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母のさみしさと、とんこつラーメンのバリカタ。

つい先日、小学校の同級生の父親が亡くなったと母から聞いた。それについてどう反応していいか分からず「…そうなんだ」とだけ答えたような気がする。その同級生とは、特別仲がよかったわけでもないし、同じクラスだったかどうかさえ記憶が怪しい。ただ、都心のわりには小規模な学校だったので、名前と顔は全員分かる。
母は普段から同じ話題を何度もする人なので、将来、認知症になるのではないかと心配しつつ、同級生の父親の話題も3日間毎日している。
一度目は、夕食前に私に向けて。二度目は、父とふたりでソファに並んで座り、テレビを観ながら父に向けて。そして、三度目は、台風一過の真昼に父と私に向けて。
一度目は、私に単なる事実と同級生に対するわずかな同情を伝えたんだと思う。二度目は、「配偶者が亡くなる歳になってきたんだね」と母はつぶやいた。父は「え?え?」と言っていることの意味がいまいち分かってないようで、ふたりをキッチンから見ていて、父の空気の読めなさに「おいー」とあきれてしまった。母が「配偶者、配偶者」と何度も言ってようやく理解したみたいだ。父はかなりぼんやりしているけれど、だから穏やかなんだろうな。三度目は、キッチンで母が昼食の準備をしながら「26歳かあ…」とつぶやいた。私たちの学年は今年26歳になる歳だ。何となく何のことを言いたいのか分かったので「それ、もう聞いたよ」と指摘したが、母は続けた。
「お父さんが亡くなったのも、私が27の時なんだよね」
母の父親…つまり、私の祖父は私が生まれる前に事故で亡くなったらしい。「らしい」なので、誰にもハッキリと聞いたことがない。ただ、仕事中の出来事だったと。それくらいしか知らない。祖父について興味がないわけではない、ただ、何となく聞くのが怖い。私が生まれる前の私の家族の歴史について聞くのが怖い。触れてよいものなのか、きっと触れても大丈夫なんだろうけど、何だか勇気がいる。
母の話を聞きながら、飲み物を取りにキッチンに行った。
母は「おじいちゃんが死んだ時は55か…私、おじいちゃんの歳越えちゃうね」と言った。母は、今年55歳になる。そして、「早いよね、早いよね。○○くんにとっても早いよね」と。
母のさみしさを感じたけれど、正直、どう返していいか分からなかった。26,27歳で父親を亡くすことも、自分が55歳で死んでしまうとしたら…。話の内容と私が大分土産で買ってきたとんこつラーメンの麺をバリカタで茹でているシーンと、あまりにミスマッチすぎる。
こういう時、私はセンスがないので「TOO YOUNG TO DIEだよね」と言った。本当にセンスがない。母の気持ちに寄り添っていない。
母は「ははは」と笑っていたが、本当はどんな言葉が欲しかったのだろうか。
祖父が亡くなった時、すでに母は結婚をしていた。だから、父が母のそばにいてよかったと思う。きっと心の支えになってくれたはずだ。
母のように、私も明日、もしかしたら今日、家族を失うかもしれない。天災人災、様々なことが起きる時代だ。母のさみしさに触れて、少しだけ母に向き合えた気がする。

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