文脈くん
文脈は、アートであれエンタメであれ、コンテンツを商品として成り立たせるためにはきわめて重要な役割を担います。アートビジネス、コンテンツビジネスが成立するか否かは、ほとんど文脈にかかっているのです。ぼくはこれまで、その文脈についてさまざまな研究をしてきました。それをご紹介していくのが、このマガジンのコンセプトです。また、その文脈についての論考をビジネスとも結びつけ、仮説を展開していきます。このビジネススキームの仮説が、みなさんの役に立つことを目指します。記事は月10本ほど、つまりだいたい週2のペースで五月雨式に発表していく予定です。
文脈とは何か? それは、価値が生成される過程の物語のことだ。人は、物語を必要としている。なぜなら、物語の真贋なら鑑定しやすいからだ。それゆえ、ものごとを見極めるとき、文脈を必要とする。 文脈に則った作品は、価値を認めやすい。例えば、モナ・リザという作品がある。モナ・リザは、イタリアを追われたレオナルド・ダ・ヴィンチがフランス王に招かれ、その地で亡くなったため、フランスの所有物としてルーブル美術館に所蔵されることになった。つまり、ダ・ヴィンチやモナ・リザの価値をイタリア人は
今回は、ある本のことについて書いてみたい。
回転寿司のスシローで、客が不衛生な迷惑行為をし、しかもその動画をネットにアップした。 おかげで、炎上したのはもちろん、スシローの株価も大きく下がるなど、大変な事態(被害)へと発展している。 こうしたバイトテロ(今回は寿司テロ)を見るたび、思うことがある。それは、テロをする人たちは相当「追い詰められている」ということだ。
最近「立体的思考」という言葉がぼくの中でキーワードとしてある。ものごとを「多次元的」に思考できるかどうかが、今の世界を生きていく上では重要な鍵になるように思う。 例えば、右に100メートル行き、そこから右に100メートル行き、さらに右に100メートル行く。すると、元いた地点にはどう行けばいいのか? ——答えは「右に100メートル行く」というものだが、これが分かるのは「平面感覚」である。 しかし立体感覚は、こうなる。まず右に100メートル行った後、上に100メートル行き、
ぼく(岩崎夏海)と稲田豊史さんの共著『ゲームの歴史』という本がある。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 ぼくはなんとなくだが2025年が大きな節目になるような気がしている。日本は1995年が大きな節目だったが、そこから30年——つまりちょうど1世代ジェネレーションが代わったところで、また大きな節目となるのだ。 そして、2025年からはいよいよ日本が沈没する30年になる。1995年から2025年の30年間は、沈没の気配を直視してシステムを改善するか、それとも見て見ぬ振りをして傷口を広げるかの2択であった。そして日本
映画『THE FIRST SLAM DUNK』を見てきた。その感想を書きたい。
夜中に「頭がいい人」と「仕事ができる人」の定義を思いついた。これは自分ながら大発見だと思う。
少子化やコロナをめぐる狂騒は、一見非合理的だがだが、実は「人口を減らす」という意味においてはきわめて合理的である。日本人は無意識的には人口を減らしたいと心の底から願っているが、なぜかほぼ100%の人が意識でそれを気づけない。今「なぜか」と書いたがその理由も実は分かっていて、意識で気づけない方がよりスムーズに人口を減らすことができるからだ。つまり、「相当人口を減らしたい」と思っているのである。我々は。この考え方だと、マタハラや子供に対するハラスメント、虐待や犯罪なども全て説明で
ネトゲ廃人だったぼく
日本は強い強いと言われながらなかなか世界(ヨーロッパ・南米)の強豪国に勝てなかった。その理由はさんざんいわれ尽くしてきたのだが、やはり「文化の差」が大きかった。 どんな文化かというと「マリーシア」だ。 日本にはマリーシアがなかった。逆に、ヨーロッパ(南米)のサッカーにはそれがある。いや、むしろ「溢れ」ていた。 その差が大きかった。その差は「文化の差」なので、どれほど日本のサッカー技術が向上しようとも、少しも埋まることはなかった。 ところが、その「マリーシア」がここに来
宮台真司さんが、こんなことを言っていた。 この動画は非常に面白いので、全部見ることをおすすめする。 結論から言うと、タワマンの上層階に住む人はやはり
これも一つの社会的価値変化の顕れだと思う。その変化とは「暴力の蘇り」だ。
最近、思うところがある。それをこの記事では散文的に書いてみたい。 noteが、上場するという。
この記事にインスパイアされて書きました。 クリエイティブになるにはどうすればいいか? そういう問い立てについて議論するとき、ぼくには最前から「格好から入る人が多いのではないか」という疑問があった。つまり、クリエイティブというのはある種のスキルであって、手順を踏めば誰でも身につけられると思っている人が多いのではないだろうか。しかし、それは違う。クリエイティブはスキルではなく、「状態」のことなのだ。その意味で、誰でも持てるかもしれないが、誰からも失われたりする。 「クリエイ
「奇跡の年」という概念がある。元々はアインシュタインが1905年に立て続けに偉大な論文を発表してこの名がついた。そんなふうに偉業が連続する年のことを「奇跡の年」という。