見出し画像

東京に行くなど【3/30~4/9の日記】

2024年4月9日(火)

目まぐるしい4月の初旬を過ごして、先ほど心に一つの踏ん切りがついたのでここにきた。

「部屋の状態は心の状態を表す」と同じで、日記も書きに来れている状態が心の余裕だ。

「毎日日記を書けさえすれば私の人生それだけで良い」という私の人生の指針ってなんだかんだハードル高めだよなと思いつつ、それでも今こうして短いスパンでここに来れているのでとてもいい。

前回の日記より10日ほど空いてしまったが、今月は薬の効きが良いのでPMDD真っ只中の期間ではあるけど、日記を書きに来れたのが結構な快挙で感動している。

たった10日とはいえ、無職のくせに日常は慌ただしく変化してる。

3月30日から今日までの毎日を短く記して、10日前の自分に向けてアンサーをしていこうと思う。


3月30日から今日までの日記

・3月30日(土)

・3月31日(日)
劇場版グレンラガン紅蓮篇と螺巌篇をウォチパで一気見する。
青春18きっぷを使って翌日の始発で向かうので準備をして1時就寝。
寝付く前に胸騒ぎがし、切符のことが気がかりで起きて確認しに行ったら、しまっていたはずの場所に切符がない。
朝4時まで探すものの見つからず、
朝イチみどりの窓口で18きっぷを再購入して向かうことにする。
(4/9現在も見つからず。本当にどこいったの・・・)

・4月1日(月)
朝8時、みどりの窓口で購入しようとするが販売期間は3月31日までと言われ、そういえばそうだった…と思いながら待合室で策を練る。
一度は病院や宿の予約を全てをキャンセルして出直そうかと思うものの、
一縷の望みを賭けて10時開店の駅前の金券ショップをめぐる。
しかし18きっぷはどこも入荷待ち状態。
18きっぷで向かうことは諦めて夜行バスを予約。
徒歩で帰宅する。
東京に行くために薄着だったので肌寒い帰路だったのが切なかった。
日中ポッカリと空いた時間、
悲しみの爆食をしながら切符を再び探し、結局見つからず、
夕方ツイッターとジモティでひたすら青春18きっぷの譲り受け交渉をする。
夜行バスに乗り込む頃、無事に交渉成立。

・4月2日(火)
午前6時半、東京到着。
やっぱり夜行バス9時間は疲労がすごい。
津波にひたすら流される夢を見てて最悪だった。
午前11時の渋クリ脱毛予約の時間まで物件を見に行き、散歩をしながら公園で朝ごはんを食べる。
東京は少し桜が咲いてる。よく晴れて暖かい。
秋田では絶対見ることのできない質感の空の青。
その後脱毛施術、矯正歯科に行く。
矯正してもインプラントは必須と言われていた先天欠如歯が抜歯一本のみで矯正で詰められると聞いて目から鱗が落ちる。
治療計画を聞いた後は、取引していた18きっぷを無事受け取る。
受け取る際に「良い旅を」と言われ嬉しくなる。
これで東京から秋田への退路は無事確保できた。
残りの時間は手紙舎に行ってみようと井の頭線のホームまで行くが、Googleマップを見返したら定休日ということに気づく。
手紙舎に寄ってそのまま日帰りしようと思っていたけれど、もう一泊して翌日に行くことにする。
タクさんと夜飲みに行く話を取り付け、ベローチェで充電がてら時間を潰したりSPBSに寄るなどする。
夜、タクさんが転職成功したという話を聞いて小躍りする。
食べたかったけどなんやかんだでなかなか食べれていなかった念願のトリキの鳥雑炊をたべる。

・4月3日(水)
朝11時に手紙舎に向かう。
雨が降っていたのでタクさんから傘を借りる。
つつじヶ丘には半年ほど住んでいたことがあり、手紙舎にいこういこうと思いつつ結局行けていなかったことを思い出す。
住んでいた頃にあまりいい記憶がなかったので、駅での土地勘も死んでいて全てが初見の反応になっていた。
手紙舎に向かう道、桜が満開だった。
雨が降ってなければお花見していたのに。
手紙舎では桜パウンドケーキとコーヒーを注文し、「手紙社のイベントの作り方」読了。
2時間過ごす中でお客さんは絶え間なく来ていた。
その後新宿に移動し、ブックファーストと紀伊國屋書店に行く。
これも東京に住んでたくせに新宿に近寄らなさすぎて4年ぶりくらいだった。
赤坂のカスタマカフェのナイトプラン開始の18時まで、マックで隣のカップルの会話を聞きながら時間を潰す。(最悪)
カスタマカフェ、カレー食べ放題だったが1皿が限界。腹痛。
stand up!とハチクロを読む。意気揚々と読んだstand up!が4巻で完結してショックで放心し、ハチクロを読んで心がズタズタになる。
早めに寝る予定だったが漫画に夢中になり、1時半就寝。

・4月4日(木)
完全個室だけど防音ではなかったので隣の部屋のおじさんの一晩中続く病的な咳の音でノイローゼ気味になりつつ4時30分起床、3時間睡眠。
思ったより早く目が覚めてしまったので、7時の電車で向かう予定だったが5時に出発。
新潟経由で日本海を見ながら帰るルート。
この電車だと18時半に秋田に着く。
太平洋側のルートのほうが時間の融通も聞いて時間も短めだが、乗り換えが多いのが今までの経験上しんどさがあったので、これから18切符を使う時は新潟経由を使おうと決意した次第だ。
長岡までは時刻通り来る。
松田ペットのガチャガチャをしたり長岡で過ごした大学時代の懐かしさの余韻に浸っていたら電車に乗り遅れる。
たった5分の乗り遅れにも関わらず18時半に秋田到着のはずが21時到着になる。
余分に空いた乗り換え待ち時間、新潟の沼垂を観光したり村上をぶらぶらしたりして、予定外ではあったもののそれなりに楽しかった。
こういう予想外な出来事含めて、予定を固めすぎない旅行が好きだったりもする。
21時秋田到着、居間で寝落ち。

・4月5日(金)
微妙な頭痛と疲労。老いの実感。
東京にいる間に入っていたメルカリの注文(グルーミーのぬいぐるみ)を発送をするために車に乗った以外一日動けず終わる。
ちゃぶが寝室で弄ぶために家の中までモグラを持ってくる。
以前の飼い猫(むーちゃん)は絶対殺すマンだったので、私は死んだ状態のモグラしか見たことがなく、生きて元気に動いてるモグラ初めて見た。
鳴き声も初めて聞いた。
窓から外に逃すために焦り過ぎて和室の窓開けた瞬間網戸外れた。

・4月6日(土)
天気が良かったが外に出る気も起きず1日家で過ごす。
ドリゲ2が来月公演することが発表され「早っっっ」となる。
キャパが心配すぎる。

・4月7日(日)
ちいさんとりこぴと一緒に昼から日プを一緒に見る予定だったけど、りこぴに急用が入りリスケになる。
夜はかこすけとまゆせんせでキルラキル視聴会をする。
過去に全話見てたはずなのにほとんどの記憶が消えてる。

・4月8日(月)
気温17度近くまで上がり、とても良く晴れていた。
久しぶりに自転車に乗った。
3ヶ月前に予約してた地元の矯正歯科にやっと行けた。
この3ヶ月無料カウセの矯正歯科4件回ったけどついにここが最後になる。
矯正の相談、去年からトータルすると合計8件回ったことになる。
ほんとに長かった、、、
8件中インプラントなしで矯正できると言われたのが今日の矯正歯科と渋谷矯正歯科の2件だけだったからほんとに私の歯は厄介だった。
相談料はかかったけど先生優しくてホッとした。
でも基礎検査しないと詳しいことわからないからまた明日検査の予約を入れた。
帰り道、蛇とカラスが川辺でバトってて田舎をめちゃくちゃに感じていた。
早咲きの桜がもう見ごろになっていた。

・4月9日(火)
予定はメンクリだけの日だったが昨日歯科矯正の基礎検査の予約を入れたので病院をハシゴした。
元々車で行く予定ではあったけど、雨が降っていた。
ほぼペーパー状態の中めちゃくちゃ久しぶりの雨走行だった。
車とiPhoneのBluetooth接続がうまくいかず、車についてるナビで行こうとしたら全然違うところ案内されて遅れそうになって焦った。
東京での引越しや帰省時になんだかんだ最低でも1年に二回は運転してたものの、やっぱりまだドキドキした。
特に知らない場所に行くときの運転中の心拍数がえぐい。
あと駐車が死ぬほど下手になってた。
メンクリは無事間に合った。
東京にいるときは受診してから傷病手当書類を書いてもらうまでに1ヶ月はかかってたし取りに行くか郵送で送ってもらっていたのだけど、新しいところは診察前に全部書類を書いてもらって、書類確認をしながら診察してもらい、そのまま手渡しでもらえたのでちょっとびっくりしてしまった。
診察で「前回よりは良くなりました」とは言ったものの、特に何も言われず書類を書いてもらえた。



ほとんど矯正・脱毛・メンクリの病院関連のことしかないけれど、
そのせいで心が揺れていることがある。


今、地元と東京どちらで生活するかということをずっと悩んでいて、
その決断は全て矯正歯科の医院選びにかかっている。

秋田の医院にするなら、療養と起業準備がてら傷病手当満期まで秋田に住む予定。
東京の医院にするなら、職を決めて東京で店舗付き住宅を借り、
とりあえずの起業の形をとって移住する。

秋田を出ていた理由としては、推し活を円滑にすることはもちろんだけど、秋田という地と家族というものに対して謂れようのない強い違和感を感じていたからだ。

当時は大学を卒業してから地元に戻るという選択肢はなかった。


だけど東京で心が壊れて地元に戻ってきてからは東京に対するキラキラした気持ちはもう無くなっていたし、実家の親の感覚や考えが少し昔と変わっていてだいぶ息がしやすくなっていた。
たまに違和感はあるけど耐えられないほどではない。

地元に帰省する度に思っていた
「早く東京(長岡)に戻りたい」
という気持ちはもう無くなっていて、
「別にここにいてもいいのかな」
という気持ちに変わっている。

ただ、インスタで友達のストーリーをみたりTwitterで気になる展示の予定が流れてきたりすると、どうしても
「なんでここは秋田なんだ…」
という気持ちになってしまう。

友達や好きな人たちのほとんどは東京にいるから、気軽に会えないもどかしさが心残りの一番理由かもしれない。

「ここにいてもいいかな」の気持ちと
「なんでここは秋田なんだ…」の気持ちに加え、
「また東京での生活に戻るとしたら」を考えた時に、
少しの恐怖が混ざる。

ずっと揺れている。


「心に一つの踏ん切りがついたのでここにきた」
と冒頭には書いたけれど、それは
「手紙社の求人に応募しない」と決めたことだ。

「絶対に自分がしたい仕事だけをしなければ死んでしまう」
という気持ちを携えて地元に戻ってきたので、
2週間前にインスタで手紙社の求人広告を見てから、
揺れていた気持ちがさらに加速していた。

今の自分として将来的にやりたい仕事に近い事柄としても
「イベント、編集、カフェ、紙、イラスト」
その関連を網羅している会社で、
きっと就職したら自分の学びになることしかないのは分かりきっている。

まさに「自分がしたい仕事」に近い求人が舞い込んできたのだ。

東京旅行最終日に手紙舎に行ったのも、その時の気持ちを確かめたかったからだ。
地元に帰宅後は履歴書を書いて送る気でいた。

だけど、書かなかった。
なぜか。
多分、手紙舎で読んだ「手紙社のイベントの作り方」の巻末あたりの用語集みたいなページに
「寝不足=イベント前に陥りがちなもの」
と書かれていたのをふと思い出してビビったからだ。

自分自身、大学時代は課題に追われて常に寝不足だったし、
それを常に自覚して友達やSNSで共有していた。

そんな自分が寝不足ごときで尻込みするようになるなんて。

多分、前職で会社員として働いている中で、
朝3時まで残業や徹夜することがしばしばで、
実際に身体を壊して今まだ完全に戻っていない
(多分もう戻らないのだろうけど)状況を考えると、
寝不足という状況がまだトラウマでどうしても肯定できなくなってしまっていることに気づいた。

課題や同人・文芸イベントでは毎回当日は寝不足の状態に陥っていたけれど、それはやっぱり根底に
「自分の内側から湧き上がるものを形にして共感してくれる人に届けたい」
という目的があったからこそで、学生時代の寝不足になりながらも
「やってらんねーよな!」
みたい感覚は、ある意味大学の仲間とのコミュニケーションの一環としての感覚だったように思う。
そもそも学校然り同人・文芸イベント然り「それで飯を食ってるわけではない状態」というのはある意味救いだった。

「本当にやりたい仕事」を求めているくせに、
いざそれに対して「それで飯を食ってるわけではない状態」の物事と同じくらいの熱量を出せるかというとなかなか一歩踏み出せない自分がいる。

何も知らなかった頃は、とりあえずやってみよう精神で飛び込めていたものが、今は慎重にならないとおそらく命が危ぶまれるかもしれないみたいなストッパーがかかってしまい、それがどうしても悔しい。

大学で「インドのポスターを制作する」課題が出た時、
「インドのことを知らずに想像だけでポスターなんか作れるか」
と思ってそのままインドにバックパックの旅をしに行った頃が嘘みたいだ。

安全な国で日常をただ生きてるだけで死にそうになっていた日々を経験してしまうと、ただの日常を生きるだけでもなんか、そもそも生きること自体に恐る恐る触れている感覚がある。

応募締め切りの4/9の日付が変わる瞬間、ただソファに寄りかかって時計を眺めていた時、フッと心が軽くなった。

自分のこの感覚は「逃げ」だとは思いたくない。
そもそも逃げる以前に何のアクションもしていないのでただの「無」だ。

推しに会う前、いつも逃げたくなるけどそれ以上に会いたい気持ちが上回っていつの間にか勝手に身体が会いに行ってる。
なんかそういう感覚を大事にしたいし、それこそが「本当にやりたい仕事」の礎なのかもしれない。
インドに行った時みたいに何も考えずに「いつの間にか行ってる」みたいな、「身体が勝手に」現象に身を任せてみるのも悪くない。

そういえば自分の人生経験上、計画立ててよく考えてやった物事があまり良い結果になったことがない気がする。

まだ「無」の状況で、私はグラデーションで物事への状態を変化させるより「有り」か「無し」でスイッチが切り替わる状態の方が合っているのだと思う。

とりあえずソファで心が軽くなった感覚をスイッチだと捉えて、またこれからの「生きる」を考えてみようと思う。

焦らない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?