「仕事はなくならない」などとコメントするのは誤りの上に害悪だということ
前にこういう記事を書いた。
これは「今は仕事が少なくなってきているし、これからもその状況は加速していく」ということを前提に書いたのだが、そうしたところニューズピックスのコメントに「仕事はなくならない」というコメントが散見された。
しかしこうした意見は、単純に誤りの上に、少なからず害悪だとも思うので、今日はそのことについて書いてみたい。
今の若い人は知らないかもしれないが、昔は「報連相」なるものはなかった。ビジネスマナーもなくはなかったが、今ほど多くはなかった。なぜなら、みんな忙しくて報連相などする暇がなかったからだ。ビジネスマナーもしている暇などなかった。昔は仕事に溢れていた。本当に忙しかった。報連相ができたりビジネスマナーが増えたりしたのは、世の中から仕事がどんどんと減っていったからだ。それを埋めるため、あるいは誤魔化すために、そうしたものが編み出されていったのだ。
では、昔はどのように忙しかったのか? 例えば、昔は各会社に「電話係」というのがいた。誰かからの電話を受け取ったら当該社員が不在の場合に、伝言を聞き取って当該社員が帰社するか彼から電話がかかってきたときに伝えるのだ。昔は携帯電話がなかったので会社には常駐の連絡係が必要だった。そんなふうに、電話連絡自体が仕事だった。電話番というのが一つの職種だったのである。
あるいは、スケジュール調整も手間がかかった。特に社長の予定はあちこちから入ってくるから、誰かが取りまとめて調整する必要があった。その取りまとめが「秘書」だった。さらに、その秘書を補佐する役や忙しい秘書の代わりに連絡を担当する係も必要だった。そのため「秘書室」なるものができて、そこには常時7人から8人の人員が詰めていた。それだけ「スケジュール調整」というのは手間がかかったのである。
そして「移動」がまた大変だった。東京から大阪へ出張となると、まず新幹線の切符を取ることからして一日がかりだった。出張する本人が取りに行く時間はない場合が多いのでたいていは総務の人間が買いに行った。総務の人間は、他にも宿を手配したり訪問先の地図をコピーして出張する社員に渡したりして、その際に出張で留意するべき点をレクチャーすることも必要だった。
こういう風景はだいたい1990年くらいまで残っていた。今からわずか30年前だ。つまり30年前までは「電話番」「秘書」「総務」という仕事が会社の中にあって、しかも彼らは全員が正社員だった。それなりに高い給料をもらって、上場企業ならローンを組んで郊外に家を買い、結婚して子供を二人育てるくらいの金銭的余裕があった。つまり立派な仕事として認められていたのだ。
その少し前の時代、80年代だと会社の各課に専門の事務員がいて(たいてい若い女性)、仕事で使う用紙やボールペンの手配、書類のコピーなどをしていた。それらを購入するのは総務の役目なのだが、総務の倉庫から許可をもらって自分の課に持ってくるのは各課の事務員の仕事である。その事務員ももちろん正社員だが、彼らはたいてい寿退社し、いつまでも未婚で残っていると「お局様」などと呼ばれた。
そのさらに少し前には「タイピスト」などという仕事もあった。ワープロがないからいちいち文書(手紙)を清書しなければならなかった。作らなければならない文書は無数にあったので、彼らはいつも大忙しだった。ただし、もちろん正社員だし、昔は組合活動も盛んだったので、彼らは当たり前のように定時に帰った。
また、今でもまだ僅かに残ってはいるが、昔は各会社に「経理」という仕事があった。しかも何人もの人員を抱えていた。だいたい全社員の20%くらいを割いていただろうか。10人の会社だったら経理は2人必要だった。100人の会社だったら20人が経理課の所属だった。
彼らは毎日電卓を叩いたり書類に判子を押したり請求書を郵送したりしていたが、電卓の前にはそろばんを弾いていた。そのためそろばんが得意だと経理への就職が有利だった。おかげでそろばん教室は子供たちの習い事の定番で、たいそう繁盛した。
ところで、昔は仕事に持っていくものがたくさんあった。今から四半世紀前の90年代初頭だと、手帳、筆記用具、カメラ、携帯用音楽プレーヤー、テープレコーダー(なぜか音楽プレーヤーとは別だった)、お金、定期券、名刺、書類、移動中に読む本、ガラケー、その他。おかげで鞄はいつもパンパンだった。
ところが今は、上記のものは全部スマホに入っている。だから、手帳を作る人、筆記用具を作る人、カメラを作る人、携帯用音楽プレーヤーを作る人、テープレコーダーを作る人、お金を作る人、定期券を作る人、名刺を作る人、書類を作る人、本を作る人、ガラケーを作る人、みんな市場が縮小して仕事が減るかなくなった。ついでに鞄を作る人も市場が縮小して仕事を見つけるのに苦しんでいる。
そして今、電話番、秘書、総務、事務員、タイピスト、多くの経理、そしてそろばん塾の先生などの仕事がなくなっている。それらの仕事はほとんどGAFAMというたった5つの会社に吸収されてしまった。そしてGAFAMは巨大な市場規模を誇るにもかかわらず、社員数が驚くほど少ない。昔は経理という仕事だけで日本に1千万人くらいの雇用があったが、今は「GAFAM」の作り出すサービスがそれらのほとんどを奪ってしまった。「経理」という仕事はこれからもGAFAMに奪われ続けるだろうが、その代替となる仕事はいまだに生まれてきていないし、今後も生まれそうにない。そろばんが得意なだけの人は、どこにも仕事が見つからないのだ。
よく「仕事がなくなる」というとロボットやAIを引き合いに出すことが多いが、彼らが本格的に仕事を奪っていくのはこれから先のことで、問題の本質はそこではない。本当に問題なのは既にあるインターネットサービスやスマホが30年前にはたくさんあった多くの仕事を奪っており、しかもその代わりとなる仕事はいまだに生まれていないということだ。日本の仕事は30年前と比べて激減していて、だから「仕事はなくならない」などというのは誤りも甚だしいのである。
そういうことを知りもしないで「ロボットやAIが普及しても仕事はなくならない。モータリゼーションによって馬飼が自動車の組立て工に置き換わったように、時代が変わっても新しい仕事はどんどん生まれる」などという知ったかぶりをしているのは状況の誤分析も甚だしい。なにしろそこから100年が経過しているのだから、テクノロジーの進化する規模と割合は比べものにならないくらい大きくなっているのだ。仕事が奪われるスピードは仕事が生まれるスピードに比べて圧倒的に速くなっているし、しかもGAFAM自体が既存の仕事を奪うことを一つのコンセプトにもしているので、「仕事がなくなっている」というのは世の中の本質的な流れなのだ。
そしてあらためて強調しておきたいのは、仕事がなくなるというのは未来の話ではなく、すでに起こっている話ということだ。そして、その状況は今後もさらに加速するだろうと予測されることである。
だから、「時代に乗り遅れないように、古い仕事にしがみつかず、新しい仕事を探すべきだ」などと言っているのは悠長すぎて、それだといざ本格的に仕事を奪われたときに準備が間に合わないので路頭に迷うことになる。もし本当に時代に乗り遅れないようにしたいのなら、新しい仕事を探すのではなく「仕事がなくなったときにどうするか?」「どうすれば仕事がない中で生きていくか」ということについて考えた方がよっぽど現実的だ。それくらい、時代は我々の仕事をあっという間に奪っていくだろう。そんな状況なのにもかかわらず、「仕事はなくならない」などと言うことは、他人はもちろん自分を油断させることにもつながるので、本当に害悪なのである。
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