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コロ中読書感想文:『街場の親子論』を読んで



前回のnote.にもつながることなのですが、私は本当に恵まれています。最早特権階級だなと思うときすらある。大学は出たけれど、な齢三十五で大変焦る身ではあるけども、な!クセに(この"な、クセに"が特権なのである)路頭に迷っても滞在を許してくれる場所は複数思い浮かぶし、自分がつくったものを、対価まで支払って聴きたい、見たいという意思を示してくださる方が、日本中に、世界にも、誰かしら居るのを知っている。冷たくされたことよりも優しくされたことの方がより多く、強く印象に残っているため、所謂人間の"善意"を信じることが出来ること。どんなに酷いことがあっても…、というか、だからこそ"何故こんな酷いことをするのだ"とド★ストレートな怒りも湧いてくる。身体で人間の"善"の部分を覚えてないと、こうはならないだろうと思うので、やっぱり…。

(大学は出たけれど)"学が無い"のがコンプレックスです。勉強や試験がホンマに苦手意識すごい。何ひとつ身についてない、という強迫観念があります。インテリに憧れているし、勉強ができる、本を読むのが早い、要領がいい、整理整頓できる、博学な人だと思うと、即「いいなあ〜」と羨ましく思ってしまうのです。こういうと、「ニイサンだって色んなことをよく知ってるし(映画観てるからだよ)賢い(よく喋るからだよ)方に入るのでは?」という励ましを頂戴することもあるのですが、私がもし"賢く"見えるのなら"他人を舐めないようにしている"からですかね。アタマが悪いのは仕方ないとして、最悪でも"馬鹿"に見られるのはヤだなと思って、じゃあ"馬鹿"だと自分が思う人の共通項てなにかしら、と考えたり観察したりしてましたら、老若男女問わず"他人を舐めてる人"だった。("イキってる人"とも言えますね。そこがカッコいいとか、なんや覚悟を決めているからこそだ、とか、そんなふうに感じる方もいらっしゃると思います、それは感性の違いなのでお互い無駄にぶつからないように致しましょう)それをしないだけで随分違うんじゃないかな、と思って。"どーせコイツはこんなかんじだろうからこうしとけば自分のことをエラいと感じるだろう"という態度ってわかりませんか?あからさまな人は論外として、うっすらそういう態度が出てしまうのが、何故かこちらも一緒になって、かなり恥ずかしいのです。自分もめちゃくちゃ気をつけたいんです。やっぱ老の男に多めな気もします、当然といえば当然です。ヘテロ男性は相当甘やかされてますよ、やっぱ。そこに気づくだけで大分違うと思いますよ。

前置きが長くなりすいません!!!

『るんは風の中』は特に関係ないそうです

お友達であり「マルチランデブー」というゆる〜いダベりユニットを組んだりしている、内田るんさんがとうとう!書店に並ぶ本を書かれました!実父である内田樹さんとの往復書簡というスタイルの本『街場の親子論〜父と娘の困難なものがたり〜』です。比較的お安いし持ち運びもラクだし、何よりもお二方とも文章が大変テンポよく機知に富んでいる(いいなあ!)ので、楽しく、すぐ読めちゃいました。内田樹の娘、というだけで、所謂"親の七光"という視線もあるかと思いますが、もっとヤングなときにこのパワーを使えるくらい(親しみを込めてこう書きます)るんちゃんがなんつーかサカシイ人間ならもっとなんつーか今頃地位が確立してて、在りし日の吉本ばななくらいにはなれてたんじゃない?(ダイタン!)でもそれをしなかった…出来なかったところにまず、一つ信頼が持てやしませんか?と私は思います。ニイサンの話に出てくる”るんちゃん”て、もしかして樹氏の娘さん?!と何度言われたか。友人としてヤキモキしてましたもん、やっぱさ、あの人はあんなにチヤホヤされててさ!るんちゃんの方がもっと…、とか、そりゃ考えますよって。どーだ!るんちゃんは賢い!と、小学校低学年の妹みたいなテンションで鼻息フンガッな気持ちでいることをお許しください。本当におめでとうございます。親子の思い出話から展開していく諸々、内容については是非お読みになって!という感じですが、無粋な話を、ちょいと書いておきたいなと思って。

載ってる写真、二人とも可愛くてすごく良い写真だったよ。

あのね、全体を通して気になったのは、樹さん、るんちゃんの話、聞いてる?てとこなんですよね。敢えてなの??というくらい、るんちゃんが"お父さんとの思い出"から抜き出した問いにきちんと答えている、とは、失礼ながら言い難く、その"思い出"についてのエッセイが書いてある、という雰囲気で。いや、すごく面白いんですよ、そのエッセイはね?!でもさ、るんちゃんの問いは??なんで無視するの…??るんちゃんはめっちゃ反応して返してるのに??編集も入りますし勿論、前書きに"噛み合ってない親子"とも書いてあって、それも分かるのですけど…なんか、言葉のキャッチボールてヤツよ、エッ?!いいボールなのに何故?!が散見されました。だから、敢えてそうしてあるの?とも思ってるんですけど…。そこから何か"察してね"という感じで、まあ"察せ"はられるんですよ?!でも、それ"娘"という立場の人間に対して、随分と甘えた態度な気がしますが、やはり私が"娘"の立場でしか人生を生きていないからでしょうか?そして、これが"息子"だったら果たしてどうだったの?という。私は常日頃から『男って男の言うことしか聞かねえな〜(ハナホジ)』ってしてるんですけど。

おんなのこって本当は”父殺し”がだ〜いすきなんだ(えっ、ちがうの)

芸術の"運動"(社会運動、とかじゃなくて、純粋に身体を動かす、ほうの運動)…"継承"とも言えるかな、の一つに"父殺し"というテーマがありますが、これはおもに"父親的なるものを息子的なるものが殺す”…、つまり"超える"という意味です。いつか息子(的なるもの)が殺しに来る、このことを意識していない中年以降の男性作家はいないかと思うんですが、これがですね、特に00年代以降まったく進んでいないなという印象が個人的にはあります。それが所謂"サブカル"とか?が、分かりやすくヨロヨロと着地したとこなんじゃないかなと。形を変えたのかもしれないと、私は最近"父降り"というのが流行ってねーか?と、つまり父親も人間なので、殺すまでいくのはかわいそうだから、その地位から降りてきてくれれば"赦す"ということで、息子と相互理解を深めて云々、みたいな感じといいましょうか。それはそれで大変結構なことなんですが、この本の中でなされているのは"娘による父殺し"だな、という。まさか"娘"が"殺し"にきているとは"父親"は想定していないので、"殺されて"も、気がついてないのではないか。第三者、読者(観客)である私には、るんちゃんの殺気が感じられるし、樹さんがドバドバ血が出ているのに気が付かずに動いている(日頃の鍛錬の賜物)という、そんな二人の関係が視えるようで、心あたたまる生活描写の裏で、ヒヤヒヤとしたやりとりを読み取ってしまいました。大丈夫かしら??もしかしたら、私がるんちゃんと普段付き合いがあるという特権…特等席からオペラグラスで鑑賞しているからかもしれませんが…。そういう視点からもどうぞご覧になってみて下さい。全然ほのぼのした本じゃないから。まあ私が眺めがいいな、ずっと見ていたいな、なんて思うのは、こういうほのぼのの皮を被った、血まみれの関係性だからかもしれないね。"血まみれフェチ"つのも、るんちゃんに指摘されたことだけど。

"娘による父殺し"ありそうでなかった。そう見えたのは、フィクションではなく、生身のやりとりだったからこそなのかもしれないし、…いや、私が知らないだけで、過去にもあったのかもしれませんが…(該当する作品あれば是非教えて下さい)今日までまさか手塩にかけた娘が寝首を掻きにくるとは、多くの父親は考えていないんじゃないかなと思います。もしくは、"父殺し"の欲望を持つ娘たち(案外います)は、"息子"という鎧を被って戦いを挑んでいたからなのかもしれません。当然、私は"息子の鎧を被った娘"というタイプですね!(笑)なんかさー面が張り付いちゃう能の演目ありませんでしたっけ(ア〜ンすいません)、あれよろしく、苦しくもなく、さりとてラクでもない、そんな鎧が皮膚に張っついちゃってるのかもしれなくて、それをフェミニストである彼女は、『勇敢なのはヨシとしてもオマエ皮膚呼吸できなくなるぞ!』と、ベリベリ剥がしてくれたような人だったのかもしれないなー、なんて思いました。かといって、彼女おススメのカラフルなオシャレに目覚める、とかもないのですが…(笑)。

ここで炙り出された"父親"とは、"女の話をマトモに聞けない、聞かない男"ではないでしょうか。樹さんは"若草物語"によって女性の視線を学んだというような記述がでてきましたが、それはまあナルホドなんですけどね、丸め込まれそうになるんですけどね、当の娘の話をはぐらかさないで欲しいです。しかしこうやって、ナルホド慣れしてしまうとアブナイんだな。気をつけなくては。

それも小気味良い生き方だ

…とまあそんな感じで抜身の"娘"なまま、"父殺し"にチャレンジしたるんちゃんを、このような角度から讃えたいと思った次第です…つのは些かサムライな目線過ぎるかな。え、かっこいいですよね…??るんちゃんの話フツーにオモロかった、と思うのが一番そうなんだけど。特に日本の資本主義経済活動はとうに終わっていて〜、の件やなんか、トーチャンは呑気なマルシェだかなんだかでヨロシクやってんだか知らんが…、な一方、ムスメは市井に目配せちゃっかりヘタすりゃ先まわりッスよ、とかさ?とか思ってたらトーチャンも褒めてらしたが…いいですよねあそこ!ポン・ジュノ監督の映画『スノーピアサー』ぺえ。

(殺す殺すと物騒ですが、勿論"憎しみ"からくる殺意ではなくて、芸術を通しての、お互いの成長の通過儀礼としての"殺し"なので、あしからずです!あ、でも例えば家庭環境的にるんちゃんが親に対して"憎しみ"を持たなかったわけがないので、"憎しみ"という感情を否定するわけではありません、こちらもあしからず!)

余談ですが、TVOD著『ポスト・サブカル焼け跡派』(私やるんちゃんと同世代のお二人が書かれたということで…とんだとばっちりですがオススメです)という本もちょっと前に読んで、こちらも主に"サブカル父殺し"の本だと思って興味深かったです。こちらも父、つまり男性アーティストに対しては鋭く斬り込んで整理してらして、素晴らしいなと思ったのですが、女性アーティストに対してはやっぱちょっと切っ先がフラフラしている気がしましたがどうでしょうか。多分ですけど、それは性別が女性だからと言って”父”の機能を持つ”母”(まあなんつうかクシャナは女シャアってわけじゃないてゆーか?)ではないからで「サブカルという舞台上にはそもそも女性は不在とされている」ことの動かぬ証拠ではないか?(エラソ〜)。私もまだご覧の通り全然考えがまとまらないので(笑)色々な人の見地を聞いてみたいな〜!さらに蛇足で、個人的には"サブカル"の殺されるべき最大の"父親"とはタモリだと睨んでいて、勿論この本でもタモリは触れられているのですが、もっとタモリを…彼が生きている間に…突き詰めたいですね…考えてるだけですが…。

ともかく!そんな"憎まれない父親"という欺瞞に踏み込んだ内田るんさんの、今後の活躍に期待しております。麗しのマリクン(俺)も、観客でばかりは居られません!かといって何をどーすりゃいいかもようわかりませんかまあ読んだらヤル気出た!というnote.でした。私の座右の銘(過去最大読まれた私のnote.記事かな?)は「師を見るな、師の見ているものを見よ」で、樹さんのご紹介で存じ上げた世阿弥の言葉(と指摘してくれたのはるんちゃんですが)なのでした。その節は(?)ありがとうございました。そして、自分は樹さんの"永遠のアイドル"である、"橋本治"の影響下にある、と認識しています。やー、世の中、回ってんなあ、って。感慨深かったです。兎も角るんちゃんお疲れ、めっちゃ面白かったし細かく色々聞いてみたいよォ!!!遠くに住んでるから全然会えてないけど、会いたいな〜。


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