2020年8月双葉町取材④/放射性プルームの抜けた場所
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<続き>
前日、2020年8月26日のいわき以北の積算線量は9時間で3.18μSvだった。帰還困難区域に防護服を着て入域した割には、特定復興再生拠点区域を徒歩で歩くより圧倒的に少ない。車に乗せて連れて行ってくれた鵜沼さんに感謝。何より、当事者である鵜沼さんから直接誘われたことが、被災地を描く立場として嬉しかった。
2日目のこの日は、朝6時過ぎのいわき駅発の電車に乗って双葉に向かう。鵜沼さんとは8時半に双葉駅前で待ち合わせだが、それまでに白山神社の全景を撮影したいと思っていた。
真夏だが人のいない早朝のいわき駅前は空気が心地よかった。
双葉に着いたのは朝7時過ぎ。もう暑い。夏の日差しに照らされながら、双葉駅から北へ向かい、白山神社を目指す。
(割れたガラスがそのままだ)
雑草に覆われていく廃墟や猪がほじくり返した地面を横目に、目的地へ直行する。「復興シンボル軸」なる双葉インターから伝承館へ直行する道路が作られていて、微妙に地図とは道が変わっているのだが、迷うほどではない。
(「復興シンボル軸」)
建設中の「復興シンボル軸」とやらには「ゼロエミッションへの挑戦」なる横断幕が掲げられていて、しらける。この伝承館への直行道路が完成すれば、双葉町内を素通りすることになり、ますます原発事故の「見えない化」が進むだろう。そうなれば、「なかったこと」にしたい人たちにとって「原発事故をカモフラージュするための施設」である原子力災害伝承館は、見事なプロパガンダ施設として完成することとなる。
(猪が地面をほじくり返した跡)
白山神社の鳥居の前についてから、せっせと階段を登り小山の中腹の神社へ。
鳥居をくぐると線量は上がり、毎時1.5〜3.0μSvほどまで上がった。今ではこの程度では驚かなくなったが、こういった「慣れ」はちっともいいものではない。
(白山神社)
神社の境内は土がふかふかしていて、除染した形跡が見られる。除染したにもかかわらず、場所によっては毎時3μSv近い数値が出るということは、もしかして神社の裏は…と思い歩いていくと、あっという間に毎時5μSvを超えてしまった。
この山の中は、一体どれだけの高線量なのだろうか。
今(2021年9月)考えてみると、1Fから北西方向のこのあたりは、どこも非常に線量が高い。町なかを測って歩いてみて、放射性プルームがどのように流れていったのか、なんとなく想像することが出来た。この先には今も帰還困難区域となっている浪江町酒井地区がある。
神社の社の中は6月に見た時と変わらず、動物が入ったのか人が入ったのか、ひどく荒らされたままだった。
(南(大熊)方面)
白山神社から南東方向へ目を向ける。茶色の双葉町役場と白い中間貯蔵施設の向こうに山があり、その向こうには福島第一原発の排気筒が見えた。
(中間貯蔵施設と双葉町役場)
(福島第一原発排気筒)
原発事故当時、あそこからベントや水素爆発で大量の放射性物質が放出され、こちらへ向かって飛んできた。一体どれだけの量の放射性物質が放出されたのか。
2011年8月に双葉町の中心部に一時帰宅したOさんは、バスの車内で毎時50μSv、車外では毎時100μSv以上あると聞かされたという。事故から5ヶ月が過ぎた時でもそれだけあった。その中心部よりも遥かに酷く汚染されたと思われるこの場所は、一体いくつまで上がったのだろう。
原発事故直後に双葉入りしたジャーナリスト神保哲生さんの報告では、あまり汚染されていなかった海岸近くで毎時100μSvを超えていたと記憶している。同じく3/12に双葉入りしたフォトジャーナリスト豊田直己さんらの報告では、双葉厚生病院で毎時1000μSv(1mSv)を超えた。今、アスファルトに囲まれたその場所は毎時1.5μSv前後だ。それに対して山の中のこの白山神社では毎時5μSvを超えている。ちなみに、朝日新聞による原発事故直後の報道では、3/16に1Fの正門付近で毎時10mSvを超えたと伝えられている。
福島第一原発事故によって放出された放射能で死んだ人はいないと平気で言う人たちがいる。甲状腺癌をはじめ、さまざまな病気との因果関係も、今のところないとされている。しかし実際には、避難した人たちがどれだけ被曝したかは1080人しか測定されておらず不明である。健康被害がないと主張する人たちの根拠も、「3/12早朝には避難が済んでおり被曝した人はいない」という嘘だったりする。状況証拠を踏まえれば、1Fの事故が周辺住民の健康に影響を与えていないということは考え辛い。僕はそう考えている。
…そもそも、事故後に何か体調を崩した時に、「ひょっとして原発事故が」と考えてしまうような状況を作ったことが問題ではないだろうか。
さまざまな想いが頭を駆け巡る中、撮影を終えて白山神社を後にする。
廃墟が立ち並ぶなか、お約束のように長命山正福寺へ。この時期の正福寺の参道は凄まじい雑草に覆われていて、ここから敷地内に入るのは躊躇われた。
ざっと迂回しながら、正福寺の隣のまどか保育園へ。
双葉駅前で最も線量が高いといわれるこの場所は、双葉に来るたびについ足を運んでしまう。今回も当たり前のように毎時3.8μSvを超える。尤も、もっと線量の高い場所を2021年2月再訪の際に見つけてしまったが。
そのまま改めて横から正福寺の敷地に入って通り抜けると、境内が少し片付けられたようで、フレコンバッグがいくつか置かれていた。ここもいずれは解体されるのだろう。
待ち合わせ場所である駅へ向かう。3月に訪れた時よりも解体は確実に進んでいて、駅前はスカスカだ。わかば薬局がポツンと建っている。
インスタグラムなどでも、解体を復興であるかのように語り、放置された廃墟を早く解体するようにいうアカウントが散見されるが、それはあまりにも避難した地元住民を馬鹿にした言説だと思う。
「解体=復興」ではないし、最近、僕はこのエリアの「復興」は出来ないと考えている。復興とは復旧がなされて初めて出来るものだからだ。今この原発事故被災地で行われていることは、住民不在の再開発(破壊)計画でしかないと思う。
<続く>
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