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両親 2.結婚~戦争

 両親が結婚したのは、戦争前1942年、父は某重工業に勤務中で27歳だったと思う。母は東京の学校を卒業して宇和島に戻った直後の20歳だった。愛媛県の著名な家同士、それなりの人が世話をしたのだろう。
 
 結婚式は父の道後の自宅で行ったとのこと。敷地は千坪ほど、建物は二百坪程度。母屋と本座敷部分、西座敷部分に別れていて、贅を尽くした総ヒノキの造り、100年経っても狂わないと言われていた・・・らしい。それなりの大工の棟梁が6年かけて完成したが、その棟梁は完成後しばらくして亡くなったと聞いている。
 
 その家には戦後祖父母が亡くなるまで住んでいたので、私も子供の頃、毎年夏休みに預けられ、従弟たちと遊びまわった。戦後、祖父は事業を辞めたが、特に困るようなことは無く20年ほどそのまま、あの家に住み、毎日庭木の剪定をしていた。
 
 結婚当時、父は広島工場に勤務していたから、新婚の住まいは広島市だ。後日、私がまだ学生時代に、新婚直後の母の日記を少しだけ盗み読みしたことがあるが、読むに堪えないほどのべたべた、ポルノの如きだ。あの母にこんな時代があったのか、こんな文が書けるのかと驚愕したものだ。結婚1年後に長男つまり俺の兄が誕生したらしいのだが、直ぐに亡くなったとの事。その後、姉が生まれた。

 やがて日本は、太平洋戦争に突入したのだが、父は軍需工場に勤めていたことから、幸運にも、兵役を免除された。日本が敗戦に傾くにつれ、船がどんどん沈み、造船が全く間に合わないというのが、実感だったとのこと。

 そして、広島に原爆が落とされる。

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