まぼろしのクラスメイト

まぼろしのクラスメイト。

児童館で
子どもたちの生活に触れるとき、
つい「その頃の僕」と
比較してしまう。

そして、
「小学校のあのクラス、
 中学校のあの教室に、
 そんな子たちがいたのか」
と驚く。

自分しか見えていなかった教室に
一人、一人と明かりが灯るように
見えていなかった
クラスメイトたちが登場する。

たとえば、児童館には
親とあまりうまくいっていない
子どもたちも来る。

彼らは親の態度や行動について
たえずグチを言っている。

親にあまり
かまってもらえていない
子どもたちも来る。

食事をちゃんと食べてるのか
服も変えてもらっているのか
ちょっとわからない。

そんな彼らは、
いつもなんとなく寂しげだ。

ひとり親の子たちも来る。

当たり前のように話していても
ときどき、
もう一人の不在の親の
存在がちらついたりする。

いじめられていた子の話も聞いた。
行き場のない大変さを語る
口調には迫力があった。

その頃の僕は、
テストの点を気にしたり、
ゲームや漫画に
熱中したりしていた。

その頃、彼らは、
親や食事や服やいじめのことを
気にしなければならなかった。

自分のことに注げる
意識の量があまりにも違う、
と思った。

それでわかったことがある。

僕は長らく
「勉強ができる子」と
「できない子」が
存在すると思っていたけれど、
それは違うのだと思う。

「勉強ができる子」というのは、
勉強に意識を向けやすい状況
にある子で、

・親とうまくいかない悩み
・食事がちゃんと出ない不安
・親がいないさみしさ
・いじめから抜ける方法

といったことに気を取られずに
勉強に向かえる子のことなのだ。

それに、ほとんどの子にとって
学校の勉強は自ら望んでする
ようなものではないだろうから

・それほど興味のないことでも
 意識を向けつづけられる

という特性を持っている子、
とも言えるだろう。

もちろん、
本人の努力もあるとは思う。

でも、上に挙げた子たちと
当時の僕との違いを思うに、
両者を同じ「点数」で測って
「勉強ができる子」
「できない子」
に分けていくのは、
フェアじゃない気がした。

しかも、この
「勉強ができる子」
「できない子」
のレッテルは、
その後の人生にも影響力をもつ。

中高生の学習会をしていても
「おれ、頭悪いから」
と言うのをよく聞くけれど、
それが本当かどうかはわからない。

でも、そうやって
言い聞かせることで
彼らは先の人生の選択肢を
自ら狭めてしまう。

ファシリテーションとか、
ファシリテートというのは
「促進する」とか「容易にする」
という意味の英語だそうだけれど

学校の子どもたちに必要なのは
もしかしたら教えることよりも
勉強というものに
意識を向けやすくする
ファシリテートなんじゃないかな。

勉強しているかどうか
成績がいいかどうかなんかより
もっと難しい問題を解いていて
心の中で「助けて」と訴えている
子だっているのだから。

そんなクラスメイトたちが
いたのかもしれない
かつての教室で僕は机に向かい、
いわゆる「エリート」になった。

恵まれていたとも言えるし、
視野が狭かったってことでも
あるんだなあ。

その頃、クラスメイトのだれかの
「難問」に耳を傾けていたら
ぜんぜん違った人生に
なっていたのかもしれない。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)