わたしがわたしじゃ、だめなんですか。
私以外私じゃないの
当たり前だけどね
(ゲスの極み乙女『私以外私じゃないの』より)
昨日、弱音を書いて公開して、反響を眺めていたら、こつんとある問いに行き当たった。
「わたしがわたしじゃ、だめなんですか」
思いついたら、まるで、みんながそれを抱えているように見えた。
勉強ができない子ども。
女っぽくない女性。
仕事ができない会社員。
良妻になれない奥さん。
いくさが嫌いな武士。
子育てがにがてなお母さん。
力が足りない男性。
こんなわたしであることが、自他ともに認められない。許せない。
そんなわたしであることを、自他ともに責める。懲らしめる。
いまは、そんな世の中なのかもしれない。
だからなんとかなるべき私になろうとして、不適用を起こす。落ちこぼれる。
自分について言えば、それは走りたくもないルームランナーに似ている。
というか、走りたかったのかすらよくわからない。でも、止まってしまったら、後退して転げ落ちてしまう感じがする。一巻の終わり、というか。
つらいのは、他の人にどうこう言われることもそうだけど、なにより自分が自分を認められないことだ。それよりもルームランナーが動いているのだから、走るしかないと言い聞かせる。
その上、他の人も「自分だって走っているんだから」といろいろ言ってくる。自分もついそんなことを言いたくなる。
みたいなことが、僕だけに起きている話ではないと気づく。
人からそういう話を耳にすると、僕は反射的に「こういうもんだ」という常識に合わせなくていいんじゃないかと思う。
「男とは」「女とは」「夫とは」「妻とは」「父とは」「母とは」
「子どもとは」「勉強とは」「仕事とは」「結婚とは」「お金とは」
そういうあれこれについて、いままで「こうだ」と言われてきたことは忘れて、自分なりに決めてしまえばいいんじゃないかなあという気がする。
どーだっていいんじゃないか、君おもろいから。
と、つくづく思う。
そう思う気持ちが僕にはあるのだけれど、それじゃだめなんですか、と自問して「だめなんだろうな」と思って「こまったもんだよね」という顔をする。
私以外私じゃないの
どうやらあなたもそう
誰も替われないってことみたいね
背を向けて言い合った
「ゲスの極み」と自嘲した人たちの曲が、その年のヒットソングになったのも、なんだか時代だなあと思える。もちろん、いい曲だけどね。
私以外私じゃないの、誰も替われないわ。
それぞれの「わたし」を担っていることの大変さに敬意を表するような暮らしができないだろうか、なんてことを思ったりもする。
でも「わたしがわたしじゃ、だめなんですか」って悶々としてる人の話って、面白いんだよなあ。僕はそういう人が好きだから、これはこれで困ったことかもしれない。
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