「実存主義」とカミュの関係【文学ラジオ #2 情報まとめ】
こんにちは。人間のニンゲンです。
「ワンとニンゲンの文学ラジオ」第2回、公開中です。夕飯作りのお供にぜひお聴きください。
今回も「文学ラジオ」第2回で出てきた文学用語のwikiや関連書籍をここにまとめます。
いかんせん本編は解説をほぼしないスタイルなので、聴いていて「?」ってなった人名・書籍名・専門用語等はこの記事を参照してみてください。
今回はひとつだけですが、ちょっと一筋縄ではいかないやつです。
ではいきましょう。
■「実存主義(実存哲学)」
こういう解釈分かれる系の用語について書くのはスリリングで眠気も飛びますね。
「実存主義」の説明はWikiが結構ちゃんとしてます。
が、カミュと実存主義の関係性については書かれていないので、主にそこに焦点を当てて書いていこうと思います。
もし事実レベルで誤りがあったらコメントで教えてくださると幸いです。
① 実存主義とは
実存主義(実存哲学)というのは思想上の立場のひとつです。
とんでもなくざっくりいうと、「人間を対象にする哲学」です。
私とは何者か、人生とは何か、社会で生きるとは、みたいなことがテーマになります。
伝統的西洋哲学のテーマでよくある「ものの本質って何?」とか「神の存在証明」みたいなことよりも、「不安」「絶望」「死」みたいな概念を扱うことになります。(ただしキルケゴールは、キリスト教信仰者の立場としての実存主義的な思索を徹底しています。)
②「実存主義者」といわれる人たち
「実存主義者」と見なされている/見なされがちな思想家は、キルケゴール、ニーチェ、ヤスパース、ハイデガー、サルトル、そしてカミュ等多くいます。
一方で、実存主義という呼び名は後世・周りの人間が「誰々の思想は実存主義!」というようにラベリングしているもので、「実存主義=こういう考え方」というのはありません。
それくらい曖昧な言葉だということには留意したほうがいいでしょう。
特にハイデガーは色んなところで実存主義者扱いされていますが、「存在と時間」の一部分が実存哲学風味に読めるだけで、僕のあっさーい理解の限りでは、ハイデガーは実存主義者ではないと思います。
③ カミュと実存主義
文学ラジオの中で、「異邦人」の主人公・ムルソーを「実存主義のヒーロー」と表現している部分があります。
誤解を生みかねないので正確なところを言うと、ムルソーを「実存主義のヒーロー」と見なしているのは、「異邦人」を実存主義の小説として読んでいる人たちです。
文学ラジオで今後触れると思いますが、カミュは自らが実存主義者であることを否定しています。
これはなんとも微妙な話で、カミュがいかに「自分は実存主義者ではない」と言っても、実存主義にかなり近いところにいるのは否定しにくい。
というのも、カミュが問題としているのは、神や形而上学ではなくまさに日々生きる我々を取り巻く不条理さにあるからです。
なので「異邦人」や「シーシュポスの神話」が実存主義の文脈で読まれちゃうのも正直まあ無理ないよねと思います。
では、カミュのいう「実存主義の哲学に反抗する方向」とは何を表しているのでしょうか?
カミュは、「実存主義」の哲学者として、キルケゴール、シェストフ、ヤスパースらを念頭に置いていました。
カミュによると、「実存主義者」は不条理を捉えながらも、それを見つめ続けることができず、ぎりぎりで神や超越者といったものに飛躍してしまう人たちなのです。
つまりカミュの言う「実存哲学」という言葉の用法は、一般的なものと少々異なっています。
カミュにとって「不条理」とは「人間」と「世界」の緊張関係で、(それが岩を山頂に運び続けるみたいなすごくしんどいことを強制されるとしても)目をそらさず、見つめ続けなければならないものでした。
※「文学ラジオ#1 情報まとめ」参照
ここにこそカミュの思想の独特さがあります。
ですから、不条理を見つめ続けない「実存主義者」と同一視されることは、カミュからすると不本意となるわけです。
なのでやはりカミュの思想を一言で表すなら「不条理哲学」となるでしょうか。
ちょっと込み入った内容になっちゃいましたが、今回はここまで。
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