど卒業式だったという。「少しだけ揺れました」そういって笑う記者さんの軽さに、少しこっちは苦笑い。

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 たまに線量計に目を落とす僕を見て、記者さんは「やっぱり高いですか」と聞いてくる。「この辺、高いですよ。2マイクロあります」その声に、若い記者はほとんど反応しなかった。僕は何度も訪れる中で「2マイクロ」と言う数字に慣れてしまったが、この記者は初めて原発事故被災地を訪れたという。学校では放射能安全教育を受けてきた世代だろうし、読売に入社してからはさらに「怖くない」と教育されてきただろう。線量計さえ持たずに取材しているし、「放射能」についての怖さは全くないようで、どうにも違和感が残る。

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「記事になるかどうかわかりませんが、もし載る場合は連絡しますね」そういって記者さんは去っていった。載せたところで、炎上するかもしれませんよ、とは言えなかった(苦笑)。

<続く>

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